第12話 未調査地区
出発の朝は、快晴の青に恵まれた。未調査地区に何が潜んでいるかは知らないが、胸、右腰、背中の骨盤辺りにナイフを忍ばせて、どんな状況に陥っても素早く引き抜けるように装備した。瑞穂も同じ装備で、この装備は俺と瑞穂で編み出した戦術理論だった。小山は俺たちのナイフを見て、なぜその位置に装備したのかを尋ねた。
「接近状態での戦闘は9割以上が取っ組み合いにもつれこむという研究結果が出ている。どんな体勢からでもナイフが
引き抜けるのが大事なのさ」
「そんな情報をどこで?」
どこだっただろうか。教区内には教会書庫の他に知識の泉は存在しないが、教会書庫にそんな文献があった記憶もなかった。
「瑞穂、どこだった?」
「無駄話は体力を消耗するという研究もある。歩くことだけを考えた方がいい」
瑞穂は雑談する気はないと口をつぐんだ。目的地の未調査地区は
行商人によって踏み鳴らされた道が、先の山々の合間へとすり抜けていく。道の隣には木々が連なる列を作り、立体的な入道雲は、平面な地平線の空間を歪める大質量のように浮かぶ。荷馬車を引く馬の蹄は、街娼が履くヒールが石畳みを叩く音に似ていた。瑞穂が肩に下げた雑嚢から革製の水筒を取り出すと、水を一口含んだ。一滴が口の端から滴り、乾いた土へと落ちる。辺りに下町の黒い煙はなく、清涼な空気が草の先から湧き上がり、滲んだ汗を冷やす。街の外へ出たの初めてではなかったが、ここまで遠く離れたことはなかった。山の合間を抜けると、木が濃く茂りだし、辺りは林へと移り変わった。空を覆うほどの枝は伸びていないから、光が差し込んで視界は良好だ。鳥と虫の音がより近くで聞こえる。道はよく踏み鳴らされており、騎士団が何度もここを通ったことを物語っていた。林はやがて横に開け、その先の広場は、教区内や下町にはない幾何学的なもので溢れていた。長方体の巨大な建造物は、
「どんな感じ」
俺が聞くと瑞穂は”冷たい”と答えた。触れるとそれは金属だと理解できた。表面は見たことのない塗料で覆われている。理解できないのは、こんな巨大な金属をどのように精製して運搬したのかだ。
「本隊はここを拠点にする。君たちは案内人と共にこの先を調査したまえ。指定した時間には調査を終えてここへ戻ってくるように」
騎士が二人と案内人の三人が俺たちの隊に組み込まれた。騎士はここが過去に人類が暮らしていた集合住宅地だと丁寧に教えてくれた。
「僕たちも調査任務は初めてだから、この建物も初めて見たよ」
騎士の若き青年の声音は俺たちの不安を取り除こうと、同調の意思表示をした。アーキトレイヴを背負った犬童が俺たちへと近づくと、申し訳なさそうに眉尻を落とす。
「すまない。俺は拠点で別任務があるらしい」
俺は犬童の肩を叩いた。
「心配ない。あとでそのアーキトレイヴが火を吹くところを見せてくれよ」
※
幾何学的広場を通り抜けると、木々の間を目の細かい石畳が続く道へと出た。鉄製の支柱の先に数字で”30“と標された看板が立っているが、それが何を意味するのかは分からない。前方で案内人の示す方へと前進する若い騎士の後を、俺、瑞穂、小山の3人が追従する。大きな高低差はないが、道は登りと下りを繰り返す。しばらく歩くと、案内人が足を止めた。
「ここから先はあんたらだけで行ってくれ。面倒事はごめんだ」
案内人はここであんたらの帰りを待つと言って道の真ん中に屯した。騎士たちは仕方がないと肩をすくめる。騎士でない人間を必要以上の危険に晒すのも憚られたので正しい判断だろう。二人の騎士は俺たちを危険なものから守るように警戒しながら前進を続けた。やがて目の細かい石畳の道は途切れ、林を通り抜けたその先は、先程の集合住宅地を優に越える巨大で奇妙な建造物が姿を現した。規則的な模様を描いているのに、骨組みは異様に細かく混沌としていて、さっきの物干し竿とは反対に、剥き出しの金属が過去の人類の技術力の高さを象徴しているかのよう。騎士を含む俺たちは圧倒され、しばらくポカンとそれを眺めていた。
「なんだこれ」
騎士の一人が、足元に転がる手のひら大の石を拾い上げた。異様に黒々としたそれは、ただの石というには派手で、貴石の原料のようにも見えなくもない。
「黒鉛かしら」
そう言って触れようとした瑞穂を騎士が止めた。
「よせ。お前もさっさと捨てろ」
