二十三、王女

 王女という言葉に反応した俺を、一瞬だけ一瞥した少女。背丈はルゥシィとさほど変わらない小柄な彼女は、しかし、まるで興味がないと言わんばかりに俺の存在を意識から弾きだすと、その足を進め始める。


「では、語ってもらおう。と言いたいところだが、余が相手では楽に話せぬよな」


 シャーロットと呼ばれた王女は、再び俺の方へ一瞥を投げると。


「そこのお前が話を聞け。余は大人しく聞き耳を立てるとしよう」


 王女は顎で指示を飛ばす、護衛の中から一人が俺の側へと駆け寄り無言で肩を添え俺たちは歩き始めた。


「ぁ、ありがたき幸せ。私のような下賤な者のお言葉を貴女様のお耳に入れます事お許しください」


「よい! とにかく話せ」


「はい」




 そして、ルゥシィの父親の語る言葉を聞きながら、俺は彼女の過去に触れていく。






 ————ルゥシフィル・リーベルシア、彼女は。






 私クロイドと妻オリビアの間には一人の娘がいた。


 若くして結婚した私達は、苦労もしたが娘と三人で慎しくも幸せに暮らしていた。しかし、私達の平和な暮らしも長くは続かなかった。私達の娘“ルゥシフィル”が十五歳の開花式で“暗殺者アサシン”と言う天職に目覚めてしまったのだ。


 この国には、暗黙の法があった。それは、子供が戦闘系と判断された場合、親は子供に関する全ての権利を政府に差し出さなければならないと言うもの。

 私達夫婦は絶望した。なぜ戦闘系とは無縁である筈の私達夫婦の間に戦闘系の子が生まれたのか。これは後にわかった事だが、私の血筋に戦闘系の祖先がいたのだ。


 しかし、まだ希望はあった。戦闘系の天職に選ばれた子供達は能力値に応じたランク付けをされる。ランク“C〜E”の判定を受ければ苦労はするが政府監視のもと普通の暮らしを送ることも出来るのだ。


 だが、そんな僅かな希望も粉々に砕かれる。ルゥシフィルのランクは“SS”『最重要戦闘系天職』として認定されてしまった。


 妻との間に再び子供ができる事はなく、日に日に妻は精神を病むようになり。私は少しでも娘の側に居たい一心で政府機関の職員となって、戦闘系の情報を解析する研究職につく事が出来た。


 それから数年後、私達の元に届いたのは最悪の知らせであった。



 ————ルゥシフィル・リーベルシア十八歳。戦闘中の負傷により死去。



 妻はショックのあまり床に伏せ、私達夫婦は絶望の淵に立たされてしまう。そんな時だった。


 『サクリファイス・チルドレン計画』が持ち上がったのは。


 当時、私は情報解析の能力を買われ、極秘の研究にも関わるようになっていた。そして、娘の死去を知らされると同時に私のもとへ送られてきたのはあの子の“腕輪”と、鮮やかな桜色の髪色をした幼い少女であった。

 そうして、私は悪魔のような計画を言い渡される。


 それは————


『第二のルゥシフィルを創れ』



 私は戦慄した。この国はどこか歪んでいる。その時になって初めて激しい嫌悪と憎悪をエリシャ王国に対して抱いたのだった。


 しかし、私達夫婦は適性のあると判断された幼い少女を受け入れ、娘と同じ“ルゥシフィル”という名を与え、本来であれば不必要な愛情を注ぎ、我が子の様に育てた。


 この時私は気がつくべきだった。妻の心が、この歪な関係に病んでいっていたと言うことに。


 サクリファイスチルドレン計画の実験は成長過程の子供に少しずつ“腕輪”に蓄積された魂の情報を植え込み、十五歳の開花までに天職を定着させていくと言うものであった。だが、私はもうこの子“ルゥシフィル”を手放したくないと言う感情から、虚偽の報告を行いあの子に実験を行う事はしなかった。



 しかし、運命は私達を逃してはくれない。事件が起きてしまったのだ。



 ある日、帰りの遅いあの子を心配して妻から連絡が入り、胸騒ぎを覚えた私は捜索の為研究室を後にした。そして私は偶然にも同い年ぐらいの男の子と一緒に塔の真裏にある実験場へと入り込んでいくあの子の姿を目撃し、急ぎ後を追った。あの場所には危険な“魔物”を試験的に復活させる実験が行われていたからだ。


 しかし、時は既に遅かった。


 私が目にしたのは小さな身体に痛々しい爪痕を刻まれたルゥシィの姿だった。そこには赤く目を光らせた大型犬のような魔物ヘル・ハウンドが佇んでおり、本来はもっと恐ろしい魔物らしいが試験的に生み出された為か、その力は不安定であった。


