十二、自由な未来

 

「ねぇ、ルゥシィ? 本当にその人のとこへ行くき?」


「同感だ。だいたい、信用出来るのか?」


 二人の胡乱な眼差しが先頭を行く私の背中へと痛々しく刺さる。二人の意見はわかるが、あの人は。


「ちょっと変な人だったけど」


 ——ずっと『はぁはぁ』していたし。


「でも、あの人は私達の知っている大人となんか違う気がするの! 勘だけど!」


 今の私達ではどうせ手詰まりなのだ。この際どんな相手でも希望があるなら縋りたい。

 実際、私の正体を明かせば通報される可能性の方が高いけれど、ただ、なんとなく大丈夫な気がする。あの人は多分。


「ついた、ここだよ? クレープ屋さん」


「ぁ! 知ってるこのお店! めっちゃ美人がいるって男子が騒いでたよ? 最近できたんだよね」


「俺は、あまり甘いものは……」


 店の明かりは既に消え、表には『CLOSED』の札が吊り下げられている。当然だ、今は誰もが寝静まる真夜中、明らかに誰かを訪問する時間では無い。


「ついたは良いけど、どうやって入るの?」


 エリシアの問いかけに、首をひねる私。全くもってノープラン。

 見た所、店は二階建てになっている。恐らく上の階は居住スペースだろう。だとしたら、まずはチャイムを押してみて。


「開いたぞ」

「って、何してんのかな?!」


 ふと視線を向ければ店の扉の鍵穴に何やら特殊な器具を当て怪しい動きをする彼、そして、目を輝かせながら眺める親友の姿。


「そこの二人!? 犯罪だからね、それ! だいたい、どこでそんな技術を?!」


「昔、父さんに教わったんだ。何かの時に覚えていて損は無いって」


「レインくんのお父さんっ! 教育間違えてますよ!!」


「とりあえず入っちゃおうよ? がいたら謝れば良いんだし」

「エリシアっ! もぅ、知らないよぉ」


 彼の巧みな技術によって解錠された店の正面玄関をゆっくりと開き、恐る恐る店内へと足を踏み入れる。店の中は未だに甘い香りが充満していて、私達は緊張する空気の中でもどこかほっこりとしながら店の奥にある扉の前へと立ち。


「この先から、二階へ行けそうだな。俺が先に行く」


 政府機関の人間から制服を奪って潜伏したり、店へ進入を強行したり、意外と彼の行動は大胆で。淡い記憶の中にある泣き虫だった頃の面影は今の彼からは微塵も感じられない。

 その背中を見つめていると、どこか胸の奥が熱くなってきて。なんだろう、この気持ち。


 そして、彼がドアノブの取手に触れようとした瞬間。ふいに、全身の肌をひりつかせるような感覚に襲われ——。


「伏せて!!」


「————!?」


 扉に手を掛ける寸前で、突如開け放たれた扉から大小無数の刃物がこちらを目掛けて飛来。

 すれすれのところで、エリシアと彼を掴み強引に床へと伏せさせた事でなんとか回避できた。


「良い反応じゃなぁい? こんな時間に、堂々と正面から乗り込んでくるなんて、おねぇさんビリビリしちゃぁう」


 扉の奥から薄らと姿を現したのは、両手に刃物を携えたクレープ屋の美人なお姉さん。だがその様相は明らかに以前とは違っており。


「すいません!! こんな時間に! 私、私です! 色々教えてもらってありがとうございました」


 全身の感覚がこの人と戦ってはいけないと告げていた。もとよりそんなつもりは無いのだけれど、それでも本能が教えてくれる。この人には勝てない。


「あらぁ? 夜襲をかけにきたんじゃないのぉ? つまらなぁい……あなた、誰だったかしら?」


 怪しげな光をその淡い山吹色の瞳に宿す彼女は。長い赤毛を揺らし、豊満な胸を大胆に露出させ、その魅力的な身体を隠すには心許ないシャツを一枚だけ羽織った出立で佇んでおり。