騎士が装着する十字にきられた冑は、顔こそ伺えないが、毒虫を見たように嫌悪している。
「何だか変な感じがする」
瑞穂が俺に距離を詰めてそう言った。声は行進の疲労でかすんでいる。
「変って何が」
瑞穂は分からないと言って頭を振る。小山は足元には目もくれず、巨大な建造物をまじまじと見つめていた。建物は教区内の尖頭群に似た突起が飛び出しており、その先には人が歩けそうな円形の足場が見える。骨々しい外観には至るところに柵が設けられ、見える全てが歩ける場所であることを語っている。
「ここだ」
若い騎士が鉄製の重々しい扉の前で立ち止まる。扉の中央には円形のハンドルがあり、回せば開くと主張していた。扉を開いた先は空間が広がっていた。灯すべき蝋燭や燭台も見当たらないが、扉から差す太陽光のおかげで視界は悪くない。そこには巨大な窓ガラスのような長方体が三つと、無数の小さな突起物に埋もれた鉄製の机たちがある。
騎士は腰の剣を引き抜いた。警戒しながら机に近づくと、無数に並ぶ突起物を押す。カチリという音と共に突起物が沈んだ。カチリカチリと、並ぶ突起物を押していくうちに、やがて建物全体がゴウンと唸りを上げると、天井が激しく光った。見上げると、天井には筒形をした半透明の照明がいくつも吊るされていた。大きな窓ガラスには文字と模様が浮かび、所々が明滅している。どうやら窓ではないらしい。
「炉・・・融?」
小山が虫食いになった文字を読み上げた。皆が皆、顔を合わせるが何を意味しているのか分かる者は一人もいなかった。そのとき、騎士の一人が叫び声をあげてその場でうずくまった。
「どうした」
若い声の騎士が片膝をついて叫ぶ騎士の様子を見る。騎士は左手で右手首を握って、右手のひらを震わせていた。右手は激しく火傷を負っており、この瞬間にも焼けただれ続けている。
「火傷・・・火を触ったのか?」
騎士は首を横に振る。
「触ってない・・・急に・・・」
辺りを見ても火はどこにもない。しかし騎士の手は呪われてしまったかのように爛れ続け、まるで見えない炎にでも焼かれているかのよう。
「・・・ここは危ない。手を貸してくれ」
騎士の言葉に俺たちは勿論と返す。俺と小山は火傷を負った騎士の肩を支えるようにして建物の外へと連れ出した。若い騎士と瑞穂が先へと走っていく。
「私たちは先に戻って助けを呼ぶ。君たちも・・・」
若き騎士は唐突に言葉を切ると、おもむろに頭の鎧を脱ぎ始めた。刈り込まれた金髪が露になり、両手を地面につけてへたり込むとその場で嘔吐した。
「大丈夫ですか!?」
瑞穂が騎士の肩を支える。騎士は数回咳き込んだがやがて顔をあげた。
「いったい何が起きているんだ・・・」
騎士は恐怖で瞳孔が開き、口元がわなわなと力なく震えている。小山が支えていた騎士は火傷の激痛で意識を失っていた。
「どうしよう・・・」
頼みの綱だった騎士が二人とも倒れてしまい、小山が半ばパニックになりながら力なく呟いた。突然、嘔吐した騎士が顔を上げた。驚愕の眼差しを俺へと向ける。
「あぁ・・・聞こえる・・・」
そしてボソリと、吐息に混じってそう呟いた。
「聞こえるって——」
突然のことに訳が分からず、つい平凡な問いを返してしまう。
「頭の中に聞こえてくるんだよ。じりじりと・・・空に?」
そして騎士は何かを聞き取ろうと耳をそばだてた。俺は同じようにして聞き取ろうとしたが何も聞こえない。瑞穂と小山も聞こえないようで、眉をハの字にする。
「何も聞こえない」
「いや聞こえる!ほら!・・・空だって!そうか。空・・・空だったんだ・・・」
騎士は俺の肩を力ず強く掴んだ。
「頼む、教区長に伝えてくれ。神は空にいる・・・」
騎士はそう言って腕をだらりと垂らすとその場に倒れ込んだ。俺は騎士の口元に手を当てた。
「まだ息はある」
発狂する騎士を目の当たりにして俺たちは困惑しきっていた。
(神は空にいるとはどういう意味だ?)
騎士の幻聴と片付けてもいいのだが、この短くも情報過多な文面には言いしれない引っ掛かりを感じる。
「とにかく助けを呼びましょう。小山くんは騎士を看ててあげて」
瑞穂の言葉に引き戻されて拠点へと走り出す。空は青く、湿り気もない。
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