第16話 教会の襲撃

 乱暴に開かれた扉から、機械派ユニオンの構成員の男が雪崩れこんだ。息を整えることも忘れ、荒れた呼吸で言葉を繋ごうと喉を鳴らす。


「マズいことになった。教会の奴ら、この場所を」


 そこで言葉は途切れた。次の瞬間、構成員の腹が裂けた。突き出したのは堅固に鋭い人の手で、腹から飛び出た指先には切り裂かれた筋繊維がまとわりついている。構成員の男は溺れてしまったかのように声を震わせると、血反吐が口から零れ落ちた。首と腕は力なく垂れ下がり、体は自身を貫いた腕に背中から寄りかかるように力を失っている。手はやがて男の腹から抜け出し、主人のもとへと戻るように、背後からは異形の存在が現れた。

 細く研がれた眼光と端正な髪の男。眉の皺から30代半ばと推察できる。異様なのは、その男の右半身がまるで恐竜のように破壊的な変形をしていることだ。右目は赤黒く変色し、明らかに生命工学術の施術者の変貌だ。だがここまで攻撃的な施術は見たことがない。男の隣には同じように、目が赤黒く変色し、異常に発達した筋骨隆々の男が一人。


「岸部航だな。大人しく着いて来い。断ろうもんなら四肢を毟ってでも引きずっていく」


 人を人とも思わない惨殺に怖気づき、俺の体は硬直した。富士が俺を庇うようにして前へと出る。


「教会の奴ら随分と鼻が効く。その腕はなんのゲテモノだ。機械派ユニオンのお客人にお見せできる代物じゃあないな」


 軽口を叩く富士芳明に対し、異形の腕の二人組は物怖じせず威圧的に距離を詰めた。


「機械派め。我々の実験体を横取りしておきながら白々しい」


「自ら投棄しておいて何を言っているのやら——」


 富士が懐に手を忍ばせようとした瞬間、異形の二人組が駆けた。

 だがそれよりも早く、扉から目にも止まらぬ速さで何かが突入した。あまりの速度に、俺には丸い円の影のようにしか見えず、それが人なのか動物なのかも判断できない。円は、唯一光が差し込む扉の前で仁王立ちになると、破裂音と共に蝋燭の光が消えた。室内は闇に閉ざされ、異形の二人組は動揺で机上のグラスを落とす。割れた音と、グラスの中の水が弾ける音が絡み合った。


 と、痛烈な破裂音と共に閃光が瞬き、同時に異形の断末魔。破裂音は絶えず鳴り響き、そのたびに目を射抜く閃光が暗闇に閉ざされた部屋の中をストップモーションのようにして照らし出す。異形の二人組は一方的に攻撃を受けていた。生命工学術に高められた生命力を頼みの綱にして、突然の襲撃者に立ち向かおうとするも、近づくことも許されぬまま、やがて痛みに叫ぶ声は遠のき、部屋の暗闇へと消える。


 ギィっと、扉が風に押されるようにして開く。扉越しの光に映る背から伸びる両腕の先には、しなやかな白い指。手中には鉄製の筒が握り締められていた。筒の先からは薄い煙が立ち上り、部屋の埃と舞うと消えていく。


「翠は拳銃も完成させたのか。素晴らしい制圧力じゃないか」


 富士は拳銃という武器を握る人物の肩に手を置いた。


「いい調子だ」


 女性のシルエット。

 扉は更にゆっくりと開き、二丁の拳銃を握る女性の全体像が露わになる。


「馬鹿な」


 出た言葉はたったの三文字。見間違えようもない。教会の術科で何度もお互いに傷を付け合うほどに立ち合ったのだから。先塔群から吹く夕暮れの風は、今もなお記憶に焼き付いている。炎で焼かれたなど嘘のように、艶のある黒い髪はまっすぐで、キメの細かい肌は火傷一つも見当たらない。それは未調査地区で焼き払われた葦原瑞穂本人。だがその可憐な体には、不釣り合いな鉄細工が施されていた。それは鎧のように身にまとうものとは一線を画した、体を構成する機械の数々だ。

 人から大きく遠ざかった瑞穂の姿に動揺も隠さず、俺はその変貌に絶句した。

 扉から翠さんが姿を表す。


「調子はどう」


「異状は無い」


 瑞穂は無駄のない正確な角度で首を連城翠へと向けると、抑揚のない声で答えた。瑞穂の肩越しに富士が笑う。


「素晴らしい。我々は遂に完成させたんだ」


「瑞穂のこの姿は何だ」


 我を忘れて富士の両肩を掴むと、飛ぶ唾も気にせず問いただす。瑞穂の体は生命の熱が取り除かれ、そこには機械の精密な結束がある。


「見ての通りだ。彼女の損傷はあまりに酷かった。一命を取り留めたが、元の体の大部分は酷い火傷で壊死し始めていた。だからその体を作り替えたのさ」


 富士は俺に背を向けていた瑞穂の肩を掴むと、くるりと回して正面へと正した。瑞穂の冷たかった瞳は、熱のない無機質へと変貌している。


「彼女は人類初のサイバネティクス生命体。体の一部と脳を除く大部分を機械化している。おっと、彼女を過去の技術でいうロボットだの人工知能だのといったちんけなテクノロジーといっしょにしないでくれよ。彼女はサイバネティクスなのだから」


