第23話 交信塔

 藪の中の居心地の悪さは、悪夢で見た死者の隊列の中にいる自分と似ていた。疲労を押し殺し、草とつるに躓かないように足を上げて進み続ける。犬童の死体があった位置から三十分ほど歩いた辺りで翠さんが足を止めた。


「私はここまで。ここから先は汚染されている」


 ここから先は放射能汚染が酷い。と、理解していても目にはまるで見えないので俺は未だに半信半疑だ。翠さんは背負ったバッグから巾着袋を取り出すと俺へと渡した。


冷血コールド・ブラッドの入った注射器が入ってる。無事に未調査地区の先にたどり着いたなら打ちなさい」


 俺はそれを受け取ると腰に装着したポーチにしまい込んだ。


「打たなかったらどうなる」


「あなたの時間が加速する。一度そうなると、もうこちらからあなたに接触することはできない。甲賀麟太郎の脳は時間の隔たりを突き破ってこの時代に固定し、更には時間の進行を抑えているの。MMCと冷血を使ってね。MMCだけでは時間に干渉できない。時間に干渉する特別な人工血液、冷血があってやっと場の量子に干渉できるの」


 俺は頭をがしがし掻いて”理解不能”だとアピールした。


「正直、私もよく分かっていない。神が教えてくれたものだから。時間干渉が可能だなんて、まさに神の業よね」


 俺は瑞穂の方へ視線をやった。


「瑞穂は大丈夫なのか」


「235ウランは電子機器にも強い影響を及ぼす。長い年月のおかげでここの放射能の残量はかなり下がったけど、それでも悪い影響は出ると思う。長居は無用、できるなら行かない方がいい」


 翠さんが言い終えると同時に俺は瑞穂へと向きなおった。


「だってさ。ここに残るか」


 瑞穂が冷笑する。


「まさか」


 答えは聞くまでもなく、翠さんは”止めても無駄ね”とため息をついた。


「原子力発電所を抜けて更に奥へ行って。そこに交信塔がある。そこにおそらく——神へと続く道がある」





 藪を越えた先には、あの日見た幾何学的な鉄の建造物が聳え立っていた。かつて膨大なエネルギーを生み出し、人類を繁栄へと導いた原子力発電施設の残骸。繁栄は代償に今も大地に傷をつけ続けている。

 施設は一切の人の気配がなく、鉄柱に巻き付くツタが途方もない時間の積もりを漂わせる。胸ポケットにピンで留めていた放射能検知紙が白から赤へと変化し始め、既に汚染地区に到達したことを告げていた。原発施設を通り抜け、更に奥地へと進む続けると広大な平地に複数の円錐型をした巨大な塔が姿を現した。塔は空に向かって丸い大口を開いており、まるで空を飲み込もうとしているかのよう。


「きっとあれだ」


 俺が指を差す先を瑞穂が見上げる。障害物を無くした強い風が彼女の長いまつ毛を揺らした。細められた目が空の先にある何かを見通そうとしている。俺は瑞穂の身体に異変がないか見回した。


「心配ない」


 気付いた瑞穂が答える。だが安心はできない。瑞穂の体がこの場所でどれだけ耐えうるのか分からない。放射能は俺と彼女の体をバラバラにしようと、今も見えない衝突を繰り返しているのだ。

 交信塔の扉は鎖で施錠されていた。瑞穂が拳銃を引き抜き、鎖に向かって指向したそのとき。


「どいてろ」


 破裂音と共に鼓膜を引き裂くかのような鉄同士がぶつかり合う音。巨大な運動エネルギーの塊が移動する衝撃が走る。刹那、鎖は強固な繋がりを解いてブラブラと揺れていた。


「拳銃じゃ威力が足りない」


 湿った足音と共に現れたのは、あの黒い兵士だった。地の底から這い出した、骸の兵士の姿は見当たらない。咄嗟に拳銃を黒い兵士へと指向しようとする瑞穂の腕を俺は上から押さえつけた。銃口が足元に落ち、不満そうにこちらを睨みつけてくる。俺はそれを無視して黒い兵士の方へと向き直る。


「あんた、甲賀麟太郎だな」


 兵士は頷きも否定の言葉も発しなかった。そして俺と瑞穂の隣を横切ると、鎖を錠から引き抜いて扉を開く。扉が錆の唸りをあげる。黒い兵士は無言を貫いたまま交信塔の中に入っていった。





 交信塔の中は朽ちた人工物の神秘的な退廃に満ちていた。錆混じりの雨漏りの雫が赤茶けて落ちると、その下には苔むしたコンクリートの亀裂。腐食した梯子の支柱が空洞の中身を露出させ、それが雨水の通り道となって根付いた苔へと水を運搬する。ツタは木の代わりに等間隔に配置された鉄柱を頼りに上へと伸びて光を目指していた。自然物と人工物の入り乱れた混沌を抜けると、原発施設で見たような機械群が押し合う部屋へと出た。甲賀麟太郎は手慣れた様子で機械装置を操作し始める。やがて起動し終えると、少し離れて待つ俺たちを手招きした。


「これから神のもとへと案内する」


 俺と瑞穂は顔を顔を見合わせた。案内された部屋は当然、神が祀られているようには見えないし、行き止まりでこれ以上進むべき道もない。


「どうやって」


 甲賀麟太郎は操作盤を細かく触りながら呟いた。


さ」


 突然、体から重量感が消えた。気圧の天井が消えたかのように意識が上方へと突き抜ける。だが事実として天井はそこにあった。無いと感じているのは俺の体の感覚だけだ。すると景色は左右に引き延ばされた。視覚において上下は繋がって曖昧になり左右だけが広がり、焦点の先から別の空間が溢れ出す。木々が横を通り抜け、川が足下を過ぎる。俺はその場で立ち尽くしいて、空間だけが高速に動いていた。空間はやがて急停止し、目前には陽光に照らされた桜の木。その下には和を模した服にセミロングの髪を紅いリボンでまとめた女性の姿。


「お待ちしていました。航」

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