三、不確かな疑惑


 ふんわりとした浮遊感、丈夫で大きな背中……どこか安心してしまう温もり。

 これは、夢だ……幼い頃、夜中に一人で泣いている私をおんぶして夜の道を散歩してくれた父。そしたらいつの間にか眠ってしまって、気が付いたら朝になっていて。


 気がついたら朝に————


 気がついたら……ここはどこなのでしょうか? 私、確か逃げて、橋の下で……レインくん?

 ふかふかのベッド、目を開けばゆっくりと回るシーリングライトと穏やかな暖色の明かり。


——レインくんにあの時助けてもらって……と言うことは。


 おもむろに周囲を見廻しながら首を横へと向ける。

 

 そこには、ベッドへ腕を枕がわりに顔だけを乗せて眠りにつく彼の寝顔。


「そうか、やっぱりレインくんが助けて——」


 顔を横に向けると鼻先数センチと言うところにある無防備な寝顔。


「意外と可愛い——っ! 違うっ! 近い近い近いよっ!!」


 すぐさま正面へと向き直った。バクバクと高鳴る鼓動に顔を火照らせながら布団の中に潜り込む。


——もしかして、ずっと……看病してくれてたのかな? レインくんはなんで私の事。


 落ち着かない感情や疑問、今が何時でどのくらい寝ていたのか……あんなにびちょびちょだったのに。


 びちょびちょ? 今は? 濡れてない……そして、このスースーする感じ。


 はて? といったように半ば思考を捨てたままチラリと布団をめくり、自分の状況を確認。


——うん、ない……服がない。


「——っぅぇええええ!!?」


どこから出たのかわからない音を発しながら、全身を真っ赤に染める。

消えたい、溶けて消え去りたいと心の中で叫んだ。


「……ん、起きたのか」


「れ、れっレインくん!? いろいろと、聞きたい事が!! その前に、この度は助けていただいてありがとうございます。そ、それより見た? いや、見てるよね……見てないわけ」