 だが幼い子供を瀕死に至らしめるには十分すぎる力。この時も私はこの国が何をしようとしているのか、こんな危険な生き物をなぜ作り出したのか心底呪いたくなった。

 そして、私の手に握りしめていた“偶然”も同時に呪いたくなったのだ。


 あるいは、そのまま息を引き取った方が幸せだったのかもしれない。しかし私は手にしていた可能性に賭けずにはいられなかった。


 この日、この時に私は、独自に研究していた“サクリファイスリング”から魂の情報だけを抜き取り、結晶化させる事に成功していた。

 意味はなかった。冷たい腕輪の中に封じられているであろう、娘の魂を取り出したかった。この先この魂が他の誰かに植え付けられるなど耐え難かった。ただ、それだけだったのだ。


 しかし、この時の私に、思いとどまる選択肢など無かった。この魂をこの子に与えればもしかしたら。


 何を期待していたのか。もしかしたら本当のルゥシフィルが蘇るかもしれないなんて淡い希望を抱いていたのかもしれない。どちらにしても“ルゥシィ”にとっては最悪な事に変わりはない。


 駆け寄った私は、周囲の事など気にする間も無くその胸に結晶を刺した。するとその結晶は氷のように幼い身体へと溶け込み、瞬く間に傷跡が塞がると、その顔に生気が戻っていった。


 しかし、次の瞬間。


 目を開いた“ルゥシィ”は瞬時に腕の中から消え、気が付けばどこからか手にした“漆黒の刀”を持って魔物の首を跳ねていた。


 少女は無表情に立ち尽くし、跳ねた首をただジッと色の無い瞳で見つめていた。それは誰でもない少女だった。元気で明るかった元の“ルゥシィ”でも、愛し求めた娘でもない。空っぽの人形のような一人の少女がそこに立っていた。


 どこから、間違えたのか。私は最も忌避した結果を自らの手で作り出してしまったのだ。






 □■□■□






 俺はただ、無言でルゥシィの父親、そう呼ぶ事は果たして正しいのか。だが、今そこに拘る意味はない。だから、静かに言葉を聞いていた。


 でも、これは……あまりにも、あまりにも不憫ふびんだろう? 彼女は、ルゥシィはこの事を知っているのだろうか? だとしたどんな気持ちだ? まるで想像もできない。一つだけわかる事があるなら、それは、まともな精神状態ではいられないって事だ。


「だから、記憶がなくなったのか?」


 俺はここに来て初めて口を開いた。そして男は静かに頷いて応える。


「あの子の自我はあの瞬間完全に崩壊した。だから私は考えうる全ての手を尽くしあの子の中に取り込まれた“ルゥシフィル”の魂とあの子の魂を隔離出来ないかと試みたのだが」


「……」


「あの子の魂と“ルゥシフィル”の魂は完全に一つとなっていた。だが、程なくしてあの子は急速に人格を取り戻し始め、心を回復させたのだ」


「それが、今のルゥシィって訳か。それは元々あんたらの————」

「わからない。もう、あの子の持つ“心”がルゥシフィルの物なのか本来の人格なのか、新たに生まれた物なのか」


 男は首を振って俺の疑問に応え、その表情を真剣なものに変えると、顔を上げて口を開く。


「私に出来る償いは、あの子の未来を守る事だけだった。だから、私は更に研究を続け、あの子の中にサクリファイスリングを無力化するプロテクトシステムを構築する事に成功したんだ」


「————腕輪を無力化だと?! そんな事が……じゃあ、あいつには」


「あの子は腕輪に支配されない。そしてこの研究が表沙汰になれば」


「全ての戦闘系天職を持つ者たちが解放される。間違いなく今もくすぶっておる革命家気取りの戦闘系どもが戦争を引き起こすであろうなぁ?」


 少女とは思えない雰囲気を漂わせ不適な笑みを溢す王女は、動揺するわけでもなく背後に佇み会話のいく末を見守っていた。


 俺は、そんな危険な情報を政府側の人間、ましてや王族なんかに話してしまっていいのかと焦燥を顕にするが。


「君が心配するような事にはならない、このお方は————」

「それ以上はよい。とにかく“完成”していたのだな?」


 王女シャーロットは言葉を遮って意味深に問いかけ。男はそれに深く頷いて応える。


「ですが、まさかこのような事態に陥ってしまうとは。これも全てあの子に事実を語る事を先延ばしにしてしまった私の失態です」


 おそらく、この二人の間には何らかのやり取りがあると見て間違いない。そして、この国も一枚岩ではない? 

 ルゥシィは“あの時”逃げなくても、腕輪に支配される事は無かった。あいつの勇気は、この国に立ち向かった覚悟は無駄だったと言うのか? 

 いや、そんな事ない。少なくとも俺は、彼女がいてくれなければここにいる事すら出来なかった。



 ————どこにいるんだ? ルゥシィ? 無事でいてくれ。



 俺とルゥシィの父、王女シャーロットはそれぞれに思惑を抱きながら、彼女の後を追いかける。


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