一、青い目③

 今日はたけのこを採った。

 籠にどっさりとたけのこを担いできた東吉に、瑠璃はトテトテと頼りない足取りで迎えた。


「ただいま」

 と瑠璃の頭を撫でようとした時、東吉は瑠璃の手を見て驚いた。


「からまったのか……!」


 藁紐わらひもが巻きついて関節に挟まり、指がうまく曲がらなくなっている。


「一体何をしていたんだ」


 藁が指の関節の色々なところから飛び出している手に呆れて言うと、意地を張るように瑠璃はきっぱりと言いのけた。


「瑠璃も草鞋を編みたかった」


 最近瑠璃はあらゆるものに興味を持ち始めている。

 つい昨日は桶に張った水に映る自分の顔を覗きすぎて、頭から水に突っ込んでしまった。


 瑠璃の行動は危なっかしいので、陶器の身体が壊れないか、近頃東吉は冷や冷やさせられているのだ。


「困ったときは、すぐに私を呼べ」


 力で解けば瑠璃の手が壊れてしまいそうなので、指に傷がつかないよう、腰の小刀で少しずつ切りながら解いてやった。


 自由に動くようになった手をじいっと見た後、その大きな目を東吉に向けた。


「こういう時は、ありがとうと言うんだ」

「ありがとう」

「よし」


 東吉は瑠璃の頭を撫でてやった。


「ありがとう」

「今は言わなくてもいい」


 そう言うと、瑠璃は押し黙ってしまう。東吉は困って笑ってしまった。


「お前は私の言うことを聞きすぎだな」


 首をかしげる瑠璃の頭を、また撫でてやる。

 整いすぎた瑠璃の顔はあまりに意図的な創作物であったが、その奥に秘められた瑠璃自身は可憐で無邪気な野花のようだ。


「瑠璃、みやげだ」


 東吉は、たけのこが入っている籠から花を取り出した。

 紫の花に、瑠璃は落ちそうなほど目を見開いて、関心を示した。


「これが菫だ」


 自由になった手で東吉から花を受取り、瑠璃はしげしげと眺めた。


「ありがとう」


 顔が緩むのが、東吉は自覚できた。

 笑ったり、和やかな心になったり、瑠璃が来てから自分はかなり元気づけられている。


「お前も明日から外に出てみるといい。菫はたくさん咲いているし、萌黄の山肌には色々な花が咲いている」


 瑠璃は頷くと、その大きな目で花に穴があいてしまいそうなほど眺め続けた。


◆ ◇ ◆


 日もとっぷりと暮れ、東吉は農具の修理をしていた。


 静かなので、また藁の紐に絡まっているのではないかと心配をして瑠璃を見てみると、まだ花を見ていた。

 あのように触ったままでは、花の方が瑠璃の体温で弱って萎れてしまわないか心配になったが、ふと思い出した。

 瑠璃は人形だ。血は通わず、体温もない。


 心に冷水を染み込まされた心地になったが、瑠璃の眼差しを見るとそれも癒えた。

 色はさておき、瑠璃の眼差しには生きた人間と同じものがあったのだ。


 修理の作業に戻ろうとした時、東吉はここ最近気になっていたことをふと思い出した。

 瑠璃がいつもそばに置いている毬は、遊ぶわけでもないのにいつもそばに置いている。

 大切そうに、肌身離さず、ただ置いてあるだけなのだ。


「その毬では遊ばないのか?」


 東吉は聞いてみたが、瑠璃は頷いただけで、また花に視線を移した。

 結局疑問は解決されなかったが、まあいいかと東吉は修理に戻った。


 その時だった。唐突にあばら家の戸が叩かれた。


「ごめんください」


 こんな時間の人里離れたあばら家の来客に、東吉は不審に思った。

 すぐには出ず、しばし様子をうかがうことにした。


「ごめんください。旅の者です。お尋ねしたいことがあるのですが」


 何度も戸を叩くので、東吉は申し訳ないが筵を被せて瑠璃を隠した。


「静かにしていなさい」

 と小声で言い聞かせてから、戸を開けることにした。

 動いている人形など見たら、誰だって腰を抜かしてしまうだろう。


「何者だ」


 ほんの少し戸をあけ、隙間からうかがう。


「夜分失礼します。このあたりで物をなくしてしまいまして」


