二十六、愛

 俺たちはルゥシィの後を追うに連れ、予想よりも遥かに状況が切迫していると感じ、途中でエレベータへと乗り換え一気に最上階を目指す。王女と義父の話によれば、最上階はこの塔を管理する制御システムと一部の人間にしか入る事が許されない最重要機密情報施設になっているらしい。


 王女の様子から察するに、彼女の預かり知らない所で何かが起きているのかも知れない。それを確かめる為にも、急ぎ最上階へと向かった訳だが、扉が開きその光景が視界に映り込んだ瞬間、俺は思わず声を失った。


 真っ先に目に入ったのは、まるで別人のような様相を呈したルゥシィの姿だ。俺が見たときとは違う、禍々しい程に黒い刀身の刀と、色の抜け落ちたような瞳。そして最も異様だと感じたのは、刀からまるで根が生えているかのように黒い模様が腕へと伸び、所々破けて露出した肌、首元から顔に至るまで黒い模様が浮き出ていた。

 そしてルゥシィは誰かと対峙する形で向き合っており、開いた扉は向き合う二人の丁度真ん中に位置していた。その相手もまた見知った顔であり。


「アレックス……」


 あまり話した事はないが、誰にでも優しく正義感の強いクラスメイトだった。俺はあいつの持つ空気感をどことなく兄と重ねてしまい、距離を置くようにしていた。そして、開花式の日あいつはやはり『勇者』の天職を開花させて。


 豪奢な鎧を無理やり纏わされ、手にしている剣は薄らと光って見えた。あれがスキルの力なのか、何か特別な武器なのかはわからないが、その瞳に以前のような輝きは無く、虚だった。


 そして奥にもう一人、ただならぬ雰囲気を纏う全身鎧に覆われた、体格から察するに男だとは思うがその顔は鎧に隠れて、確認できない。ただ、なぜか俺は鎧を纏った奴へと意識を持っていかれ。


 瞬間、向き合っていたルゥシィとアレックスは同時に地を蹴り一瞬でその距離を詰めると、互いの刃を激しく交わらせ甲高い音が響く。


 俺は咄嗟に彼女の名前を叫んだが、僅かに肩が揺れただけで、こちらに反応する様子はない。

 一体何が起きたのか、目の前にいるルゥシィからは本来の彼女の雰囲気がまるで感じられず、まるで腕輪に操られているアレックスと同じであるかのように。


「侵食が始まっている……あの子の中に植え込まれた“ルゥシフィル”の暗殺者アサシンとしての魂があの子を呑み込もうとしているのだろう」


「このままでは、少し不味いな。そして“あの男”にまで手を出すとは、流石に許容できぬよなぁ? ロズワルドよ?」


「これは、これは……ご機嫌麗しゅう、シャーロット王女殿下。旅先での惨事、私も胸が痛み入りましたぞ? よもや御生還なさるとは、流石は汚れた血をお持ちの王女ですな? 戦乙女ヴァルキリーの姫よ」


 左右から扇状に伸びる階段の上で、明らかに気位の高い雰囲気を醸し出した男が不適な笑みを浮かべこちらを見下ろしていた。そして最後に放った一言。




 ————戦乙女ヴァルキリーの姫だと? まさか、この王女は。




「ふん、抜け抜けと良く舌の回る。貴様が余を貶めたのであろう? 余が留守の間に我が国を好き勝手動かしおって。今回のことでハッキリした、国王……父上を亡き者にしたのは貴様だな」


