七、向き合うべき現実

 

 閑散とした室内に、ガチャリと重みのある音が響き渡る。


「こんにちは? 誰も、いませんよねぇ?」


 ゆっくりとハッチを開き少しだけ顔を覗かせると、書斎のような部屋が見える。じっと聞き耳を立てて様子を伺うが、物音はしない。


「大丈夫みたい……まだレインくんがいてくれたら良かったのに」


 人の気配がしない事を確認すると、ハッチを開き、身を乗り出す。そこはやはり書斎で、恐らく彼の父が使用していた部屋だろう。事務机の真下からのっそりと這い出し扉まで近づくと耳をあて部屋の外に人気がないか確認し。


「よし、問題ないっ、て……これは」


 よくよく部屋を見回せば、まるで家探しをした様に散乱した本や小物……間違いなく誰かが捜索した形跡が残っており。


「やっぱりあの人達が来たんだ、私達を探して。レインくん大丈夫かな」


 彼の不器用な表情が頭の隅をかすめ、焦燥感が心をさいなむ。私は一先ず家の状況を確かめる為、ゆっくりと扉を開き、顔だけを覗かせて周囲の様子を確認。


「誰もいませんように」


 物音を立てないよう、そっと廊下へと足を踏み出す。

 挙動不審になりながらもリビングやダイニング、最初に寝かされていた寝室などを見て回る。

 この家には間違いなく私しか居ないようだ。変わり果てた室内の様相に思わず暗い感情が差し込む。


「私がレインくんと関わらなかったら、こんな」


 彼が居たらきっと「気にするな……」と不器用ながらに言ってくれるのかも知れない、けれど、今この状況で自分を責めずにいるなど私には不可能だった。


 どこか刺すような胸の痛みを覚えながら、部屋を歩いているとダイニングの上に使った覚えのない二組のマグカップ、手を付けていないトースト。それも二皿。そして床には使用感のある包帯。


——私を待っていた? それとも誰か別の人?


 よくわからない状況に頭を捻っていると風の抜ける感覚に肩を跳ねさせ、慌てて振り返る。

 すると、勝手口の扉が半開きになっており、慌てて近寄ると外に誰もいない事を確認してからそっと扉を閉める。


「なんか、怖いよ。本当に誰もいないよねぇ?」


 身を隠すように移動しながら、再び周囲を警戒するが物音一つしない。ただ静寂だけが散らかった室内に横たわる。


私は思い出した過去の光景を頼りに家の中を恐る恐る確認して周り、その途中。


「二階? 確か、レインくんの」

 

 そう、彼の部屋は確か二階。本人がいない時に部屋を覗くのは忍びないとは思う、けれど何か手がかりがあるかも知れない。


 そう自分に言い聞かせながら、ゆっくりと階段を登っていく。二階に着くと直ぐに部屋があった、そっとドアノブに手をかけ、緊張しながら室内へと入る。


 どこか懐かしい空気を感じながら足を踏み入れたその部屋は、特に荒らされた形跡もない。それどころか、まるで時が止まったような。


「……レインくん」


 床に転がっていたクレヨン、壁には無造作に貼り散らかした幼い絵。

 描かれているのは、手を握り合う桜色の髪をした女の子と、濃い青色で描かれた男の子。


 床一面に広がる模造紙には「ひみつのけいかく」という題で、何の落書きなのかわからない絵が沢山あって。大きな犬、一際高く描かれた塔、真っ暗な空、恐らく私の家と、この家。

 そして塔の上には泣いている男の子。


「あぁ、そうだ、そうだったね? レインくん……ごめんね、私……忘れちゃってて」


 ポロポロと溢れ出した大粒の涙は、頬を伝い、模造紙に描かれている幼い絵を淡く滲ませる。

 胸の奥で、はち切れそうな程膨らんだ感情が抑えきれずにこぼれ落ち、床に落ちていたクレヨンと画用紙を胸に抱きながら、声を殺して泣いた。


「————」


 ふいに窓の外から人の気配を感じ、飛び跳ねるように立ち上がると、そっと窓際に身を寄せ外の様子を確認する。玄関の入り口付近に魔装銃を携帯した男が二人、身を潜める様に待機している姿が見えた。


「私たちが中にいなかったから帰ってきた時の為に見張ってるんだ」


 その様子を二階から観察していると、装備のヘルメットを深く被った隊員の一人が僅かに片足を引くように玄関入り口へと近づくと、待機していた隊員二人が気配を察したように銃を構え飛び出す。