 小奇麗な顔立ちの若い男だった。

 東吉はまだ二十五だが、年下に見える。垢ぬけた少年と言うのがふさわしいだろうか。

 髪を結わずに短く切っているのが奇妙だったが、華奢で童顔の小柄な優男なので、東吉は少し警戒を解いた。


「なくしたとは?」

「人に預けたものなのですが、行方がわからなくなってしまって。探している間に夜になってしまったので、一晩泊めていただけたらと……」


 困った顔で言われては断りにくいが、瑠璃がいる。

 あばら家の中をうかがうように左右している男の視線を遮るように立って、東吉は言った。


「申し訳ないが、泊めることはできない」

「そうですか。では、せめてお水を一口いただけませんか」


 東吉はしばし考えてから、結局は「ここで待っていてくれ」と中に戻った。


 しかし東吉が土間の小さな水瓶を開けて水をくんでいると、突然優男は無断で戸を開け、あばら家に入ってきた。


「おい!」


 東吉の制止も聞かず、優男は草履のまま上がりこむと、少し部屋を見回して、片隅に盛り上がった筵を乱暴にめくりあげた。


「いくら探してもいないと思ったら、やっぱりここにいたのかい」


 むしろの下隠れていた瑠璃を、男は驚くこともなく見下ろした。

 瑠璃は毬をぎゅっと抱え、男を凝視した。


「お前、何者だ!」

「ずいぶんと探したよ。まさか人に拾われているなんて、最後の最後まで考えもしなかった」

「おい! 聞いているのか!」


 ようやく優男は振り向いた。しかしその目は、到底優男と言える目つきではなかった。

 先ほどまでの愛想はどこへ行ったのか、酷く冷徹な眼差しだった。


「あんたも変わった人だね。こんな気味の悪い人形を拾っていくなんて」

「何者かと聞いているんだ! お前、瑠璃の何を知っている……!」

「はっ!」


 男は笑いだした。


「この人形に名前なんかつけたのか!」


 氷のようだった瞳は、嘲笑に彩られていた。


「失礼、失礼。笑ってはいけないね。人形が名を欲したから名付け親になっただけだろう?」

「なぜそれを!」


 男は人間ではない瑠璃に驚かず、瑠璃の過去の言動を知っている。

 一体この男は何をしに来たのか。

 よからぬことに違いないと、東吉は男を睨みつけた。


「そんな怖い顔をしないでおくれよ。私はこの子の生みの親なんだから、知っているのは当たり前さ」

「それは……どういうことだ!」


 東吉は思わず叫んでいた。


 この気味の悪い光をたたえた目の男、人形の目と似ているが、冷徹でどこかゆがんだ光が見える。

 そしてこちらを見透かしたような笑みは、男の異様な雰囲気を引き立たせていた。

 ただそこに立っているだけなのに、見えない手に喉元をつかまれているようだった。


「神の手を持つと言われるこの私を知らないのかい?」

「神の手……?」

「まあ、知らないだろうね。こんな辺鄙な山奥には、噂はきっと届かない」

「わかるように言え」

「あんたのような純粋な人間には人形なんて必要ないし、知らなくてもいいってことさ」


 そう言うと、男は瑠璃の腕を強引に引っ張り上げた。


「さあ立ちなさい。お前は陶器で作ったから重いんだ。自分で歩くんだよ」

「瑠璃をどうする気だ!」


 肩で大きくため息の仕草をして、男は面倒臭そうに振り返った。


「親が引き取りに来たんだ。何か文句でも?」


 東吉は男の胸倉をつかみ上げた。


「瑠璃を勝手に連れて行くな」

「私が作ったのだけど」

「捨てていったんだろう!」


 その言葉に、男は目をしばたたいた。そして次に、大きなため息をつく。


「ああ、やっぱり。だから信用ならないやつらには頼みたくなかったんだ」


 意味がわからず、東吉は眉根を寄せた。


「捨てたのは私じゃない。無責任な運び屋が捨てていったんだよ。あれだけ中を見ないようにと念を押したのに、勝手に見たんだね。きっと死体と見間違えたのさ。決まり事を守らないやつはこれだから困るよ」


