十九、願い

 

「なんか拍子抜けだな? 何だこの警備は、ザルじゃないか」


「うん……重要な拠点じゃないのかな? 人も全然いないし」



 私達は現在、エリシャ王国の中心に聳え立つ政府の重要機関である“高い塔”の一階部分へ、非常扉らしき所から侵入を果たしていた。

 しかし、予想とは裏腹に塔内部に人の気配は殆どなく、警報などが作動する様子もない。彼の言葉通り拍子抜けだと思うが、誰かを傷つけずに済むならそれに越した事はない。


 ただ、この塔へと足を踏み入れた瞬間からどうしようもなく焦燥を掻き立てるこの胸騒ぎは何だろうか。まるで身体がこの場所を拒絶しているかのような。


「エレベーターは流石に危ないか。階段で登るが大丈夫か?」


「ぁ、うん。大丈夫だと思う」


 階段という言葉に若干表情が引きつる。一体何階まであるのだろう、そして何階へいけば良いのか。ただどこに繋がるかもわからないエレベーターで移動するのは彼の言う通り危険すぎる。各階を確かめながら登って行く方が間違いがないし、確実である。


 幸い、私はこの天職に開花してから日に日に身体能力が向上している。それはもう、自分の身体とは思えない程に。皮肉だけど、今なら彼の足手まといにはならない筈だ。


 そして私達は非常用の階段を登りながら各階を調べ、五階まで到着した所で。


「ぇっと、レインくん? 大丈夫?」


「……あぁ、大丈夫だ」


 彼がバテた——ものすごく汗をかきながら、肩で息をしている。見た目的に全然大丈夫ではない。


「ちょっと休憩しよっか? ね? なんか見回りっぽい人もいないし」

「大丈夫だ、俺に気をつかわ……」


 声をかけた私に対して明らかに引きつった表情のまま平然を装う彼であったが、不意に言葉が途切れ。


「ちょっ、レインくん?!」


 私の方へとふらつきながら倒れ込む。彼に覆いかぶさられるような格好で倒れ込んでしまった私は突然のことに目をぐるぐると回してあたふたと。


「ぁ! あんまり悪ふざけはよくないよぉ? わ、私も一応女の子……ってレインくん? 大丈夫?」


 表情は見えないが、明らかに普段と様子の異なる彼。どこかおかしいと思い、首もとへ手を伸ばす。


「——!? 熱いっ、すごい熱。レインくん?!」


「————」


 反応がない、おそらく気を失っているのだろう。とにかくこのままでは色々まずいと判断し、下敷きになっている現状から何とか脱出。近くに小さな部屋があったので中を確認すると、山積みになった書類に難しそうな資料が並べられており。


「資料庫か、ここならもし見回りが来ても大丈夫だよね?」


 今の所、誰とも遭遇していない。少しの間、身を隠すには問題ないだろうと判断した私は彼を担ぎ部屋の中へと移動する。ここで私的には重い彼を一生懸命運ぶ可愛い女の子の予定だったのだけど、普通に運べてしまった。そして予想より軽い。