 しかし、同じ隊員だとわかった様子で、直ぐに魔装銃を下ろした。


「————」


「————」


 何かやり取りをしているように見えるが、当然会話は聞こえない。緊張の面持ちで注意深く様子を観察していると、後から来た隊員と話し終えた二人組は急いでその場を去って行った。


「どっか行っちゃった? 何かあったのかな」


 不穏な思いが感情を支配する、しかしまだ一人下に残っている事を思い出し、気を取り直して様子を観察しようと窓を覗く。


「————!! こっち見てた……見つかったかな」


 窓を覗いた瞬間、その場で立ち尽くしながらこちらを見上げる隊員の姿に思わず身を隠す。

 緊張に身体を硬直させながら、もう一度確かめようとゆっくり窓の淵から様子を伺い。


「良かった。バレてなかった」


窓を覗くと、片足を引くようにその場から離れていく隊員の後ろ姿が見え、ホッと胸を撫で下ろすと。

思わずその場にへたり込んで、ため息をついた。


「早く、レインくんを助けないと」


 唇を強く結び直し、スッと立ち上がる。今は弱音を吐いている時間など一秒だってない。






□■□■□






物音一つしないリビング。未だにテーブルの上には手の付けられていないカップと乾燥したパン。

静かに目を閉じて、深呼吸をする。そして、自分の中にあるもう一つの自分……あの時の感覚を思い出しながら。


「スキル……解放!」


「……」


 静まりかえったリビングに響いた声は、しかし、何の変化ももたらす事なく直ぐに消え去り。


「ダメだぁ全然出来ない!! 今から先この力を上手く使えないと……諦めちゃダメだ、練習あるのみ!」


 それから数度、自分なりの感覚で挑戦しては見るものの、全く上手くいかない。

 台詞が違う? あの時、なんかこう……グワっと熱くなって、気がついたらスキルの名前を。


「ぁ、名前! 名前……なんだっけ」


 あの時は、無我夢中だったのでなんとなく意識はあるのだけれど、記憶が曖昧ではっきりとは思い出せない。


「ステータスパスがあれば、スキルの名前もわかるのに。でも、一度出来たんだから出来るはず」


 再び視界を閉じた私は、記憶の糸を手繰るようにゆっくりと時間を巻き戻して行く。


——銃を向けた人達。レインくんの表情……


 深い記憶の海へと意識が潜って行くように、少しずつ。


——過去の記憶? 事件? 血塗れの犬、お父さん……泣いている男の子。


 意識は徐々に潜って行く。深く、更に深く。


——夜の散歩。泣いている母、知らない部屋……眩しい明かり。


 この記憶はなんだろう。私は一体何を忘れてる? レインくんとの事。あの事件、もう一つの私。

 本当の私……暗殺者アサシンである私。

 全部思い出したはず。でも、この心に残るもやもやは何? あの日私は彼を守ろうとして。


 ——血だらけの犬。私が殺した。邪魔だったから。


 ぇ? でもあれは、お父さんが止めて、事故で……


——銃を向けた男たち。


 そういえば、どうやって。


——飛び散る鮮血、落ちる腕。私が斬った。


「私が……斬った? あの人達の腕を」


——私が腕を斬り落とした。


「私が、私————っぅう」


 鮮明に蘇る記憶、その光景に思わず口元を押さえ、うずくまる。


「わ、わだじが? 腕をっ、ぅっうぅ」


 ついに堪えきれずその場で嘔吐してしまい、茫然とへたり込む。


「あれも? 私がやった、あの事件も私が」


 幼い日の記憶。父の叫ぶ声、泣きじゃくる男の子、大きな犬……転がる首。


「事故なんかじゃない。私が、私の力で……殺したっ」


 何故、忘れていたのだろうか。何故疑問に思う事なく、過ごす事が出来たのだろうか。

 それからだ、夜中に泣き叫ぶ私を父がおぶっては夜の散歩に出かけ。起きたら朝になって。

 父はどこに行っていたのだろう。何故、事情を知らない筈の母は泣いていたのだろう。


「私は、これと、こんな事と向き合わなきゃいけないの?」


 何を勘違いしていたのだろう、肝心な所を見ないで、何故納得できていたのだろう。

 私は……向き合わなきゃならない、私は受け入れなければいけない。


「……無理、だよ」


——私は、暗殺者アサシンなのだから。



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