 不機嫌に言い捨てた後、男の目は次にころりと面白いものを見るものに変わった。

 童顔なのが拍車をかけて、まるで童のように表情が豊かに移ろう。


「その点、あんたはもの好きだね。落ちていた人形をここまで手懐けるなんて。だが残念だけれど、返してもらうよ。あれは手間もかかったし一段と高価なものなんだ。代えはない」


 男はするりと東吉の手をすり抜けた。


「さあ、来るんだ。ここはお前の居場所じゃない」


 男はそう言って、瑠璃に手を伸ばした。


 東吉は咄嗟に男の腕をひっつかみ、勢いにまかせて投げ飛ばしていた。

 小柄な男は壁に身体をぶつけると、咳をしながら短く呻いた。


 しまったと思ったが、こうなってしまえばと勢いに任せて、東吉はそのまま怒りをぶつけた。


「お前は本当に瑠璃の親と言えるのか! 瑠璃を前にして、手懐けるとはよく言えたものだな!」


 男はよろよろと壁伝いに立ちあがった。


「ずいぶんと威勢がいいじゃないか」


 そう言った直後にむせ返って咳き込み、しばし呼吸を整えてから男は静かに問いかけた。


「それは人形だ。人として扱うあんたの方が狂っているんじゃないのかい?」


 東吉の反論できない心を見透かしたのか、男はにやりと笑った。


「これを人形と見るか人と見るかはあんたの勝手、私の勝手だ。まあ、作り手の私としては人と見てくれるあんたに感謝したいけれどね」


 すると一転、男はすっと真顔になった。


「しかしね、こちらの事情も考えてもらわないと困るよ。これは大切な献上品なんだ。あんたのために作ったわけじゃない。頼みに応じて容姿を整え、魂を与え、生きた人形を作り出す。それが魂を操る人形師である私の仕事だ。あんたは私に食うに困れと言うのかい」

「魂を操る、だと?」


 この世にそんな力を持つ人間がいるとは思えない。もしいたとしても、人間と言うよりも物の怪の類のように感じられる。


 しかしこの男は実際、どこか浮世離れした雰囲気を持っていた。


 話し方も独特であるし、髪を結わずに短く切り落としているところも、出家などではなく、世の型に納まるのを抗っているように見える。

 偉そうに物を言うくせに、物腰は粗雑ではない。むしろ、流れるようなしなやかさがあった。

 それは中性的な声色と共に、この男が女のような艶やかさを兼ね備えていることを教えた。


 目尻の上がった、くるりと大きな目。

 普通は幼く見えるはずなのに、この男の場合、そんな目でも何もかもを見抜いているような威圧感が矢のように突き刺さってくる。


 魂を操る人形師という奇妙な肩書と、世の型に納められない男の風貌は、妙に重なり合ってしまう。


 だから、瑠璃という生きた人形がいる現実も背を押して、魂を操るという男の言葉を頭ごなしに否定することはできなかった。


「この人形は返してもらう。さあ、そこを通してもらうよ」


 人形を作ることで生活している男の言い分はもっともだが、東吉は引き下がらなかった。

 なぜなら、瑠璃には自我があるからだ。草鞋を編みたいという意思を見せるほど、瑠璃は人形の枠を超えた自我を持っている。


 直義は戸口を遮る位置から動かなかった。


「お前が魂を与えたと言うなら、なおさらだ。瑠璃は生きている。物と同じように扱うわけにはいかぬ。親ならば当然、子の幸せを願うはずだ」

「あんたは私が親でないと言いたいみたいだね」


 男は不機嫌に吐息した。

 苛々をめいっぱい顔に出す男に、東吉は物怖じせず真っすぐに向かい合った。


「確かに、私は瑠璃を拾った。お前から買ったわけではないし、瑠璃が本当に行きたいところはどこなのかも知らない。瑠璃がお前の連れて行くところへ行きたいと言うのなら、私に止める理由はない」

