七、秘密②

「これが魂……」


 しかしこの力は強大すぎて、どのように扱えばいいのかヒカルは悩んだ。

 魂をつかみとる手があったとしても、それで人の魂をどうしろというのか。

 いくら触れることができるからと言って、離れ行く魂を無理矢理留めることはできない。


――ならば抜け殻に、別の新鮮な魂を宿せばいい。


 それはほどなくして実行された。病に苦しむ子供をなんとか助けてやってくれと、巫女のヒカルに頼みにやってきた家族がいたのだ。


 左手を通して魂を見ると、それは自分のとは違う青白い光であった。

 死を目前とした魂の色だと確信するにはまだ経験不足であったが、推測するには充分だった。今にも風に吹かれて飛んでいってしまいそうなほど揺らめいていたからだ。


「この子はもう死んでしまう。魂が抜け出てしまうから、新しい魂を入れれば生き続けることもできるかもしれない」


――新しい魂はどこから持ってくるんだい?


「誰かを助けるには、誰かが犠牲にならなければいけない」


――それは生きた人間の魂を取り上げるということかい?


「それでも生かしたいと願うなら、私はその手助けができる」


 ヒカルは了承を得て、苦しむ子供の祖母の魂を取り出すことにした。


 左手をそっと老女の胸に当てる。温かみのある橙の輝きがそこにはあった。ヒカルはその光をつかもうと手を伸ばした。


 手の感覚は、実際の自分の手を離れて老女の中の光に伸びた。そして優しく光を包みこむ。

 とたんに、その光は洪水のように体に流れ込んできた。まばゆい光のしぶきをあげながら、渦まいて押し寄せてくる。あまりの激流に、ヒカルは歯を食いしばった。


 魂が全て入りきると、その勢いで後ろに思い切り倒れてしまた。びっくりするほど重たくなった体を起こすと、目の前の老女は息絶えていた。


(殺してしまった!)


 ヒカルは泣きそうになった。しかしここで自分が泣き崩れてはいけないと、必死に言い聞かせた。この身に宿した老女の魂を、泣く力さえない子供の中に注いでやらねばならないのだ。


(重い――!)


 ヒカルは必死に動いたが、ひとつの体に二人分の魂は重すぎた。

 息をするのも億劫な体を必死に動かし、熱に四肢を垂らした子供に右手を当てた。


 刹那、自分の中に渦巻いていた激流が鉄砲水のように噴き出した。右手から子供の中に流れ込む光。その勢いに、ヒカルは危機感を抱いた。


(私のものまで持っていかれる!)


 一瞬の途切れを見逃さず、ヒカルは弾けるように体ごと後ろに倒れ、右手を子供から引き離した。そのくらいの勢いがなければ、一度決壊した魂の流れは止めることができなかったのだ。


 新しい力におののきながら、自分が生きていることに安堵した。すると、歓声に似たものが聞こえてきた。


「目を開けたぞ!」


 その子供は、もう苦しそうな呼吸はしていなかった。目はとろんと開いて、ぽっかり開いた口からは落ち着いた呼吸をしていた。


「生きてる……」


 嬉しくなって、その子供に触れようと手を伸ばしたときだった。子供を抱えた母親は、咄嗟に後退してヒカルから子供を離した。


 その行為がどういった意味をもつのかわからず、ヒカルはその母親をうかがった。その母親の顔には、恐怖と嫌悪とが入り混じった表情があった。


「触らないで!」


 震える声での拒絶。

 これが、新たな力を使ったヒカルへの対応だった。


 命を授ける右手と命を奪う左手を持ったヒカルは、その力のために怖れられた。そしていつしか敬遠という名目で、壊れかけた小さな社に閉じ込められ、外に出されることは滅多になかった。

