第6話 任命式

 大聖堂カテドラルは信徒の制服のピクセルに塗りつぶされている。黒を基調にした信徒の制服とは反対に、大聖堂は白い壁に青い柱とレッドカーペットといった蛍光色が目立つ。西側にはクワイヤスクリーンを隔てて聖歌隊コーラスが任命式に向けてリハーサルに取り掛かり、装飾された椅子ストールの前には分厚いオルガンがある。アプス型の天井にはフレスコ画が描かれ、天使たちが劇的な構図で絡み合い、堂の奥に見えるステンドグラスのトレサリー窓からは、ガラスで屈折した日の光が差していた。信徒は学年ごとに縦列で並んでいる。俺は既に自分の位置を見失っていた。


「さっきの講義でまた悪夢を見たのかい。顔色が悪いけど」


 ポルノを胸のポケットにしまった小山が、顔は正面を向いたまま横目で俺を見ながら尋ねてきた。首を小さく縦に数回振って答えると、脳が揺れて頭痛がする。


「運が悪かったんだ。ケガをする前はあんなに精力的な信徒だったのによ岸部は」


「お前らとつるんでいるんだ。元からろくな奴じゃなかったさ」


 珍しく犬童が慰めの言葉を口にしたことが気味悪かったので皮肉を交えて返答した。犬童は”はっ”と息を吐いて笑った。


「頭をケガして夜な夜な悪夢を見るなんて普通じゃない。やっぱりクリニックの腕が悪かったんじゃ」


「けど悪夢を見続ける施術なんて生命工学術には存在しない」


 犬童と小山は俺を置き去りにして侃々諤々かんかんがくがくと議論を始めた。もとより勤勉な素質があった二人は、それ故に下町でも身を守りながら網の目をすり抜けるようにして己の欲望を満たしている。

 二人と同じように、他の信徒の雑談が大聖堂に響き渡っている。町角の露店にできた流行りのアクセサリーの噂をする者。クラスの恋愛関係の構図を精査する者。団欒として何気ない、今どきという言葉がよく似合う。

 そんな雑談を一掃する、低く力強い行進が堂内を駆け巡った。レッドカーペットの上を堂々と、擦れ合う鎧のつなぎ目が重い音をたてる。教会騎士団の入場と共に聖歌隊が歌う。天まで届くほど伸びのある艶やかな声が重厚な行進と協奏曲をかなでた。団員は儀仗用の剣を握り、十字にきられた兜の奥にある表情は伺えない。騎士団はレッドカーペットの左右に広がると、剣を両手で体の中心前で握り込んだ。割れた騎士団の海の真ん中を颯爽と、青い裏地の外套がいとうを翻して歩く一人の騎士が見える。


「見ろよ。聖騎士だ」


 犬童が隣で囁く。聖騎士はやがて司教座にまでたどり着いた。そして次に現れたのは、この枢軸教会のトップであり教区長、日立アキラだ。ゆとりを感じさせるオーバーサイズの服から覗く肌は浅黒く、黒髪の前髪部分には白いメッシュが入っている。日立アキラが聖騎士と向き合う。と、司教座の袖裏から司教が現れ、上下部が丸くなった円柱型の鉄を日立アキラへと渡した。その大きさは胸から腹部ほどまであり、円柱からはチューブが伸びている。チューブの先からは何かが放たれそうな孔があった。アーキトレイヴと呼ばれる聖騎士のみが装備することを許される神聖な武器だ。武器には教会の神秘が施されていて、チューブの先からは不浄を灰燼へと帰する聖なる炎を発するらしい。アーキトレイヴは信徒が一度は装備したいと憧れる。だから一般の信徒はまず騎士団を目指す。そして騎士団から更に選りすぐられた精鋭のみが聖騎士へと昇格できる。


「おめでとう」


日立アキラは聖騎士へアーキトレイヴを差し出した。聖騎士はそれを半ば強引に、奪い取るよに力強く受け取ると、二度と離すことないように胸へと抱いた。日立アキラはそれを満足げに、不穏な笑みを携えると、やがて表情を殺して信徒へと向き直った。


「信徒よ。誉れある騎士団よ。今日、新たな聖騎士が誕生した。我々、枢軸教会アクシズは今日という日を礎にまた一歩、神々が住まう蒼天の頂へと近づいた。そこには楽園がある。淀みない陽光に小鳥が囀り、苦痛から解放された楽園が。信徒よ。楽園を目指し、よりいっそう励むのだ」


 教区長の言葉に聖歌隊が歌う。荘厳な歌声に、天井では天使がラッパを吹いて祝福する。聖騎士がまとうあの青い裏地の外套を、俺が身に着けることはもうない。

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