二十一、クロイド・リーベルシア
何が起きたのか。
ゆっくりと私の前を倒れていく彼は鮮血を舞い散らせながら。認識できたのは彼が床に倒れ伏した後。
黒い腕輪をはめた男が無表情に倒れた彼を見下げている。その両手には短い斧のような物が握られ、片方の手を私の方へと向けている。
「いや……レインくん。いや、いやぁああ」
「る、うしぃ……にげっろ」
彼は肩口から胸にかけて大きく斬り下げられていた。なんの声も発することなくただ死んだような瞳で彼を見下げる男はボロボロの衣服を身に纏い、見え隠れする服の隙間から多くの傷跡が見て取れ。
男はおもむろに彼の頭を目掛けて斧を振りかぶる。
「レインくん、レインくん」
私達は浮かれていたのだ。ヘル・ハウンドとの戦いを切り抜け、あっさりと内部へ進入できてしまった。こちらを襲う敵どころか見回りも存在しない空気にすっかり気を許してしまっていた私達は完全に緊張の糸を緩めてしまっていた。私達は、いや、私だ。
彼はいち早く男の存在に気が付き、浮き足立っている私を庇って大怪我を負ったのだから。
「にげ……ろ」
無表情な男は彼にトドメを刺すべく手にした斧を振り下ろす。彼は必死に錯乱する私を逃そうと声を絞り出し。
「————」
何もできない、こんな時に限って身体が動かない。どんな天職でも、どんなに戦える身体になっても、やっぱり心が追いつかない。目の前の恐怖に抗えない。
私は咄嗟に彼へ覆いかぶさり、震えながら最後の瞬間を迎え————。
瞬間であった。
頭上で鳴り響いたのは乾いた銃声。どさりと真横に誰かが倒れ込むのがわかった。
私はゆっくりと頭を上げ、恐る恐る瞼を開くと、そこには額に風穴を空け絶命する男の姿があり。私は弾かれたように入ってきた扉の方へ顔を向けると。
「おっ、おとうさん——!?」
「あぁ、ルゥシィ……間に合って、よかった」
そこには息も絶え絶えに魔装銃を構える父の姿があり、額に汗を滲ませどこか苦しげな表情をした父は片足から血を滲ませていた。
「どうしてここに!? 足から血が——」
「落ち着きなさい。そんな事より、ひとまず彼を連れてここを離れなければ。今下に戻るのは危険だ、ついてきなさい」
「うん」
父は動揺する私をなだめるように声をかけ、彼を二人で担ぐとそのまま更に奥へと入っていった。
□■□■□
重い鋼鉄の扉から先は、下の階とはその様相をガラリと変え、冷たい無機質な通路に研究室のような部屋が無数に並ぶ空間。所々にガラスの扉があり、その中には一切の色を抜いたような表情の人間が無数に収容されていて。
私はその光景に息を呑みながらも、今は何も言わずただ彼を担ぎ父に従った。
「ここは?」
「……ここは、私の研究室だよ。中に簡易的な治療キットがある。まず彼の手当てを、話はそれからだ」
そこには一台のベッドと、よくわからない機材がまばらに置かれた。どこか不気味な、でもなぜか。
「ここ、知ってる」
「……」
父は何も応えず彼をベッドへと横たえ、取り出した治療用のキットで彼に処置を施していく。癒しを与える淡い緑の魔力光が父の手にした治療器から発せられ、痛々しい傷跡を修復していく。
治癒士を天職に持つ人力とは比べものにならないが、簡易キットでも一時的に表面の傷を塞ぐ事は可能だ。父の見立てでは重要な神経は傷ついていない、後遺症などの心配もないようだった。
「お父さん、さっきの人って」
「彼はこの階に配置されている警備だ。記憶していない者は無条件で攻撃するように命令を受けている」
「腕輪してた」
「そうだな、彼は『
「A?」
「……戦闘能力というところか。
「
「この階に彼以外の見張りはいない、この時間にここを訪れる者もいないだろう」
「そっか」
「……」
「……」
ぽつりぽつりとぎこちなく問いかける私に、父は振り返る事なく応えを返す。聞きたいことが山ほどある、問い詰めたいことが沢山ある、はずなのに。なぜだか言葉が出てこない。
「足、大丈夫? 血が出てる。あの後、おかあ————」
「ルゥシィ、お前に話がある」
彼の処置を終えた父が言いかけた私の言葉を遮ってこちらへと振り返る。私はどこかやつれた表情の父とまともに目を合わせる事ができずに俯き。
「母さんは大丈夫だ、怪我もない……この足は私が自ら撃ったものだ」
「——!?」
「あの時、まだ私にはやるべき事があった。そしてルゥシィが逃げた後の情報を撹乱するためにもこれが最善だったんだ」
「私が“お父さんを撃った”って言ったの?」
「すまない」
父の行動が間違いだったとは思わない、口論になった末に私が暴走して父を撃った後逃走した。筋は通っているし、恐らく父は偽の情報を流したのだろう。
それは、わかる。わかっているけれど。溢れてくる涙はやはり止められなかった。
「なんで? ねぇ、お父さん。なんで私こんななのかな……私、一体どうしたら」
「ルゥシィ、お前は何も悪くないんだ、何も」
「そんなことない!! 私がっ、私が戦闘系じゃなかったらこんな事にはっ」
「私だ!!」
「ぇ」
取り乱す私を遮り、父は声をあげた。その表情は苦しみと痛みに苛まれているようで。
「ルゥシィ、お前を戦闘系にしたのは……私だ」
「————ぇ」
父が何を言っているのかわからない。どういう事なのだろうか、私を戦闘系にした? どうやって? 何のために? わからない、全然、わからない。
「“サクリファイスチルドレン”という計画があった」
「————!!?」
私はその言葉を聞いた瞬間、愕然と表情を青く染める。もう良い、十分だ。
「お前は、その計画で————」
「やめて」
声にならない声が小さく、口元から溢れる。聞きたくない、これ以上は聞きたくない。
「幼い頃にお前は私達夫婦の元に引き取られ————」
————やめて、いやだ。聞きたくない、聞きたくない聞きたくない。
「お前は、戦闘系の魂を組み込まれた“サクリファイスチルドレン”だ」
「————」
この時、私の中で何かがはち切れる音がした。
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