2020年5月21日

 今日は本が沢山届く日だ。発売日の漫画を除けば、本は月に一度にまとめて買うことにしている。レオパルディ、マラブー、アルフィエーリ、ガレアーノ、ケー・モオ、ヘーマムーンなどなど。その中で人に貸したまま返って来なくなったトーマス・ベルンハルトの『凍』と『アムラス』を再購入した。


 梱包された本を一冊ずつ取り出してテーブルに並べていくのは格別の楽しみだ。硬くずっしりとしたハードカバー、それぞれの色を思わせる装丁。私は昨日から急に読みたくなったベルンハルトの著作を手に取った。本が届くのが我慢できず、彼のエッセイ『私のもらった文学賞』を再読していたので、『凍』が特別読みたくなったのだ。画家シュトラウホの厭世的で絶望と死を匂わせる奇妙な独白、思考が枝分かれして、合流し、脈打つ文章。ああ、これだこれだ、と思って読む。


 雨が降って涼しかったのもあって、この肌寒さとヴェングの凍てつく空気感が温くリンクして、カジュアルな絶望の痛痒さを快く受けながら読む進める。ベルンハルトを最初に読んだのはみすず書房から出ていた『消去』だと思う、多分次が『ふちなし帽』。その陰鬱だがどこか独特の神経質なユーモアを感じさせる文章に何度か救われた。


 というわけでベランダで雨を聞きながら本を読んでいると、元気な少年少女が傘も差さずに大きな声で遊んでいる。それが如何にも楽しそうで、服が濡れるだとか、靴が傷むだとかでそういうことを厭わないようで、羨ましく感じる。というかその振る舞いが無邪気な楽しみに満ちていて、ちょっと腹立たしく思い始めた。


 私は「わあ」と大声をあげるとサッと隠れる。少年少女はびっくりして周囲をキョロキョロと見回している。それを見て私はほくそ笑んだのだが、近所に必ずいる奇人のような人もこういうメンタリティから発生するのだろうかと我が身を省察した。

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