「生命体だと。ふざけるな。これじゃあまるで——」


 機械仕掛けの人形姫。可憐さは失わず、だが生命の熱を失った瑞穂はそう揶揄しても遜色のない美貌と冷淡の両立がある。


「彼女を生命体だと認められないのか。教会の失敗作どもや、そこに転がる異形どもは人間だと受け入れられるのにか」


 言い返そうと口を開いたがその先が続かない。生命工学術の施術者に比べれば、瑞穂はずっと人間の形を留めていたから。


「彼女は君が思うよりずっと人間的な部分を失ってなどいないよ。脳にはシナプス加重パラメータを備えているから感情的だし、人工皮膚の触覚フィードバックのおかげで触感もある。鋼化神経ハードワイヤード で体の反応速度は人並み以上だが、他者と会話をし、触れ合う喜びを理解している。君はそんな彼女の人間性ヒューマニティを否定することを望むのか」


「戯言だ。こんなにも機械化がすすんでしまっては、瑞穂が本来の瑞穂であるという根拠はどこにも無いじゃないか。脳がオリジナルでも臓器や血液はまるまる人工物なんだろ。これじゃあまるで、瑞穂によく似た別の何かだ」


「おかしなことを言う。体の細胞は日々の代謝で生まれ変わっている。数年経てば全ての細胞が入れ替わる。身体的なオリジナリティなんて数年で消えてなくなるんだ。自己意識にしても、他人を見て、社会を見て、そうして積み上げられたものが自身の意識となっていく。つまり意識の根幹はから始まる。だから君の御立派な自己意識も、連続する模倣の連鎖に過ぎない。そして、今ここにいる葦原瑞穂の意識は、生命工学術とMMCを利用して僕が高度に彼女を模倣化したものだ。彼女と話してみるといい。君はきっと、人間だった葦原瑞穂と、サイバネティクス化した葦原瑞穂の区別をつけることができない。彼女自身でさえ以前の自分と今の自分の意識を区別することができないんだ。それはつまり、ここにいる彼女は葦原瑞穂本人であるということに他ならないのさ」


 瑞穂を見ると、彼女は視線を床へと落とした。自身の体の変化についてこられないかのように、表情には混乱の色が渦巻いている。


「私は生きている。今はそれで充分」


 瑞穂のしたそれはまさに瑞穂そのものであり、目を閉じればきっと区別がつかない。しかし彼女の彼女らしさと、温度の消えた剥き出しの鉄が反発し、内部の俺が彼女を瑞穂だと受け入れられないと足掻き苦しむ。

 瑞穂の言う通り、彼女は死んでいない。それで充分なはずなのに、俺と瑞穂の距離は見えているのに届かない永遠へと隔たれたような、そんな2度と手の届かない幻へと生まれ変わったかのように思えてならない。彼女の内部の奥深く、機械同士の摩擦が起こすキーンとした高い音が耳をついた。


「クソ。模倣しているならそれは偽物じゃないか。何故そうだと言ってくれないんだ」


 俺のヤケクソな言い分を富士は鼻で笑った。その馬鹿にした顔に怒る気力もなく、俺の焦燥は全て彼女へと向けられている。


「意識にオリジナリティがあるというのは勘違いだ。そもそも人の意識とは、行動してから300ミリ秒後に意識として現れる。これは人は理由があって行動しているのではなく、行動した後に理由を作っていることを表している。意識とは拒否権だ。複数の運動プロセスから適切でないプロセスを拒否する機能でしかない。そこで一貫性を求められたとき、意識は行動理由を合理化する。そのための機能であり、何も他の動物にはない神聖で特別な機能なんかじゃないのさ。過去の人々は個人が責任を担保して自由意志を強化していたようだけど、全くマヌケな話だと思わないかい。だって自由な意志なんてどこにもないっていうのにさ。僕たちの意識に許されているのは拒否権だけだというのに」


 富士は生きる人全てを馬鹿にしたように笑う。そんな軽薄さで瑞穂の体を弄んだことに腹が立ち、俺は声を荒げた。


「ふざけるな。ならお前の貧相な意識とやらはなぜ機械派ユニオンなんて組織を作った」


「決まっている。真に自由な意志を手に入れるためさ。僕の意識はこの見せかけの自由意志を拒否し、幻想を打ち払えと囁いている。人は断じて合理的で機械的などではなく、感情的で移ろいやすい危険性を伴った、その先に意識というやや特殊な能力を進化の過程で獲得した生き物でしかないことは科学が証明した。だから意識の幻想からの解放は容易じゃない。僕はこの呪縛を機械力で越えていく。さて、もう一度質問しよう。君はまだ、彼女の人間性ヒューマニティを否定するというのか」

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