「はぁ……可憐な少女からどんどんかけ離れてゆく。ムキムキになったりしないよね? 絶対嫌だよぉ」


 資料庫に入った私は、すみに重ねてあった椅子を並べその上に彼を横たえた。近くにトイレがあったので、私は服の袖を破き水に浸した後、部屋へと戻り彼の額へと乗せる。


 その顔色がわずかに安静を取り戻すのを確認した私は、ほっと胸を撫でおろして彼の隣へと腰掛けた。


 静かな寝息を立てながら、あどけない子供のように無防備な寝顔を見せる彼。


「折れた足で、あれだけ無茶したら当然だよね? 無理しちゃってさ」


 真っ暗な室内を窓際から差し込む月明かりが薄暗く照らし、彼の寝顔を見つめる私の心はいつになく穏やかで。


「お兄さんのことも、私のことも一人で抱え込んじゃって……まったくっ」


 もどかしさが込み上げる、それよりも今彼に感じるのはどうしようもない程の。


「ありがとう」


 感謝。最初に彼が私のことを助けてくれなければ、彼が私の心を支えてくれなかったら。




『諦めるな————』




 そうだ、何度も挫けそうだった私の心を、彼が支えてくれた。だから、私は。


「……ルゥシィ」

「へっ? レインくん? 起きたの?」


「……」


 寝言のようだった。そして同時にトクンっと胸の奥で鼓動が高鳴る。


「寝言か……ど、どんな夢みてるのかな?」


 まさか、自分の名前を寝言で呼ばれようとは。妙な恥ずかしさがこみ上げ、首から上が火照る。


「寝顔が可愛いって、ズルいよね」


 次第に早くなる胸の鼓動。目の前で無防備に寝入る彼の表情、しっとりと汗ばんだ顔が頼りない月明かりに照らされて、どこか魅惑的な雰囲気を漂わせている。


「もうちょっと近くで……見てみようかなぁ、なんちゃって」


 一人であせあせと挙動不審になりながも、気がつけば吸い込まれるように彼の鼻先まで顔を近づけている自分がいて。

 ドクン、ドクンと部屋中に響いていそうなくらいに脈を打つ音。顔が熱い、きっと今は私の方が高温なんじゃないだろうか。一歩間違えば唇を重ねてしまいそうな距離にある彼の寝顔。



————キスってどんな感じなんだろう


 

 そんな思いが一瞬頭をよぎり胸の高鳴りは最高潮まで達し。


 パチリと彼の目が開く。


「もわぁあああああああ!!?」


 凄まじい勢いで飛び退いた私は、わたわたと手を振りながら後ずさる。


「すまない、急にめまいがして。俺は、寝てたのか?」


「うん!? うん! 寝てた!! バッチリぐっすり寝てたよ! うん! 何もなかった!! 一切何もなかった!!」


「……? そうか、すまない。迷惑をかけてしまった」


「とんでもないです、はい。むしろありがとうございます……じゃなくて、よかった! 目が覚めて本当によかったよ!?」


「相変わらず、にぎやかだなお前? ルゥシィといると退屈しない」


 私の顔がとんでもなく至近距離にあった事は気がついていないようだ。よかった。

 彼は、まだ少し気怠そうな身体を起こすと、いつになく穏やかな表情で微笑み。


「そう、かな? レインくんが元気になってくれるなら嬉しい」


「ここは」


「五階にあった資料庫だよ? この階も仕事場っぽい部屋だけで特に何もなかった」


 今の所この階層までは、特に重要そうな部屋は何一つなく、ただのオフィスが各階ごとにあるだけ。それどころか警備の人間すらいない。


「おそらく、重要な機関は更に上の階だろう」


「そうだね、あと何階登ればいいのかなぁ」


 どこまで続くのかわからない階段の旅に私はげんなりと項垂れる。


「闇雲に探しまわってもたどり着けないかもな」


「ぁ、ここの資料に建物に関する記録とかないかな?」


 私はパッと表情を明るくして彼に提案する。見回せば重要そうなファイルばかり、どれか一つは私達にとって有益な情報があるかも知れない。


「なるほど……あまり時間はかけたくないが、少し探してみるか」


「うん、そうしよう! レインくんはまだ休んでいて? 私がその間にチェックするから」


 気休め程度かも知れないが、少しでも彼には休息を取ってもらいたい。多分今も、気丈に振る舞っているだけで体力も気力も限界なはずだ。

 本当は、私一人でお兄さんを探してくる……と言いたい所だが、それでは彼の気持ちが納得しないだろう。


「いや、俺も一緒に——」

「休んでいて?」


 わかりやすく反応した彼の言葉を遮り、私はにっこりと満面の笑みを浮かべ応えた。


「……はい」


 なぜか、彼はその表情を青ざめさせて、素直に引き下がる。よくわからないけど大人しく言う事を聞いてくれてよかった。






 □■□■□






 私は、どこか落ち着きのない彼を余所よそに山積みになった資料から、めぼしい情報がないか探して周る。しかし、小難しい記録や数字が並んだ書類ばかりで私達の役に立ちそうな情報は——。


「これ、なんだろう」


 ファイルの一つに目を通していた時、その中から閉じられていない紙が数枚、床へと落ちた。私はそれを手に取り内容を読み込んでいく。


「レインくん、これ見て!」


「どうした?」


 私は用紙に書き記された内容と、その人物を見て彼のもとへと駆け寄る。


「これは——」






————これを手に取る者が“正しき者”である事を願う。そして、僅かでも人間としての良心が残っているなら正しい行いを。


 ディラン・エバンス






「この手記を書いたのって」


「——父さん」


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