第33話 未来は僕らの手の中に
「本当にここでよろしくて?」
「ええ。少し見て回りたいので」
パワーウィンドウの先の竹内さんにお礼を言う。車の中で慣れない現代の服に着替えてから近くの駅前で降ろしてもらった。改札口は忙しなく乗客の反芻をしている。
「あまりこの時代のことは分からんでしょう」
「見たところ、資料で見た過去の街並みによく似ているので何とかなると思います」
街の景観は麟太郎の記憶と似ている。さすがにMMCをインターネットに接続することはできなかったが、量子が物理の基準となった現代でも完全な電子化は未だに達成できていないらしい。目的地まではとても徒歩で行ける距離ではなかったが、複雑な乗り換えをしなくても電車で辿り着くようだ。
「私は先に戻って準備を進めております。それとこれを」
竹内さんは俺に何枚かの貨幣と真っ黒な6インチ程の携帯端末を握らせた。
「この端末は?」
「その端末はMMCにアクセスしてあなたの記憶を増幅させるアプリケーションがインストールされております。あなたにとっては一瞬でも、三百年の空白があります。万が一、記憶に齟齬があった場合のために用意しました。道中に思い出に浸るのも一興。それでは、くれぐれもお気をつけて」
そして自動車で街先へと消えていく。俺は券売機で乗車券を購入して残りの貨幣をポケットへと突っ込んだ。
※
人がまばらな鉄道の中で適当な座席に腰をかける。世界で俺一人だけが違う世界へと旅立とうとしているかのよう。スピーカーからは聞きなれない次の到着駅がアナウンスされている。ガタンゴトンとリズミカルな駆動音が、馬車の歯車が土の上を回る音の鮮明な記憶と重なり合う。天井はよく分からない広告が所狭しとぶら下がり、つり革が振動と同調して揺れる。窓から景色を眺めれば、尖塔群の代わりに生い茂るコンクリートジャングル。水平直角一直線の幾何学模様が次々に視界へと入り込み、寸分狂わぬ計算式の台風となって吹き荒れる。
まさに俺はただ一人、異なる世界へと到達した。とても寂しくて、でもこうして見える街は何故だか懐かしくもあり、まるで闇鍋から様々な感情を引っ掴んでは口へと放り込んでいるような気分。そんな感情の渦などいざ知らず、窓に映る俺の顔は鼻に付く無表情だった。
まだ思い出に浸るには早いが、あの頃の感情を思い出したくなって竹内さんに貰った携帯端末を開く。数個のシーケンスに分割されていた。
映像を再生する。アルバムをめくるときのような神聖な期待をこめて。
※
全てのシーケンスを終えた俺は自分の中で感情のゆらぎが振動しているのを感じ取った。随分と長い間、懐かしいという気持ちを忘れていたから未だに心の中で整理がつかない。
いつの間にか電車は街を外れて閑静な住宅街へと入っていた。誰もいない公園と溝蓋の上を歩く猫が通り過ぎる。
俺は拡張現実に浮かぶ最後の記憶の小箱を選択した。そこには”未来は僕らの手の中に”と題されていて、これまでの血なまぐささとは一線を画している。まるで幼少期のアルバムを開くような小っ恥ずかしさがあったけど、この思い出はきっとかけがえのないものだ。だが歳をとるとどうにも感情の起伏が鈍くなるらしい。爺さんと婆さんが大声を上げて笑ったり怒ったりしないのはそういうことだ。ここ最近は馬鹿みたいに笑っていない気がする。
記憶の増幅はやや過剰ではあったが、たまにはエモーショナルになるのも悪くない。景色は代り映えのない摩天楼が消え、田園と森林が交互している。薄く反射する俺の顔はさっきのビルのような無表情。
そんな無表情な少年の頬に一筋の光が尾を引く。たったの一滴だが、充分な一滴だ。親指の付け根で頬を下から上へと拭っていると、アナウンスが目的地の駅名を告げた。
鉄道から降りると同時にひぐらしの合唱に包まれる。匂いたつ木と土の先にある無人の改札から西日が差し、発車してトンネルへと潜り込む鉄道を誘導しているかのよう。改札をぬけて自販機でミネラルウォーターを買い、一口飲んでから脚が鉄で補強された木製のベンチに座った。竹内さんはここで待っていると言っていたがその姿はない。もう座ることにも飽きたなと独り言ちて立ち上がると、西日に照らされた道路から女性が歩いてきた。
息が止まる。
長くまとめられた黒髪。その前髪の裏から望む青ざめた瞳。緊張に喉が震えたが、相も変わらず強い意志をもった視線に可笑しくなって笑ってしまう。
女性は俺の前で立ち止まると、手を差し伸べて微笑んだ。
暗く、誰かに寄り添うような冷たさで。
「おかえり。航」
突撃都市 山下 式 @Type_Yamashita
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