五、真実③

 囲炉裏の火も消され、真っ暗になった部屋。

 直義は眠れるはずもなく、もう身をよじって縄を抜けるのも諦めて、光司郎の問いを噛み砕いて整理していた。


 そしてそこから浮上した新たな疑問。

 宮江光司郎とは何なのか。


 魂を操ることができる人物とはそうそういない。

 光司郎のこの屋敷のありかを調べる上でわかったことは、宮江光司郎がこの地のまつりごとに関して重要な人物であることだ。

 領主の要望に応じて生きた人形を作り、それは珍品としてあらゆる権力者に献上される。そうしてこの地は、戦や小競り合いからうまく逃れてきた。


 光司郎が魂を操る力を人形師という地位で利用するに至るには、どのような経緯があったのか。何故そのような力を得るに至ったのだろうか。


 考えても答えが出ない疑問に悩まされていると、淡い灯りが近づいてきた。


 警戒してじっと構えると、それは灯りを持った蝉丸だった。


「起きておられましたか」


 何をしに来たのだと、口ではなく目で言ってやった。

 蝉丸は直義の前に、丁寧な物腰で座った。


「手荒なまねをいたしまして、申し訳ありませんでした」


 蝉丸の口から出た言葉は意外なものだった。あろうことか小さく頭を垂れている。


「逃がしてやるとでも言いにきたのか」


 真意をうかがうように挑発してやった。


「いいえ。光司郎様のご命令でありますので、それはできませぬ」

「では何をしに来た」

「直義殿に、真実をお伝えしに」

「何の真実だ」


 ぎょくの瞳が直義を捉える。


「直義殿は、光司郎様を知らなすぎる。憎しみに満ちた目を光司郎様に向けないでいただきたい。そのために、あなた様の知るべき真実をお伝えに参りました」

「主人を恨むなと? 都合のいい話だ。私の憎しみや、冴と瑠璃の無念はなかったことにしろと言う気か」


 語気を強めてやった。

 蝉丸は首を振る。


「そうではございません。直義殿は思い違いをされておられる。思い違いで光司郎様を恨んでいただきたくはないのです。光司郎様は、直義殿が思っているような方ではございません」

「黙れ!」


 縛られているのであまり自由はきかなかったが、それでも直義は蝉丸に掴みかかるような勢いで言った。


「何が魂の探究だ! そんなつまらないもののせいで、冴と瑠璃は無念のうちに死んだ! それが嘘だとでも言いたいのか!」


 しかし蝉丸は怖気づくことなく、それどころか穏やかに首を左右に振った。


「それは直義殿の勘違いです。光司郎様が、直義殿がそう思い込むように仕向けているのです。確かに光司郎様は、冴殿の魂を取り上げました。しかし光司郎様はあなたが思うほど酷いお方ではございません」

「冴を殺したことに違いはないだろう! 妻を殺した人間を恨むなと言うのか!」


 目に涙が滲んだ。


「目を潰され、腹が裂かれ、なぜあんな死に方をしなければならなかった! なぜあれほどの苦しみを与えて殺したんだ! その事実のどこからあの男を恨まぬ理由を見いだせと言うんだ!」


 目を潰され、何をされたのか。簡単にできてしまう予想を否定するのは難しかった。腹を裂かれ、どんなに痛い思いをしたのだろうか。想像を絶する苦痛だろう。


 あの男は自分が冴の魂を奪い、人形に宿したと言った。ならば宮江光司郎が冴を殺したのは確実だ。

 そのどこが勘違いだと言い、なぜ蝉丸は宮江光司郎をかばうのか。


「瑠璃殿が亡くなったのは光司郎様のせいではなく、寿命でした。しかし光司郎様は、あなたの妻である冴殿の魂を取り上げた。これは紛れもない事実です。ただ、その行為は、冴殿を助けようとする光司郎様のお心があっての行為だったのです」

「人を殺すことが、なぜ人を助けることになる!」


 蝉丸は少し黙った。それから、ひとつひとつの言葉を丁寧に紡いだ。


「私は人形であるので、痛みがどういったものか人並にはわかりませぬ。しかし直義殿、人間であるあなたならば想像ができると思います。先ほどあなたがおっしゃった通り、冴殿は苦しみの中で死を迎えようとしていた。その苦痛を、光司郎様は取り除いて差し上げたのです」


 蝉丸が何を言おうとしているのか、よくわからなかった。


「順を追って、ご説明いたします」


 蝉丸は整った姿勢をさらに正して、話し始めた。


「あれは去年の冬のことでした。私と光司郎様はこの山の中に捨てられていた女たちの死体を発見したのです。その中に一人、息がある者が混じっておりました。それが冴殿だったのです」


 意図していなかった話の始まりに、直義は眉根を寄せた。


 蝉丸は続ける。


「まだ息のある冴殿を見つけた光司郎様は、屋敷に運び入れ、看病するようにと私におっしゃいました。逆髪が体を拭き、泥だらけの着物ではかわいそうだからと、光司郎様はご自身の着物を冴殿に差し上げました。さらに、自分は堅い寝筵で良いと、冴殿に真綿の布団まで差し出されました。そして光司郎様は、直義殿に会わせる顔がないと死を望む冴殿に生きる道を諭し、ご自身の手で重湯を冷ましながら冴殿に食べさせ、看病なされていました」


 それは想像とは全く違う、思わぬ展開であった。

 蝉丸の話に耳を傾けている自分がいた。


「二晩はなんとか冴殿も頑張られていましたが、三日目の夜は傷が膿と熱を持ち、もうどうにもならぬと光司郎様は辛そうにおっしゃいました。冴殿も意識をなくし、うわ言のように苦しい苦しいと、細く荒い呼吸の間におっしゃっていました。それを見た光司郎様は、せめて苦しみから早く解き放たれるようにと、冴殿の体から魂を抜き取られたのです。苦しみに喘ぐ冴殿を放置し、苦しみの果ての死を待つよりも、光司郎様は痛みもない安らかな死を冴殿に与えたのです」


