会稽で名高いのはやはり書聖と崇められる王羲之でありましょう。しかし惜しむらくはその真筆がこの世に全く存在しないことで、なんでもその書を愛した過去の皇帝が、自分の陵墓の中に全て持ち込んでしまったと伝わっているのです。しかし幸いにもその模写はたくさん世に行われ、王羲之の書風を間接的にではありますが、鑑賞することができました。特にもてはやされたのが唐代の褚遂良の模写で、その完成度の高さは、好事家たちの間でも大人気でございました。


 あるとき、子柳は会稽郡に居を構える田修という書家の宴に招かれたことがございました。田修は会稽でも指折りの好事家でありまして、その収蔵品の数には目を見張るものがございました。中でも、特に自慢にしていたものが、かの褚遂良が模写するところの王羲之「蘭亭序」だったのです。模写とはいえ、入手するのは大変です。何しろ、金銀珠玉を山と積んだとしても、皇帝の勅命だとしても、おいそれと手に入れることはできないのですから。田修にとってはまさに一世一代の買い物、大枚をはたいたであろうことは想像に難くありません。


 子柳は田修宅でその模写を目にするや、食べることも忘れて見入っておりました。やがて筆墨を所望すると、まるで何かに取り憑かれたかのように、一気呵成に写し取ったのです。すぐさま軸に仕立てて両者を並べたところ、その場に居合わせた玄人たちでさえ見分けがつきませんでした。まるで褚遂良、いや王羲之の魂魄が宿ったとしか思えません。あまりの出来映えに、田修も呆然とするばかりだったといいます。

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