「人形に聞けというのかい。どちらが主人なのかわかったものではないね」


 フンと鼻を鳴らし、男は瑠璃に向いた。


「お前はどちらをとるんだい? 産みの親の私か、情に厚いだけの馬鹿なこの男か」


 瑠璃は固定された表情のまま、毬を抱えて静かに立っていた。

 そして、しんと静まり返ったあばら家に、鈴のような声を落とした。


「苦しみの沼に手が見えた。優しい優しい冷たい手。瑠璃はその手を取ったから、川を流れて瑠璃になった」

「……瑠璃?」


 突然意味のわからないことを言い出した瑠璃を心配したが、男は難しい顔をして瑠璃をじっと見ていた。

 まるで瑠璃の言ったことを理解しているようだ。


「瑠璃は瑠璃。東吉が大好き。優しい左手も好き。だけどあの右手は怖い。左手は右手と闘っている。右手が来るよ。あの右手が、左手を取り返しにやってくる」


 男が身構えたのがわかった。

 そして瑠璃の様子がおかしいことにも気がついた。

 瑠璃の周りに黒い影のような靄が取り巻いていたのだ。


 その靄は膨らんでいき、様々な方向に伸び始めた。そしてそれらは手のような形となり、何かを探すように宙をかいている。

 まるで瑠璃からたくさんの黒い手が伸びているようだった。


「瑠璃!」


 呼びかけても、すでに瑠璃は一切の反応を示さなかった。

 あれだけ自由に動いていた手足や目はぴくりとも動かず、まるでただの人形のようにそこに直立していた。


 一方瑠璃から伸びた黒い手は、何かを求めるように動き回っている。


「何だこれは!」


 東吉が男を見やると、男は真っ青な顔で黒い手を睨みつけていた。


「厄介なやつが出てきたね。今日は出直そう」


 声を低くしてそう言うと、男は叫んだ。


蝉丸せみまる!」


 男の呼びかけで、あばら家の戸が開いた。

 そこには黒ずくめの男が静かに立っている。


「行くよ、蝉丸。今日は良くない。出直しだ。お前はこの部屋に入ってはいけないよ」

「承知しました」


 男は瑠璃から四方八方に伸びる黒い手を見ながら、落ち着き払ってみせた。


「あれはじきに消えるから安心しな。あんたを狙っているわけじゃない」

「あれは何だ! 瑠璃は……無事なのか!」

「そうでなければ私が困る」


 男は焦燥を隠し切れていない顔で、微笑を浮かべてこう付け加えた。


「また来るよ。私の名は宮江みやえ光司郎こうしろう。この世で唯一、魂を操ることのできる人形師さ。覚えておかなくてもいいけどね」


 そして「さあ行くよ」と、忍に抱えられて消えてしまった。


 あばら家に取り残された東吉は、たった一人で黒い手に対峙することになった。

 瑠璃に呼びかけても返事はない。あの靄に瑠璃の身体が乗っ取られてしまっているようだ。


 しかし黒い靄の手は何もない宙に手を伸ばし、ずっと遠くに伸びていくと、ついに薄れて消えてしまった。


 耳に痛いほどの静けさが残った。まるで今あったことが全て夢であったかのように、不気味な手の気配は欠片もなかった。


「何だったんだ……?」


 東吉はしばらく頭を整理するのでいっぱいだったが、ガシャンという大きな音に我に返った。

 慌てて顔を上げると、瑠璃が床に転がっていた。


「瑠璃、大丈夫か!」


 陶器の身体を抱え起こした。

 普段大きな瑠璃色の目はゆらゆらと動いて、うつろに東吉を探しているようだ。


 しばらく視線を漂わせて、瑠璃は青い目を閉じた。

 肩を揺さぶっても名を呼んでも、瑠璃は動かなかった。


「目を覚ましてくれ……」


 眠っただけだと言い聞かせ、瑠璃が再び動き出すのを祈るしかなかった。

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