十八、漆黒の獣

 

 どのくらい戦い続けているだろう。一瞬でも攻撃の手を休めれば再び、あの炎がくる。二匹を離さないように、牽制しながら私達は必死に攻撃を繰り返し続けた。

 彼も何とかギリギリのところでヘル・ハウンドの反撃を交わし、魔装銃で応戦しているが残弾もあとどのくらい持つか。逃走も考えたけど、重症のロゼさんを抱えてこの場を逃げる事など不可能に近い。


 疲労も溜まってきた。攻撃の冴えも鈍ってきたように思える。レインくんの言っていた“首を落とす”事でしかこの二匹を倒せないのだとしたら。


 無理だ、今手元にあるのは刀身の短いクルガナイフだけ。あの野太い首を一瞬のうちに斬り落とすなんて不可能だ。

 せめて、あの時みたいにスキルが使えたら。



————お願い、今力が必要なの!! 私の中に力があるなら……目覚めてっ!!



 しかし、私の力が想いに応えてくれる事は無かった。


 どうしたらいいのか、このままでは間違いなく負ける。いや、そんな生優しい結果ではすまない。

 “全員の死”そんな最悪の結果が頭の中を支配する。これだけの騒ぎを起こしているのだ、異変に気がついた人間が増援を送り込むかもしれない。どちらにしても終わりだ。



————どうしたら、一体どうしたいいの。



 思考の揺らぎが、身体の動きを鈍らせ。一瞬、私は隙をつくってしまい。


「——くぅっ!!」

「ルゥシィ!?」


 鋭い前足の一撃をまともに受けてしまった私は大きく弾き飛ばされ。彼の叫び声を聞きながら地面を滑る。


「————」


 倒れた私を追撃してきた漆黒の獣は、その前足で私の身体を押さえ付け、唸り声をあげる。



————こんなところで、終わりなんて。まだ、何も……何もできてないのに。



「ルゥシィを離せぇええ!!」


 彼の声が聞こえる。必死に銃撃を繰り返しながら私の元に駆け寄ろうと。


「くそっ! 邪魔すんじゃねぇ!!」


 しかし、もう一匹のヘル・ハウンドに阻まれ身動きが取れないようだ。



————せめて、彼だけでも。



「————」


 必死に身体を動かそうともがく、ずしりと乗った前足はびくともしない。それどころか。


「ぐっ、あぁあああ」


 ミシミシと嫌な音が身体から聞こえる。このままでは彼を助けるどころか、私は押し潰されて死んでしまう。




 ————誰か! 誰か……助けて。



 段々と遠くなる意識の中で、私は誰ともわからない。来るはずもない助けを求め。






「あたしの“おねぇちゃん”になんてことしてくれてんのよ!?」






 響き渡る聞き慣れた叫び声。そして、私が一番安心できて。今、一番聞きたくなかった声。


 新たな獲物に反応した漆黒の獣は、私の上から前足をどけ叫び声を発した本人を訝しむように見据え。


「だ、ダメ……ダメ!! エリシア! お願い、お願いだから。逃げて!!」


 これ以上はダメだ。彼女まで、エリシアまで失ったら私は。死んでも、死にきれない。

 なぜ、降りてきてしまったのか。正義感の強いエリシアの事だ、私達の姿を見るに絶えなかったのだろう。だけど、これじゃまるで。


 必死に痛む身体を起こし、声を発した私に笑みを返す親友の姿。


「ダメ、ダメだよエリシア」


 こんな事で助かったって、私は救われない。彼女を犠牲にして逃げる事なんて出来ない。

