五、開花
彼の家を出てから、調査の為に街をぶらつく事数時間。想像よりも街の日常はいつもと変わらない。時折、自警組織の人達が写真を持って聞き込みしたり、政府の関係者っぽい人達が巡回してる。
レインくんの服を借りて、男の子に扮している私は意外と馴染んでいるようで、特別怪しまれる様子もなく街中を散策できた。
そして、私は今、聞き込みの為クレープをはもはもしている。遊びではない、不可抗力だ。
それとなく色々な人に聞き込みをしているとお姉さんがくれると言うからご好意に甘えている。
「あの、どもありまもうもざいましたぁ」
「いいのよ? 今度はもっと時間のある時に遊びにいらっしゃい?」
「ぁ、はい。どーもです」
「……可愛いボクに、お姉さんから一つ忠告ね? 好奇心旺盛なのはいいけど、これ以上首を突っ込まない事? わかった?」
「わかりました、失礼します」
「はぁいっ、また来てねぇ?」
お姉さんに一礼すると、私は貰ったクレープを両手に再び歩き出す。
息がずっと荒かったのは何でかな? 少し変わった人だったけど色々と話をしてくれて助かった。
この数時間でわかった事は、正直あまり無い。そう、それは不自然な程に。
偶然見つけた腕輪をつけた戦闘系の天職の人に話しかけたが、一瞥を返されただけで相手にされず、他の大人達も皆同じように表情をしかめるだけ、たいして話はしてくれなかった。
そうして意気消沈している所へ、先ほどのお姉さんから声をかけてもらえた訳だが。
彼女の言葉はどこか意味深で、肝心な事はやはり話してくれなかった、でも私の疑問を確信に変えるには十分な言葉だった。
『この街の人間にその話を聞いても誰も応えてはくれないわょ? 応えられない……が正しいかしら?』
——事情を話さないのは家族だけじゃない。この国の大人は、何かを隠している。
一人物思いにふけりながら歩いていると、その足は無意識に歩き慣れた道を辿って。
「ぁ、いけない! いつもの癖で家の方に来ちゃった」
視線の先に映るのは、今最も会いたい人のいる帰りたい場所、しかし、その様相はいつもと違っていて。
「やっぱり、沢山見張りの人がいる。私の事探してるんだ……どうして、そんなに」
込み上げてくる切ない感情を、今はぐっと堪え、慣れ親しんだ家に背を向ける————。
「……ルゥシィ」
「ぉ……かあさん」
振り向きざま、その視界に映り込んだのは動揺して、硬直する母の姿。
母は、その瞳を激しく揺らし……今まで見た事もない表情、私は、何かを恐れるように声を発した。
「お母さん? 心配かけて本当にごめんなさい、でもね私————」
「ここに! ここにいるわ!! 誰か!?」
「————ぇ」
母は、怒る事もせず、悲しみにくれる事も、憂いを向けるでもない。ただ叫び、見張り役へと訴えた。
私は、無条件に溢れ出る涙を拭うまもなく、揺り動かされる感情に呑まれる前に、見張りへと叫び声を上げる母の横を走り抜けていた。
——お母さん……お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!! なんで。
霞む視界を必死に拭いながら、その場を後にする。背後から複数の足音が追いかけて来るのがわかった。
私は必死に走りながら、取り出したデバイスを握りしめ、呼び出しのベルを発信し続ける。
なぜかはわからない、そんな打ち合わせもしていない。ただ、声が聞きたかった。
そうでなければ、今にも崩れ去ってしまいそうな、この心を保てそうになかったから。
『……はい』
力強く握りしめたデバイス越しに、彼の声がする。
今、この国で自分という存在を受け入れてくれる、たった一人。
「レインくん、レインくん! お母さんが! 私……どうしたら、もう誰もいない——誰もいない!!」
『……俺がいる、だから、落ち着け』
「レイン……くん、ごめん。私、家の近くで見つかっちゃって……今、走って逃げてる、数が多くて振り切れるかどうか」
複数の足音が次第に近くなって行く、擦り切れそうな心が、楽になろう、諦めてしまおうと弱音を吐き、思いを挫けさせる。
私、何で逃げているんだっけ? もう、一層のこと何も考えず、捕まった方が。
『……お前は、俺の前からいなくなるな!!』
「——!?」
『いいか、絶対に……諦めるなよ————』
「レインくん? レインくん」