 作り話にしては、少々具体的すぎた。さらにこの話は、宮江光司郎という人物の印象を大きく覆すものだった。人を見下す嘲笑と、意地のねじ曲がった態度が、あの男の本質であるはずだ。


「安らかな死とは、死を経験したことのない生きている私たちには、どういったものなのかわかりません。光司郎様もいつかそうおっしゃられていました。しかし生きている人間がこれまでの経験と知恵を振り絞っても、想像するに至らないほどの苦しみを誰かが味わっている時、それが死の境でのことならば、なるべく早く楽に死へ導くのも救いの一つではないかと私たちは考えるのです」


 簡単に賛同できる考えではなかったが、軽々しく否定できるものでもなかった。

 深く考えたこともなかった難題に何も言えないでいると、蝉丸は声を落として言った。


「誠に身勝手な考えでしょう。しかし本当は我々も答えが出せないでいるのです。実際に手を下す光司郎様は、本当にそれが苦しむ本人のためになるのかどうか、その疑問に苛まれていらっしゃいます。もちろん口には出されませんが、しかしたとえ冴殿のためとはいえ冴殿の命を奪ったという行為に、光司郎様は罪悪感を覚えておられるのです」


 蝉丸は間をおいて、続けた。


「冴殿の夫である直義殿にも、憎まれようとなさっています。それが冴殿に死の引導を渡したご自身の罰だと、光司郎様は受け止めておられるのです」


 突然そんなことを打ち明けられても、混乱するばかりだった。


 蝉丸の言い分が正しいとするならば、自分が恨んでいる相手は冴を助け、看取ってくれた者だ。しかし同時に冴の命を意図的に奪ったのも事実ということになる。


「冴の目を奪い腹を裂いたのは、宮江光司郎ではないのか?」

「もちろんでございます。山賊や追剥のたぐいでしょう。残念ながら我々はそこまでの経緯を知りません。冴殿の遺体を村の道筋に帰したのは私です。家族が弔えるようにとの、光司郎様の計らいでした」


 まさか本当に、あの男が冴を助けようとしていた?


 いや、信じてはいけない。蝉丸は作り話を言わされているのかもしれないのだ。


 思い出せ、あの男の嘲笑う憎い顔を。神の手をもつ人形師という肩書こそが、面白がって魂を操っている証拠ではないか。


「お前は私にあの男の慈悲深い面を語るだろうが、結局はお前の口から出たものだ。素直に信じるとでも思っているのか」


 睨みつけてやると、蝉丸はわかっていると言わんばかりにゆっくり頷いた。


「そのように言われると思っておりました」


 蝉丸は人形なのに、人間のように、少し肩を落とした仕草を見せた。


「しかしどうか、光司郎様の冴殿に対する心遣いだけは信じていただきたい」


 そう言うと、蝉丸は床に額をこすりつけるように頭を下げた。


 そんなことをされると、まるで自分が悪者のようだ。やめろと言っても顔を上げようとしない。

 居心地が悪くなって、直義は大きな嘆息の後に言ってやった。


「お前の話は心にとどめておこう。しかし真実を見極めるのは私だ」


 するとようやく蝉丸は顔を上げた。


「ありがとうございます。直義殿は人形の我らにも人のように接して下さる清い心をお持ちです。私は直義殿の心の目を信じております」


 蝉丸がそんなことを言っていると、不意に物音がした。

 驚いて蝉丸が振り返る。直義も同時にそちらに目を向けた。


 灯りに浮かび上がっていたのは、寝巻姿の光司郎だった。

 柱にもたれかかって立っている。床に就いていたのに、起きてきたようだ。


「光司郎様……!」


 蝉丸は慌てて腰を浮かせた。


「何やら話声がすると思えば、仲良くなったようじゃないか」


 そう言った光司郎は、苛立ちを見せつけるように不機嫌な顔を露わにしていた。睨みを利かせて蝉丸を見下ろしている。


「光司郎様、こんな夜中にどうされました? お加減がよろしくないのですか?」


 後ろに逆髪も灯りを持っておろおろとしている。


 光司郎は蝉丸の問いかけには答えず、別の問を返してきた。


「蝉丸、余計なことを話してはいないだろうね?」

「……もちろんでございます」


 蝉丸は平静に言った。しかし光司郎は、返答の一瞬の躊躇を見逃さなかったようだった。

 光司郎は刹那に目を見開いて体をこわばらせ、息を短く吸って、その顔にはみるみる怒りがにじみ出た。


「蝉丸! お前何をっ――!」


 そこまで叫んで、突然光司郎は咳こんだ。

 ひどい咳だ。息をする間もないようで、光司郎は膝を折ってその場に屈みこんだ。


「光司郎様!」


 蝉丸と逆髪が駆け寄る。

 しかし光司郎は、咳きこみながらも二人の手を払いのけた。


「私は、私はまだ大丈夫なんだ。いつもそう言っているだろう!」


 咳が少し治まってから、肩でぜいぜいと呼吸を整えながら光司郎は言う。

 しかし直後、短く呻くと、胸を押さえて倒れてしまった。


 蝉丸は慣れたように光司郎を抱え起こした。


 光司郎の顔がうかがえた。

 顔は白く、唇は青い。短く切っている髪からのぞく顔は、痛みにしかめられながら、小さい口で必死に空気を求めている。


 そして脱力した手には、微量の血痰けったんがついていた。

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