 私は強く唇を噛みしめ、痛みを堪えながら立ち上がる。


「力を貸しなさいよ……今エリシアを助けられなかったら、死んでやるんだから」


 私は、自分の中に眠っている“力”にこれが最後だと言わんばかりの想いで語りかける。すると、頭に走る痛み。

見た事もない記憶、映像が脳裏を過ぎる。






 ————私は、あなた。私は、私。受け入れて? あなた自身を。そして私の妹を助けて。






 私の中に私の声が響く。何を言っているの? 意味がわからない。でも、この感覚。


 意識が急速に遠のく。いけない、この感覚に呑まれたら。私が力を制御しなきゃ。

 心の奥底に眠っている力の根源。それをつかみ取るように。

 全身に流れ出す力の放流を感じる。


 私は目を見開いた。


「わかる、私の力……エリシア! 今——」


 しかし、次の瞬間。私は驚きに声を失った。


「ぇ」


 それは、彼も同じだった。とても不思議な光景を目の当たりにしたように、構えていた魔装銃をだらりと下げ唖然としている。


「エリシア?」


 目の前には、まるで主人に仕える様に頭を垂れエリシアの前に座り込む地獄の番犬が二匹。

 そして、私の親友はあろう事か先程まで私達を死の淵へ追いやろうとしていた凶悪な獣の頭をまるでペットのように撫でているのだ。


「ルゥシィ! もう大丈夫だよ!!」



「ぇーっと。なにこれ?」






 □■□■□






「それで? これは一体どういう事なのかな?!」


 私は怒っていた。それは、何故だかわからない理由により無力化され、あまつさえエリシアへと尻尾を振っている巨大な犬二匹。正直なところ安堵しているのだけれど、本当に心配したのだ。目の前で親友が死ぬ光景を一瞬でも想像してしまった。このやり場のない感情を多少ぶつけても許されるのではないだろうか。


「ぁ、なんか、ごめんね? あたしも半分賭けだったんだけど、行けるかな? って」


「もぅ!! 笑い事じゃないよっ! 本当に、本当にもうダメかもしれないって」


 へらっといつもの調子で応える親友に、私はこみ上げてくる複雑な感情をぶつけるように吐き出し。


「あたしだって同じだよっ!! このまま、なにも出来ないまま見てることしかできないのかなって、そんなの絶対に嫌だって思ったら急にあたしの中で力が目覚めて」


 エリシアは言い募る私に、同じく感情をさらけ出し。私達は二人して今にも泣いてしまう子供のような表情で向き合い。


「二人とも、その辺にしておけ。誰か来ても面倒だ、それにエリシアに助けられたのは事実だろ?」


 その通りだった。私はまず言わなければならない、自分の身を顧みず私達のために戦った大好きな親友に。


「ありがとう、エリシア。本当に無事でよかった」


「うんう、ルゥシィも——」


「「クゥ〜ン」」


 抱き合う私とエリシア——と巨大な地獄の番犬二匹。


「ぅわっ!? びっくりした! もう本当にどうなってるの?」


「そうだな、エリシアの力なのはわかるが一体どういう事だ?」


 まるで、別の生き物にでもなったかのような変貌を果たした二匹に訝しむような視線を投げ彼と私はエリシアに尋ねる。


「あぁ、これはね? あたしのスキル《獣の支配者ビーストルーラー》の力だよ? よくわからないけど、動物と心を通わせたり、従わせたり出来るっぽい。魔物だけど犬みたいだったし行けると思ったの」