会話は一方的に途切れ、しかし、その言葉は届いた。
必死に歯を食い縛り、今は余計な感情の一切を切り捨て、力強く地を蹴る。
背後の足音が遠のいて行く、だが、見計ったように脇道から増援が駆けつけ。
「いたぞ! 挟み撃ちにしろっ!!」
咄嗟に方向を変え狭い路地へと身体を滑り込ませる、追手は反応仕切れず路地の前で体勢を崩し。
何とか逃れる事が出来そうだと、安堵しかけた瞬間。視界の先にある光景を見て唖然とする。
「そんな……行き止まり」
そこは四方を建物に囲まれた袋小路、高い塀が完全に行く手を遮る。
背後から狭い路地に入り込んで来た追手は直ぐに周囲を取り囲むと、手にしていた『魔装銃』その銃口を一斉に向け。
「大人しく投降しなさい! 従わない場合、射殺の許可も出ている」
「しゃさつ? ぇ? 私……わたしが何をしたって言うんですか!? 私はただ」
「君は、危険分子だと判断が降った。今や我が国にとって君の存在が罪だ」
「そんな……」
告げられた言葉が、全く理解出来ない。
この人達は、何を言っているのだろう? 母はどうしてしまったのだろう。私はなに? 危険分子? 罪? 生きてちゃいけないって事? 私がおかしいのかな、これは夢?
膝から崩れ落ちた私は、もう泣く事すら出来ず、むしろ乾いた笑みが溢れた。
ジリジリと距離を詰める銃口。絶望の淵で無理解に苦しむ私の様子を訝しむ政府機関の人間達。
「様子がおかしいな。これ以上の接触は危険とみなす、全員撃ち方用意——」
命令を受けその場にいた全員が魔装銃の照準を合わせ、引き金へと指をかける。
——ぁ、私死ぬのか。おかしいな、今頃エリシアと将来の話で盛り上がって。進路が決まったら、アレックスくんに告白しようと思ってたんだっけ。
お父さんと一緒にお母さんの誕生日、サプライズしようって決めてたのに。お母さん。
ごめんね、私のせいで。ごめんね……レインくん。
「……諦めんなって言ったろ!! お前に生きてほしい奴はここに居る!」
消え入りそうな意識の中、響き渡る声に大きく目を見開く。どこから登ったのか、高い塀の淵から彼は叫び、飛び降りた。
無様な着地だった、足の骨が折れたかもしれない。四メートル近い高さから飛び降りたのだから当然だろう。
それでも彼は、私に背を向け歯を食い縛り立ち上がった。所々制服が擦り切れ、泥や煤で汚れて、一体どんな道を通ってきたのだろうか、ただ必死に駆けつけてくれた。何の当てもなく、計画もないだろう……ただ、彼は来てくれた。今、ここで、私が生きるための理由はそれで十分だ。
「誰だ君は!! 危ないからそこを退きなさい!」
「……断る、俺にはこいつが必要だ」
「邪魔をすると言うなら、君も同罪になるがいいのか?」
「……あぁ、構わない」
「————」
彼の顔は見えない、けれど、その背中越しの表情に恐れや迷いは感じられなかった。
「……俺の天職は『
「——!? 君が、そうだったのか」
「……俺は貴重なのだろう? 今ここでこいつを見逃せば俺は投降してやる。こいつを殺すなら、俺はこいつを庇って死ぬ」
「レインくん」
彼は本気だろう、そして彼の気持ちは、何もかも失った私にとって……でも、それではダメだ。この人達を相手にその方法ではこの局面を覆せない。
「残念だが、君の思想も危険だ。君の事は不運な事故として処理させてもらうとしよう」
「……っち」
隊長格らしき人物の発言によって、再び態勢を整えた部下達が一斉に銃口を私達へと向け。
ゆっくりと後ずさった彼は敵を睨みながら私の前でそっとしゃがみ込む。
「俺が気を引く! お前は——」
「レインくん、お願いがあるの」
「……?」
死にたくない。でも、私だけなら楽になれるかなって思った。
私が、あの時彼に連絡しなければ、巻き込まずにすんだ。彼を、死なせたくない。
子供の頃の記憶。濁流のように流れ込んでくる、しまい込んでいた過去。
——血塗れの犬、驚愕する父、立ち竦む私。
あぁ、そうか。わかっていたんだ……私は、自分の事、誰よりもわかっていた。
だから、可愛くなろうと……過去から逃げたくて“もう一つの自分”を受け入れられなくて。
ごめんね、私の中の“私”
あなたを拒絶する事で、私は自分を偽ってきた。受け入れようとしなかった。
でも、もうやめる、私は“あなた”を受け入れる。あなたは、私。
——力を貸して?