 風の噂で聞いた、あの魂移しをした子供が結局は死んでしまったという結果が原因だろう。


 ヒカルは身勝手な村人たちを恨んだが、恨んだからといって復讐しようなどとは思わなかった。それをすれば、同じような下種な人間になり下がると思ったからだ。

 孤独に震える心をそっと隠し、ヒカルは社の中で耐え続けた。


 ある日、ヒカルは力を必要とされ、社から出された。

 社の外には、縄で縛りあげられた男がいた。村人によると、この男は盗人だと言う。幾人もの村人を傷つけ、時に命を奪い、ものを漁ったのだそうだ。


「それで、私に何をしろと?」


 命じられたのは、盗人に左手で裁きを下せという、まぎれもない人殺しであった。

 そんなつもりでこの力を手にしたわけではなかったが、ヒカルの言い分は聞き入れてもらえなかった。食い下がったけれども相手にされず、最後には家族を人質すると言われた。


 結局ヒカルは、左手を伸ばした。その時の男の恐怖の顔は、忘れられるはずもない。


 だいだいの魂の激流を見た後に目を開けると、男はこと切れていた。


 しかし悲しんでいる暇などなかった。他人の魂を抱えてなかなか立てないヒカルを、村人たちは急き立てるように棒でつついて社へ追い込んだ。


 力を振り絞って埃の積もった社の中に身を投げると、何の躊躇も無しに扉は閉められた。


 格子の隙間からは、美しい夕空が見えた。

 急に悲しくなり、憎しみも溢れてきた。どうしてこんな仕打ちに合わなければならないのか。人を助けたかった、ただそれだけなのに。


 狭い社は、ずいぶん昔に用済みになっていたものだった。掘れるほどに埃はたまり、虫もはいずり回っている。


 こんなところに神などいないと、ヒカルは唇を噛みしめた。助けてくれる者さえいなかった。人質にされかけた家族にだって、本当はとっくに見放されている。

 信じられるのは、自分自身だけだった。


 鼻をすすって、涙をぐっとこらえた。

 すると、潤んだ視界の中に、埃まみれの汚い人形が映った。それは社に閉じ込められて間もない頃、暇を持て余して作った手製の人形だった。

 人形と言っても布を貼り合わせただけの粗末なもので、かろうじて人の形をしているだけだ。


 それを見つけた時、ヒカルは思いついた。この重たい魂を人形に入れてしまおう、と。そうしなくては、自分が潰されてしまう気がして怖かった。


 気を抜けば脱力してしまいそうな体を必死に奮わせて、ヒカルは体を起こした。ようやく人形をつかみ取ると、急いで魂を込めた。

 人形を握る右手から、すうっと重みが抜けて行く。自分の魂が連れて行かれないように、流れの途切れで人形を放り投げた。


 魂移しは意外にも成功したようだった。しかし本当にそこに定着しているのかわからなかったので、試しに左手で見てみることにした。


 人形にそっと左手を当てる。するとそこには、青と橙の輝きが混じった不安定な魂が見えた。


 それをきっかけに、ヒカルは魂を率先して人形に与え始めた。

 飢饉や何かしらの事情で間引きが必要ならば、ヒカルは社を抜け出し、幽鬼のように現れて魂をさらっていった。

 そして手製の人形に移し、必要とされなくなった魂を慰めてやった。


 そうしているうちに、ヒカルはより人間に近い人形を作りたいと思うようになった。

 人形にも魂が宿るのなら、自由な体を与えてやりたい。意志を持ち思考するならば、それを反映させる手足が必要だろう。さらに愛でてもらうためには、愛らしい顔が必要だ。


 一度肉体から取り出した魂は、その肉体にあったときの記憶や思考回路を持ち合わせていなかった。

 だから罪人の魂とて魂移しをしてしまえば、無垢で幼い赤子のように逆戻りする。その人形に体の使い方から世界の秩序まで、あらゆるものを教えてやると、人形は人間のようによく動いた。


 その不気味なヒカルを村人は社に隠していたが、噂はみるみる広がっていった。生きた人形を作りだす巫女がいると、村中でささやかれたのだ。


 それは初めにヒカルが意図していた能力の使い道ではなかったが、魂という形のない不思議なものに魅せられていたヒカルには、もうどうでもよかった。


 噂はいつしか村を出て、その土地を治める領主の耳にまで届いた。


 領主はヒカルの人形を見ると瞬く間にその力に惚れこみ、自分が材料も道具もすべて与えるからと、ヒカルを手元に置きたがった。


 ヒカルは知らぬ間に、いくらかの金と引き換えに社から出されることになった。

 もちろん金は村に入った。ヒカルには何も残らなかったが、人形の材料と道具を与えてくれるのならばと、進んで赴いた。


 その時に、ヒカルはこれまでの自分を捨てようと決意していた。

 人を助けたいなどという生ぬるい考えを持った自分を捨ててしまおう。失敗して傷つくことが女々しいというのなら、それさえも捨ててしまおう。


 男でも女でもない、どのような身分にも当てはまらない、人ではない人間へ。


 髪は男のように結い上げず、女のように束ねもせずに短く切ってやった。女の体であることは仕方ないので、男の衣装で隠すことにした。

 神にも仏にも従わず、巫女や僧の衣装はまとわなかった。名も光司郎と改め、後に領主から宮江の姓を授かった。


 全ては魂について知るために。


 それは狂気にも似た好奇心で成り立っていたが、探究の副産物である生きた人形は珍品として扱われ、時に政治を助けた。

 幸か不幸か、人形はこの地に戦が起こるのを防ぐための同盟を結ぶ良い献上品とされたのだ。


 人形を作ること。それはもはや好奇心や探究心を越え、戦乱の絶えぬ世の中からこの地を救う手段となっていた。


 だが巡りめぐって多くの人を救えたとて、その左手は生身の人間から数多の魂を抜き取っている。

 その虚しい循環から、一体どうやって抜け出せば良いのだろうか。


 答えが見つからぬまま、その柔い心は押しこめられ、宮江光司郎という殻に閉ざされてしまうしかなかった。

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