「ぁ! エリシアの天職『調教師テイマー』だったね! でも、魔物まで従えちゃうなんて」


「あぁ、これは時代が時代なら立派な戦闘系の天職だ」


「ぇへへ、実はね? この力を使ってすぐ“声”が聞こえたの」


「声?」


 少し照れ臭そうにはにかんだエリシアは、すり寄ってくる巨大な二匹の獣を優しい表情で見つめ。


「うん、この子達も強い命令? みたいな力で操られてたみたいで、とても苦しそうだった。だから、許してあげてくれないかな……」


 私は、その言葉に一瞬戸惑いを覚える。だけどこちらを見る赤い瞳には全く敵意を感じられなかった。


「そうだね、この子たちも被害者なのかもしれない」


 私は、そう言いながらヘル・ハウンドの頭を撫で、するとお返しとばかりに私の傷ついた肌を優しく舐めかえしてきた。


「それよりも、ロゼさんを早く手当てしないと!」


 落ち着きを取り戻した私達は、今も倒れているロゼさんの元へと駆け寄り。



「ロゼさん……私たちのせいでこんな」


 痛々しい傷跡を見つめながら、痛みにうなされている彼女の手を握りしめ。


「とにかく、どこか安全な場所に」


「安全ってここは敵地のど真ん中よ?! そんな場所どこにも」


 私とエリシアは慌てふためきながら頭を悩ませる。そこへ、塔をどこか遠い視線で眺めていた彼は。


「戻ろう。これ以上ここに居るのは危険だ」


「でも……お兄さんは」


「もう十分だ、俺のわがままでこの人を死なせる訳にはいかない」


「レインくん」


 彼の表情はどこか寂しそうに見えたが、ロゼさんの容態を考えると迷っている時間はあまり無い。私達が決断しようとした矢先。


「ぇ? なに? 手伝ってくれるの?」


 背後からのそりとすり寄ってきた二匹の獣がエリシアに何かを訴えかけている。


「気持ちは嬉しんだけど、あんた達大きすぎるから街に出ちゃうとパニックに——」


 どうやら、私達を助けようとしているらしい。しかしエリシアの言う通り大人しくなったとは言え、こんな巨大な犬が二匹も街中を歩いていたら大騒ぎになる上、私たちの場所を敵に教えているようなものだ。


「うそ、そんな事できるの??」


「「ワフッ」」


 エリシアが驚きに目を丸くする、それに応えるようにひと吠えした二匹はなんと。


「すごい……小さくなった」

「まさか、何でもありか?」


 二匹のヘル・ハウンドは通常の大型犬ほどの大きさまでその身体を変化させ。


「なるほどね、これがあなた達のスキルってわけだ」


「スキル?」


「そうみたい、多分身体の細胞を活性化とか、変質させる事が出来るんじゃ無いかな? 自己治癒力を高めたり、大きさを変えたり?」


 ロゼさんが言っていた魔物と動物の違いはこう言う事なのだろう、炎を吐く時点で魔物としては合格なんだけど。


「ワッフ」


 地獄の番犬から愛らしい大型犬になったヘル・ハウンドはロゼさんを鼻先で指すように合図し。

 エリシアは少し考えるようにロゼさんを見つめた後で、真剣な表情を私へと向けた。


「あたしがこの子達とロゼさんを拠点まで連れて帰る……だから、二人は行って」


 思いを噛み殺すように、しかし決意のこもった瞳で私を見据える親友に私は力強く頷いて応える。言葉はいらない、エリシアの気持ちも覚悟も十分伝わった。


「ありがとう、エリシア! ロゼさんの事お願い!」


「うん、任せて……二人とも、必ず帰ってきてよ? あんまり遅いと迎えにきちゃうからね?!」


「わかった」

「すまない……」



 そうして、ロゼさんをヘル・ハウンドの背にくくり付け、エリシアはもう一匹の背中へとまたがると。


「ルゥシィ? 約束だよ?」


「うん! 約束!」



 そして二人を乗せたヘル・ハウンドは凄まじい跳躍力で軽々と塀を飛び越えると、エリシアの声にならない絶叫と共に夜の闇へ消えていった。



「レインくん! 行こう! あの時の計画、今度こそやり遂げよう」


「ルゥシィ……わかった。待っていてくれ兄さん」






 そして私達は、二人で真実への一歩を踏み出した。


 この時、私はエリシアと共に彼を引き連れて戻るべきだったのかもしれない。


 それでも、この運命はどこまでも私を追いかけて来た事だろう。この先には未来なんて無い。



 待っているのは、ただの地獄だ。



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