「レインくん、もしね? 私が今から何をしても、これからどうなっても、私を嫌いにならないでいてくれる?」
この緊迫した状況で、突然の問いかけに不思議そうな表情を向ける彼は、しかし、その瞳にしっかりと私の顔を写し、力強く頷いた。
「……任せろ」
「ありがとう——」
ゆっくりと立ち上がった私は、銃口を向ける隊員達を静かに睥睨しながら一歩前へと進み出る。
油断なく構え、その照準を一点に集中させた彼等は引き金に指を当て隊長格の命令を待つ。
「その目、やはり君には何としてもここで死んでもらうしかない。全員、撃——」
「可愛い女の子に向かって、死ねとか……あり得ないから」
⬜︎⬛︎⬜︎⬛︎⬜︎
彼女が言葉を発した瞬間、その場が信じられない圧力で蹂躙される様だった。
俺は、彼女の華奢な背中を見つめている事しか出来ずに、次の瞬間。淡く薄い紅色の光がその全身を包み込むと、ちらりと見えた彼女の瞳から光が消えて行くのがわかった。
「いかん! こいつは危険だ! 撃て!!」
「「「————」」」
豹変した彼女の様相を見て、焦りを覚えた隊長格の男が支持を飛ばす、しかし銃を構えている奴らの手は無意識に感じ取った恐怖で震えていた。同様に隊長格の男も足を竦ませている様子で。
まるで、人形の様な表情になった彼女がぽつりとこぼすように何かを呟いた。
「スキル……強制開花……スキル
瞬間——その手元には虚空から現れた一振りの
目を見開いて動揺を顕にした隊長格の男は部下らしき奴から魔装銃を奪い取ると、その銃口を彼女へと向け、引き金を引いた。
「あぶな——」
叫ぶ声も虚しく、放たれた魔弾は彼女に着弾し破裂————
刹那であった、彼女の姿が一瞬ブレたように見え、次に彼女の姿を捉えた時には、魔装銃を持った奴らの懐に潜り込み、いつの間にか抜刀していた、怪しげな光を放つ刀身を振り抜いて。
——全員の両腕が落ちた。
一瞬何が起きたのか理解できない様子の男達は滴る血と“無くなっている物”に気が付くと、声にならない絶叫を上げる。
そんな様子を冷たく、凍てつくような眼差しで睥睨する彼女は、その首筋にゆっくりと刃先を当て、振りかぶる。
「——ダメだ!!」
咄嗟だった、彼女の元に走り寄った俺は、今にも命を摘み取ろうとする彼女の身体を抱きとめ、無抵抗であった彼女を担ぐと、その場から走り去った。
別に奴らを庇ったわけじゃない。死の瞬間を見ることへ恐怖を感じた訳でもない。
——ただ俺は、ルゥシィを守りたい。そう思ったんだ。
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