2020年5月30日

 人の書いた文章を読めなくて、死者の書いた文章だけが読めると言う期間がある。特に十代から二十代の前半あたりは全てがこういう時期だった。生きているものの言葉が生々しすぎて拒絶反応が起きるのだ。死んだ者だと何故か安心して読めた。まるでその文章に親友を見言い出すような共感を覚えることもしばしばあった。


 今もまさにその状態で、精神的に参っているからだと思うけれど、SNSを含めて人の生きているものの文章を読むことができない。非常に困ったことだと思う。と言うのもこのカクヨムというやつは、ある種互いに互いを読み合うようなコミュニティ的な側面もあるのだが、私なんかはそういったコミュニティというものに参加することがもともと苦手な上に、こういう読めない状態であっては、ますます人々から忘れ去られる他ないからだ。


 参ったことになったものだ。土曜日、カーテンは一度も開かれず、間接照明だけが灯りを点けて、室内を昼も夜もなく一様にほの暗く照らしている。ベッドから出ると、頭と胸にジリジリと痛みが走る。ベッドに横になるとその体勢に飽きてうんざりしてくる。隣の部屋で流しっぱなしにしている音楽が遠くかすかに聞こえる。鳳仙が流しているCass McCombsだろう。いい曲だなと思う。鳳仙は今ではPCで音楽を聴くことを覚えていたが、ある女性が私に鳳仙をくれた数年前の当時は、レコードの盤を齧るような子だった。


 覚醒と眠りを繰り返して深夜三時。それからこれを徒然に書いて、コーヒーを淹れて。日が昇り切ると一日ぶりに窓を開けた。曇った空に肌寒い空気が少しだけ爽やかな気分にさせる。コーヒーの湯気に目を細めながら死者の本を開く。

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