第29話 戦場の夜明け

 冷涼とした霧が昇る。隣合う絵の具の色彩をした黎明の空の表に、建造物の尖塔の頂が戦場に影を落とす。さっきまでお互いに武器を突きつけ合っていたなど嘘のように、教会と機械派の両陣は静かに眠っていた。兵たちは大地へと横たわり、安らかな寝息を立てている。チチチッと鳴く鳥の声で、教会の騎士がの一人が頭を抑えながら起き上がった。示し合わせあかのように、その他の兵士たちも身を起こし始める。十字架のように胸にナイフが刺さっていた兵士は、慌てたように自身の胸部をまさぐる。しかしそこにナイフはなく、傷口もない。ガラス片に目を潰された兵士は目が見えていることに気が付くと大声で歓声を上げていた。両兵士たちは争い合っていた事実など脇へと追いやり、互いに何があったかを話し合って状況の把握に努め始めていた。

 悪夢は消え去り、元の時空間の歴史の渦へと還った。


 倒木に座りながら古枝を投げる俺の隣に瑞穂が立つ。俺は麟太郎が残していった火のない煙草を咥えてみたが、味も感動もしなかった。


「何をしたの」


「MMCで頭の中へ悪夢を叩きこんでやったのさ。迫真だったろ」


「たちの悪い悪戯ね」


「争いを止めたんだ。誰も死んでない。万々歳だ」


 瑞穂は呆れ顔で戦場を見渡した。悪夢は去り、戦場からは連合軍兵士もマークV戦車の姿もない。

 日立アキラと富士芳明が悪路に足をとあれながら肩を並べてこちらへと向かっているのが見えた。俺は咥えた煙草を指で弾いて飛ばす。煙草は粒になって量子の海へと消えた。立ち上がり、足元がおぼつかない二人へと大声をとばす。


「約束は守った。神もあんたらに用があるだとさ」


 俺は後ろを向けと手で合図を送る。振り返る二人の前に、MMCで網膜に描写される新宮八千代の姿があった。彼ら三人の顔合わせは、おそらく歴史に名を残すだろう。それはかつて東と西に大国の大統領が握手をするような幻の構図に見えなくもない。今となっては誰も知らない遥か昔の話だ。


「これからどうなるの」


 瑞穂の問いに俺は沈黙した。それはきっと誰にも分からないだろうから。


「古人曰く——未来とは白紙であり、不安であり、希望であり——そして俺たちの手の中にあるものらしい」


 全く新しい世界の訪れを感じ、俺は朝日に手をかざした。この確率の雲の中から俺たちが選び取るものが何なのか。不確定でもそれが最善であるように限界値を絞ることはできるはずだ。1センチと2センチの間は小数点で無限に区切ることができるわけではないことを、俺たちはもう知っている。


 確率は算出された。だからここからは、自身が望む場所へと近づけるように歩めばいい。

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