 しかし、一切の油断なく手にした刃物をこちらへと向けている。


「ぁ、ぇっと……すいません! 事情があってあの時は男の子のふりを」


 私は必死に誤解を解こうと、着ていたパーカーのフードを深めに被り髪を隠して以前と同じように振る舞った。


「あらぁ!! あの時の可愛い子ちゃんじゃなぁいっ! 女の子だったのね? 残念……だけど、おねぇさんは可愛い女の子もだぃ好きよぉ」

「ぁ、あっ、ひぅっ」


 私のことを思い出した彼女は手にしていた刃物をその場へ投げ捨て、ことらへと駆け寄り、その豊満な胸に抱き寄せると、吐息の掛かる距離でそっと耳打ちをした。


「遊びに来てくれたのぉ? 今日は時間あるんでしょう? 今からいいことしちゃぅ?」

「はぁっん! ぃえ、私は、聞きたいこと……ぃやっ」


 ねっとりとした声色で妖艶に耳元で囁く彼女はその両手で私の身体を舐め回すように弄り。


「すまない、連れを離してもらえないか? こんな方法で侵入した事は謝る。ただ俺たちは——」


「んー、ごめんねぇ? おねぇさん、成長した男の子はあんまり興味ないのよねぇ? 特に君みたいにツンツンした感じは、タイプじゃないのぉ」


「そ、そんな言い方しなくてもいいじゃない。とにかく話を聞いてよ」


「ぁなたはぁ、可愛いんだけど……少し大きすぎるのよねぇ? 色々なところが」

「なっ、ほっといてよ!」


 彼女は途端に冷ややかな視線を二人へと投げ、退屈そうなため息を漏らす。そして再びこちらへと顔を寄せ。


「ねぇ? おねぇさんにお願いがあるのぉ? 聞いてあげるから、また男の子の格好————」

「私は!! ルゥシフィル・リーベルシアです! 私達に協力してもらえませんか!? それと、二人は私の大切な友達なので……傷付けないで、欲しいです」


 突然声を張り上げた私の様子に目を丸くする三人。そして彼女は悪戯な笑みを浮かべながらその手を解くと、私を正面から見据え。


「なるほどねぇ? あなたが今、世間を騒がす逃亡者ちゃんだったんだぁ? で? その困ったちゃん達になんでおねぇさんが協力すると思っちゃったのかなぁ?」


 柔らかな口調とは裏腹に、その雰囲気は一変しあたりを呑み込むような威圧感が彼女から発せられる。

 その圧力に呑まれないよう、瞳に力を込めて彼女を見つめ返す。


「最初は、って言う勘と希望でした。けど、今は確信しています。お姉さんは戦闘系ですよね?」


「「——!?」」


「……」


 私の言葉に、二人は驚愕を顕にし、彼女は黙ったままじっとこちらを見据えている。


「なんで、そう思うのかしら? 戦闘系じゃなくたって、ナイフ投げくらい練習すればできるわよ?」


「正直、理由はよくわかりません。ただ、殺気と言うか……雰囲気が、私と似ていると思って」


 根拠はなかった。だけど、初めて会った時から妙に感じていた違和感。そして扉から出てきた彼女を目の当たりにした時、理解した。間違いなく彼女はこちら側の人間だと。


 彼女はしばらく、その瞳に妖艶な光を纏いながらこちらを見つめていたが、ふいに肩の力を抜き。


「ふぅ、バレちゃったら仕方ないわねぇ? 正解よ、ルゥシフィルちゃん?」


 観念しましたと言った具合に肩を竦め、片目を瞑って見せる。


「ぇ? でも、腕輪つけてないし……あなたもルゥシィと同じように逃げて——」


 エリシアは疑問を思わず口にする。しかし、彼女からふいに向けられた鋭く冷たい一瞥を受け押し黙った。彼女はすぐにその表情を穏やかな雰囲気へと切り替えるとエリシアへ笑顔を向け。


「半分は正解かしら? でも、あなた達にはきっとわからない。この子が抱えている苦悩も、意味も分からず突然世界を奪われ、追われる事になった私達の気持ちもね?」


 彼女は静かに言葉を綴りながら、そっと私の元へと歩みよると、手を引いて優しく抱き寄せた。


「————」


「よく、頑張ったわねぇ? 心をこんなにすり減らして……“あの時”気が付いてあげられなくてごめんなさい。本当に男の子にしか見えなかったものだから」


 暖かかった。この数日、折れそうな心を必死に奮い立たせながら、神経を張り詰めて、張り詰めて。それが今、ぷつりと音を立てて切れる。


 まるで、母にすがり付く子供のように私は彼女の胸で、嗚咽を漏らしながら滂沱の涙を流していた。



「おねぇさんも、ルゥシフィルちゃんを探していたのよ?」


「わ、私を? なんで」


「見つけたのは偶然だけどね? それがの使命だから……」


「使命? ?」


「この国から出してあげるわ。あなたはもう逃げなくていい、これからはあなたの生きる場所で自由意志のもとに生きていける」


「ぇ————」


 この時私は、彼女の言葉に未来を見たような気がして。ただ、同時に彼の思いと決心を加速させていた事に気が付けなかった。


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