 一切の動揺を顕にする事なく毅然として振る舞う王女であったが、近くにいた俺には感じる事が出来た、肌に突き刺さるような彼女の怒気が。

 国王を暗殺。穏やかでは無い台詞に、俺はただ、息を呑む事しかできずそのやり取りを眺めていた。


 視界の端では、今もなおルゥシィとアレックスが互いの力を推し量るように数合打ち合い、じりじりと距離を取りながら出方を伺っている。


 そして、ロズワルドと呼ばれた男は裂けるような笑みを浮かべると、濁りきった瞳でこちらを睥睨しながら叫んだ。


「ははは!! あははは!! 何の証拠があってそのような妄言を吐かれるのか王女よ? やはり汚れた血、発想も汚れている」


「あくまで、シラを切り通すか。しかし、その汚れた血が貴様をそこから引き摺り落とすとは考えられないのか?」


「そのための“兵器”ですので、流石の王女様もコレには敵いますまい?」


「……下衆めが」


 怨嗟の篭った瞳で王女は、醜悪な笑みを浮かべる男を睨め付ける。一歩、王女が足を前に踏み出した瞬間、今まで微動だにしなかった全身鎧の男が腰に携えた剣に手を添え。


 それを目にした王女は、動きを止め小さく俯くと、震える声で呟きをこぼす。

「完全に支配されおって、お前の想いはその程度だったのか……」


 上から様子を伺っていた男は、鼻を鳴らし、アレックスへと視線を移し声をかける。


「準備運動もいい加減にしろ、さっさと殺れ……一人残らずだ」


 その声は、低く沈むような声色で、酷く冷酷な響きだった。俺は未だに攻めあぐねている彼女の方へと意識を向ける。すると男から指示を受けたアレックスの様子が豹変し。


「っぁぁああ——————」


 突如、呻くような叫び声を発したアレックスは額に青筋を浮かべ、全身の筋肉が膨張していく。


「あれは、拳闘士などに良く見られる身体強化系のスキルです!! まさか、侯爵様はスキルの移植を」


「正解だとも、リーベルシア君? この勇者には純粋なスキルのみを複数植え込んでいるのだよ? どうだ? まさに傑作!! 君もくだらない情に絆されなければ私の側においてやったものを」


「わ、私は。娘を、未来ある子供達をこれ以上“兵器”に変える事など出来ません!!」


「ふん、くだらないな。早く死にたまえ」


 俺は、こちらを見下げる男の台詞に嫌悪と苛立ちを覚えるが、そもそも俺の事など眼中にない男は視界に入れることすらしない。俺はこの塔に来て、無力と敗北感を嫌というほど思い知らされ、叩き付けられた。指を加えて見ることしか出来ない、俺は何のためにこの場所にいると言うのか。


 悔しさに歯がみしながらも、アレックスとルゥシィの様子を見つめていると、先に彼女が動いた。


 漆黒の刀を低く構えながら一瞬でアレックスの懐へと飛び込んだ彼女は下方から首筋に向けて一閃を繰り出そうと。しかし、それよりも早く反応したアレックスは目の前にあるルゥシィの顔面を目掛けて力強い蹴りを放つ。


 一瞬、俺の目にはルゥシィの姿が弾けた様にも見えた。だが、実際には黒い影の様になった彼女の半身をアレックスの蹴りが透過したのだ。


「なんだよあれ、一体ルゥシィに何が起きてるんだ?!」


「わからないか? あれは恐らく分身体、本体は既に奴の死角だ」


 動揺に駆られていた俺は王女の言葉に、目を見開き彼女の姿を視線で追う。すると、黒い影となって消えていく彼女の姿とは別に、アレックスの斜め後ろから本体のルゥシィが飛び出し漆黒の刀を振り抜く。


 しかし、アレックスはその不意打ちに完璧な反応で対応し、刃どうしがぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。そのままアレックスは飛躍的に向上した膂力を持って強引に剣を振り抜いた。


 宙に浮いている状態であったルゥシィは衝撃に押し負け、後方へと一気に吹き飛び背中から壁に叩きつけられ。

 かわす余裕など与える間も無く肉薄したアレックスは速度を殺すことなくルゥシィの腹部目掛けて拳を叩き込んだ。


「————!?」


 彼女の身体がくの字に折れ背面の壁に亀裂か入る。口から鮮血を吐き出したルゥシィは苦悶の表情を浮かべながら、ずるりと床へ倒れ。


「終わりだな。心臓は傷つけるなよ? 首を落とせ」


 淡い光を纏った剣を掲げるアレックスは、眼下のルゥシィを無機質な瞳で見つめると、手にした剣を真っ直ぐに振り下ろす。



 アレックスが彼女に近づいた瞬間、俺はその場を駆け出した。頼りない足取り、無様な格好で、ただ間に合うことを願いながら彼女のもとへ駆け寄ろうと。しかし、そんな俺の横を一人の影が通り過ぎる。


 彼は咄嗟に彼女へと覆いかぶさる。アレックスの振り下ろした剣は容赦無く彼の背中を斬り裂いた。


「————!?」


 俺はその光景に思わず声を失くし、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


「ルゥ、シィ……すまなかった。私たちは、お前に酷い運命をっ」


 彼は、途切れそうな意識を必死に繋ぎとめながら、無表情な彼女へと語りかける。肩を抱きしめ、頭を撫で、声を震わせながら。


「この、指輪を……」


 彼は懐から取り出した指輪を、彼女の右手をとり、人差し指へそっとはめる。瞬間、指輪の先端が僅かに光りを放ち、彼女の瞳がその色を取り戻していくように思えた。


「これで、かん、せいだ……お前の中の“ルゥシフィル”とお前自身の、魂を……分ける事ができる。後はお前しだいだ」


 残りの時間を全て費やすように、彼女へと語りかける彼の姿は、まさしく父親そのものであった。


「ルゥシィ。母さんは、お前を愛していた。お前が暗殺者になった知らせを聞き、過去と重ねてしまった。現実を受け入れきれなかった……そして、私も、お前のことをあいっ!?」


 最後の言葉を遮るように、無情にもその背中を貫いた剣は完全に彼女の父クロイド・リーベルシアの命を奪った。心臓を指し貫いた剣がゆっくりと抜かれ、その身を呈して娘の命を守った父親はその場に倒れこむ。


 そして、彼女の唇がゆっくりと開いた。


「お、とうさん」



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