「……ぁぁ、見てない」


「そ、そっか……って無理だよね? 無理があるよね?! 助けてもらっといてこんな事言えないんだけど」


「……目隠ししてた」


 ドヤっと自信満々に親指を立てるレイン、一瞬「ああ、なるほど」と納得しかけ、目隠ししたまま衣服を脱がせるシュチュエーションをなんとなく想像し。


「むしろ悪化?! まさぐられるより、がマシだったかな?! あぁ……お嫁にいけない、どっちにしろ逃亡者のままじゃいけないけど」


「……面倒くさい奴だな」


 少し、ムッとしたように唇を尖らせたレインに、助けてもらった分際でなんて我がままをと反省する。

 途端、ハッと立ち上がった青年に対し、ビクッと肩を跳ねさせ。


「……ちょっと待ってろ」


「ぁ、う、うん」


 そそくさと部屋を後にするレインの背中をシーツに隠れながら見守ると、一先ず肩の力が抜けるようにベッドへ倒れ込み。


「助かった……で、あってるのかな。今頃お母さん達心配してるだろうな……外はどうなってるんだろう」


チラリと視線を向けた先、カーテンの隙間からは陽の光は見えず、恐らく夜なのだろうと納得する。

よく部屋を見回せば、高い天井に重厚感のある家具、控えめに言っても家柄が良い事は間違いない、

しかし気になるのは、全く人の気配がしない事。この時間帯にこんな広い家で何の物音もしないのは不自然だった。


「レインくんの家族はいないのかな? そもそも居たら私なんか連れてこれないよね……って事は今レインくんと二人きり?!」


一人、照れながら頬を染めてみる。現在置かれている状況と、心境のギャップに少々気を落とし、ふいに視線がベッドの横にある棚、その上に飾られた写真立てへと向いた。

 そこには、あどけない笑顔を浮かべた群青の髪色の少年と、その肩に手を添える……自分と同年代程の青年、そして背後には和かな笑顔を浮かべる夫婦の姿が写っており。


「レインくんの家族かな? お父さんとお母さん、小さい子はレインくん? 別人みたい……もう一人はお兄さん?」


ゆっくりとベッドから足を下ろし、写真へと近づいていく。


「笑った顔……なんだろう、懐かしい」


あどけない少年の笑顔に、思わず笑みを溢していると「ガチャ」……ドアノブに手をかける音がした。

 瞬間、常人離れした動きでベッドとシーツの間に滑り込み冷静を装うと、戻ってきたレインへ笑みを返し。


「お、おかえりぃ。なんちゃって」


「……別に見ても構わない、両親と兄さんだよ」


「うん、私が見られると不味い格好だったのもあるかな? その、今ご家族は? 私がいても——」


「……ここには俺一人しか住んでない」


「ぇ」


 その言葉には重い悲しみがこもっていたように感じられた。だがレインはその気持ちを表情に出す事なく……それ以上は聞かなかった、聞く事が出来なかった。


「……ベルガモットティーを入れて来た、これで機嫌を直せ」


「べ、べるがもっと? なんかオサレな響き! ギャップがすごいね」


「……後、制服もアイロンかけといた」


「完璧か?! レインくん完璧なのか?!」


「……騒がしいなお前」


 予想を上回る対応に終始ハイテンションで応えていると、彼は少し困ったような表情を浮かべ、そんなレインの対応に冷静さを取り戻すと、取り敢えず笑って誤魔化した。


パリっとした制服に袖を通し、ベッドから出て腰掛けると差し出された上品なティーカップに口をつける。

 爽やかな酸味が心に溜まった疲れを洗い流してくれるようで、緊張の糸がほろほろと解れていく。


「……泣いているのか?」


 ほとんど無意識だった、温かい香りに今まで押し殺していた感情が溢れ。


「……ほら」


「ぁ、ありがと……」


 そっと差し出されたハンカチを受け取り、頬をこぼれ落ちる雫を拭う。

 ティーカップの温もりを両手で感じながら、少し気持ちを落ち着かせると、改めて向き直おり。


「レインくん、助けてくれて本当にありがとう……あまり話した事も無かったのにどうして」


 正直、聞くのは怖かった……でも、親友ですら見切りをつけた私なんかを何で助けたのか気になって。


「……俺は、お前と同じ事をするつもりだった」


「ぇ? それってどう言う」


「俺は、戦闘系の天職が欲しかった。そして、お前がやったように腕輪を拒み、戦いたかった」


「戦闘系? 何でそんな……戦うって、誰と?」


 僅かに感情が波立つ……自分を絶望の淵へと追いやった天職、それが欲しかったと言われてもあまりいい気持ちはしない、どころか苛立ちすら感じた。


「……ずっと、戦闘系の天職に選ばれたくて、自分なりにトレーニングしてきたが無意味だった」


 どこかで聞いたような、誰かに似ているような。しかし、今それは重要ではない。


「何でそんな事……戦闘系に選ばれる事がどれほど悲惨な事だか、わかってて言ってる?」


 自然と語調が強くなっていた。きっと今の私は命の恩人に対して酷い顔を向けているに違いない。


「……あぁ、知っている、いやと言うほど」


 表情の乏しい彼が不意に見せたその横顔は、酷く悲しみに打ち拉がれているようで。

 その変化に僅かな驚きを覚え、再び質問を返す。


「どう言う事なの?」


「……お前はこの国にいる戦闘系。腕輪組を何人知っている」


「ぇ……何人って、そんなのわからない、でも何度か見た事あるけど」


「ぁあ、俺も何度か見た事がある、数人程度だがな」


「それが何の関係があるの?」


と思わないか……」


「少ない?」


「……あぁ、一回の開花式で戦闘系が出る確率は少なくても一つのクラスに五人から多い時で十人……学年では五十人を超える」


「言われてみれば、私たちのクラスでも六人くらい居たかな」


 レインは少し目を瞑り、心で何かを決意するように再びその視線をこちらへと向け。


「……それが続いていると思う?」


「それは……でも、何で? 私たちが意識して無いだけで意外といるのかも知れないし」


「……非戦闘系の人間は腕輪組を『意識』しない。極力関わらない事が前提の生活を送っている、だからその事を気に留める奴らは殆ど居ない」


「わからないよ、それがどうしたの? あまり外出しないだけなんじゃない? 私なら絶対出たくない」


 要領を得ないやり取りに苛立ちがつのり始め、また声を荒げてしまう。

 なぜそんな事が気になるのか。戦闘系の人間が少なかったとしてそれが————

 ふと、その視線は写真立ての中でレインの肩に手を乗せて微笑む青年へと向かう。

 どうしてだろうか何となく分かってしまった。彼の兄がそうなのだと。


 写真からレインへ向き直ると、彼は静かに頷きながら応えた。


「兄は、戦闘系。天職は『勇者』だった」


「——アレックスくんと同じ……お兄さんに何かあったの?」


「……兄は、消えた」


「ぇ?」


「この国は……戦闘系の人間を消し去っている」


「————!?」



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