2020年7月6日
人に貸した本が、その人の家の匂いをまとって返ってきた。ページをめくるたびに自分のではない匂いがして、何だか人のものになったようで不思議な感覚がする。
今月購入した本が纏めて届いた。封を開けて一冊ずつ並べて表紙を眺める。それぞれの帯を読んで内容に想像力を働かせる。それがどんな物語なのかわからない状態で、そのタイトルや装丁から内容を予測している時間は楽しい。
ところでこのところ、Apex Legendsをまたよくやるようになった。私はランクマッチでプラチナ2なので、中の中、如何にも凡庸プレイヤーという感じなのだけれど、楽しくやっている。多くは友人とフルパーティーを組んで通話をしながらなので、連携は取れている、と言いたいのだが、この連中、とにかく自分が多く物資を得たいが為にいつの間にか部隊から離れているやつ、余りにも周囲に耳を傾けることに注力しているため、ほぼ喋らない為意思疎通が取りづらいというやつ、異常に好戦的で不利位置から無計画に突っ込むやつなどがおり、ままならないものである。そして私は
昔はこんな感じでゲームをやっていると蛇口を開けっ放した水道のように罵詈雑言が垂れ流し続けられたのだが、今ではなんともほんわかした雰囲気でできるようになっている(罵倒が自然と溢れることもままあるが)。これは自分が当時と比べて角が取れたからと言うよりは、人からどのように見られるかの意識が強くなったからのように思う。私はゲーム内に限らず、例えば様々なアートや音楽、文章や思想などに対して私はとにかく怒りと憎しみを抱いていて、それを歯に衣着せず発言していたのだが、そういうことを嫌がる友人や人々に気を遣い徐々にその数を減らしていくと、不思議なことにそういった思考そのものができなくなってしまっていた。
これはまあ、喜ぶべき成長と言う人もいるだろうが、私としては大変にショックだった。怒りとか憎しみだとかそういったものを原動力に生きてきた人間なので、急にからっぽになってしまったような感覚に陥った。何しろ考えられない、思考されない、そして言葉にならない。まるでそういう概念がスッポリと死んでしまったかのようだ。私はこの感覚にすっかり意気消沈してしまい、長い間ものを創作できなってしまった。
今こうして文章を書いているのはそこから立ち直ったからというわけではなくて、本当に単純な理由でとにかく承認欲求が膨れ上がったからだろう。何者でもなくなってしまった自分が、手っ取り早く人々に承認される手段として文章を選んだ、という次第なのだが、これも見ての通り成功しているとは思えない。
ただ書いていると、今までの原動力とは違うなにものかで自分が動いているのを感じることができるようになってきた。それが何かはまだ判然としないが、まだどうにも行動するだけのエネルギーにはなり得るということはわかる。
灰色で何の生産性もない生活を送っている中で、この居場所だけは護らねばなるまいと思う。
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