第13話 強襲

 目の細かい黒い石畳の道を走り抜けていく。二人ともが体力自慢で多少の勾配は意に介さない。風を切る音を両耳が捉える。血が滲むような訓練のおかげで足は軽々と前に出た。1分ほど走ったところで、屯している三人の案内人が視界に入った。瑞穂は大声をあげて異状が起きたことを伝えようとしている。


「随分と早い帰還じゃないか」


 案内人はのんびりと立ち上がると首と肩を回した。


「問題が起きた。騎士が急に倒れて——手を貸してくれ」


 案内人は互いに顔を見合わせると頷いた。


「こっちだ」


 俺は大袈裟に腕を振って付いて来るようにとジェスチャーをする。そして例の巨大な建造物へ戻ろうとしたときだった。僅かだが金属と皮の滑る音が樹木の間を反響した。聞き逃しなどしない。刃物が鞘から抜かれた音だ。それは隣にいる瑞穂も同じだった。刹那、足の裏が地面を叩く音が後方からする。踏み込みだ。俺と瑞穂ご半身になって振り返ると、剣が残像を残して眼前を横切る。模擬ではなく本物の鋭い鉄の反射が頬をかすめた。


「なんのつもりだ」


 俺は後方で薄ら笑いを浮かべる案内人を問いただした。他の二人と遅れて後ろの腰から大型の鉈を抜く。


「困るんだよ、こんなに早く戻ってこられると。計画がパァになっちまう。大人しくあの二人の騎士と一緒に居てくれよ」


 そうして切っ先をこちらに向ける。どういうわけか俺たちを拠点まで帰らせたくないらしい。目的が俺たちと本隊を引き離すことだとしたら、今ごろ本隊も襲撃されている可能性がある。瑞穂は困惑した面持ちで俺を見た。その眼は”どうするんだ”と訴えている。


「やるしかない」


 そうして静かに胸のナイフを抜いた。


「殺すの——」


 瑞穂の瞳は目まぐるしく変化する状況に対応しきれずに憔悴している。


「殺されたいのか」


 俺は目力を込めると恐怖を呼び起こすようにして瑞穂へ叫んだ。瑞穂は汗か涙か、もはや区別がつかなくなった雫を目尻から落とすと胸からナイフを引き抜いた。俺は敵をよく観察した。構えから訓練を受けた片鱗は感じられない。だが数で負けている。勝負は素早く一瞬で決めるべきだ。


 俺はとっさに一人の敵へと目掛けて駆けた。敵は鉈を振り上げるとタイミングを合わせて予想通り、俺の首筋に向かって振り下ろした。目論見通りになり俺は胸の内でほくそ笑む。鉈は叩き斬る道具だ。刺すことができない以上、おのずと攻撃できる体の部位は絞られる。それに敵は訓練されていないから、急所を狙うことの他に攻撃を知らない。俺は右手にナイフを逆手で持つと、左腕と一緒に敵の振り上げた右腕を迎え受けた。全力で振り下ろされた敵の前腕を俺は両腕で抑える。そしてインパクトすると同時に、逆手で持ったナイフで敵の前腕の腱を二度切り裂いた。右から左へ、刃を返して左から右へと。腱を断たれてだらりと力なく垂れた指から鉈が滑り落ちる。そして流れるように敵の左首に向かって刃を突き刺した。頸動脈を突き破り、気管まで突き刺さる致命傷だ。案内人は咳き込むと派手に吐血した。血反吐が俺の顔に降りかかる。刃物は人に刺さると硬直した筋肉に挟み込まれて並みの力では引き抜けなくなる。俺は順手になるように柄を握ると、敵の腹辺りを蹴押しながらナイフを引き抜いた。首筋から大量の血しぶきが舞う。そして瞬時に周囲の安全を確認。右方では敵の一人と瑞穂が交戦している。左を向いた瞬間、回り込んだ敵が既に鉈を振り上げていた。受けることも回避することも不可能だと判断し、俺は咄嗟に身を低く構えて敵の脚を両腕でカニばさみにして組みついた。敵はバランスを崩して後方へと倒れ込む。同じようにして俺は脚に組み付いたまま前に倒れ込んだ。敵は受け身をとるために否応なしに両手を地面につかざるを得ず、その瞬間に俺は敵の脚の裏側の腱をナイフで切り裂いた。脚に力が入らず逃げることもできなくなった敵の上に俺は馬乗りなると、がら空きの急所全てに刺突と斬撃を叩き込んだ。敵はあまりの激痛にすぐに気を失った。1分もしないうちに大量出血で絶命するだろう。瑞穂の方を見ると、ちょうど瑞穂が敵の喉ぼとけに刺突する形で戦闘は終了していた。俺と瑞穂は互いに見合った。二人とも血まみれで、なんだかいけない遊びを終えた後のような背徳感が湧き上がる。


「怪我は?」


「平気」とだけ言うと瑞穂は俯いた。まるで人殺しの後味を探っているような、そんな艶めかしさが血濡れの肩から立ち昇る。右手で左腕を抱くようにしており、返り血で分からないがどこかを斬られたに違いない。


「とにかく拠点まで戻ろう。何かの罠かもしれない」


 瑞穂を促して拠点へと戻ろうとしたときだった。


「なんだ。随分と呆気ないな」


 集合住宅地へと通じる道路の奥から、騎士団を引き連れた日立アキラが現れる。そこには犬童の姿もあった。


「教区長、いらっしゃったのですか。大変です。騎士が倒れて・・・それに案内人が裏切りを・・・本隊は無事ですか」


 瑞穂は呼吸の乱れも忘れて何とか状況を説明しようと言葉を絞り出していた。怪我を負った瑞穂の肩を抑えて、代わりに俺が説明するち眼で伝える。


「無事だとも。騎士はどこだい」


「奥に——小山が看ています」


 ”そうか”と呟くと、日立アキラは思案するように顎に指を当てた。こうしている間にも騎士と瑞穂の容態は悪くなることに焦り、俺は即時行動を促した。


「教区長、瑞穂が負傷しています。とにかく拠点で応急手当を」


「その必要はない」


 日立アキラが右手をスッとあげると、隣にいた聖騎士、そして犬童がアーキトレイヴの噴射口を俺たちへと指向した。アーキトレイヴの先は暗い穴がどんよりと、獲物を丸呑みにしようとする蛇の口のようだ。文字通り、俺たちは蛇に睨まれたカエルのように固まる。


「どういうことです・・・」


「残念だけど、君たちは汚染された。ここで洗浄しなければならない」


「何を言っているのです!」


 瑞穂は目を大きく開いたまま、動かない。自身の死の瞬間に立ち会ってしまったかのように、瞳は恐怖に怯えていた。俺は聖騎士の隣に立つ犬童を見た。これはいったいどういうことだ。そう目で伝えたが犬童は何も言わない。ただ、もう下町には戻らないと、そう強く語りかけるような表情があるだけだった。


「燃やせ」


 日立アキラの合図と共に、犬童と聖騎士が引き金を引く。瞬間、炎の渦が唸り、壁のように押し寄せる。それが走馬灯のようにゆっくりと流れて、炎を目前に瑞穂は俺を見た。


「航——」


 恐怖でひきつった眼と、絶望に打ちひしがれて垂れ下がった口は、情け容赦なく炎へと飲み込まれていった。あまりの熱風に両腕で顔を覆ったが、口鼻から入り込んだ熱が肺へと届く。そして開かれたカーテンのように消えた炎の中には、うつ伏せになって燃え続ける瑞穂の体があった。美しかった黒髪は燃え尽き、服は灰になって舞い上がる。爛れた肌は無数の水泡を帯び、漏れ出た脂肪が蝋のように溶けている。


「あぁ、なんてことを・・・」


 俺はあまりの惨状に膝から崩れ落ちた。尊厳なんてものをまるで無視した、生きたまま焚火のように焼き殺されるという事実を受け容れられず、口元を抑えてこみ上げる吐き気を押し戻す。


「あとは任せた」


 日立アキラが目配せすると、犬童は彼の身を守るようにして拠点へと帰っていった。その様子からして、奥で倒れている同胞の騎士を助けるつもりもないらしい。残った騎士はこちらに刃を向け、聖騎士がアーキトレイヴを構える。いつの間にか日は陰り、ポツポツと雨が滴る。空を見上げると、重い雲が空に蓋をしていた。

 と、これまでに見た悪夢が脳内を過ぎる。空は悪夢で見た死者が隊列を組む世界と同じ模様をしている。瞬間、雲が震えた。空はまるで海の底のようで、重々しく降下している。雲の隙間から暗い穴が姿を現すと刹那、轟音と共に有刺鉄線が空間を駆けた。


「なんだこれは・・・!」


 異様な空間にたじろぐ騎士は俺へと向けていた切っ先を解いた。伸びた有刺鉄線は地を貫くと停止し、ゆっくりと、糸を巻くような早さで巻き戻る。そしてズルリと一人の人間がしとしととした音と共に現れる。全身が黒い、見たこともない衣を纏い、顔が露出した頭部の鎧。眼は真っ黒い眼鏡で覆われていた。手には刃物でも斧でもない、武器かどうかも怪しい何かが握られている。背丈からして性別は男だ。


「誰だ!」


 聖騎士が鎧でくぐもった声を張り上げる。周囲の騎士はあまりに異常な光景に言葉を失っていた。男は聖騎士の問いには答えず、代わりに手に持った何かを構えた。瞬間、それの先が弾けて破裂音が轟く。すると聖騎士は糸の切れた人形のように背中から倒れた。


「なんだ?何をした・・・!」


 騎士は剣を構えると一斉にその男に向かって駆けだした。多勢に無勢。勝負は目を見るより明らかのはずだった。だが男が手に持つ武器から破裂音が鳴るたびに騎士は次々に倒れ、そして最後には、膝立ちした俺だけが残った。黒い服の男が雨にうたれる俺を見下ろす。


「なぁ、これは夢か?悪い夢なんだろ・・・」


 男は何も答えなかった。代わりに背を向けると、暗い穴の中へと沈んでいく。そこは地獄の底へと通じているのか。それともここが地獄なのか。教えてくれと乞うための声すらも出なくなり、俺はその場で大の字になって倒れ込んだ。雨の音が大きくなる。そうして全てが終わり、分かったことは何もない。どうして騎士は急に火傷を負ったんだ。どうして犬童は、教会は俺たちを見捨てたんだ。あの黒い男は何者なんだ。何が目的なんだ。そうして疑問が浮いては消え、やがて消失する。眼を閉じ、悪夢が押し寄せ始めた浜辺へと歩み出す。そして次に目覚めたとき、今まで起きたことが全て悪夢であるようにと願った。悪夢よ、どうか・・・どうか俺の現実にまで侵食しないでくれ。

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