五、真実②

 温かく、そしておいしそうな香りが漂っていた。


 顔を上げると囲炉裏があり、囲炉裏にかけられた鍋を艶やかな髪の女がかき混ぜている。

 長い髪を束ねた後姿で火の加減を見る女性らしい仕草が、直義を混乱させた。


さえ……?」


 その声に反応して、女がこちらに振り向いた。

 その顔はのっぺりとした、能面のような顔だった。


「――!」


 自分の状況に気がついた。同時に体を動かそうとしたが、手は後ろに縛られ、体は柱に縛り付けられている。

 蝉丸に気絶させられ、その間にこのように動きを封じられてしまったようだ。


 縄抜けを試みるが、到底抜けられそうになかった。身をよじる余裕もない。

 必死に腕を動かそうとする直義に見向きもせず、人形は相変わらず鍋を覗いている。


 すると、あの男がやってきた。

 直義に何か言うわけでもなく、視線すら合わせないまま囲炉裏の前に座った。

 後から蝉丸がやってきて、光司郎の肩にそっと夜着をかけた。関節を壊した腕はすでに直されていて、両腕は器用に動いていた。

 蝉丸は光司郎を見守るように、部屋の奥へ座った。


 女の人形から鍋の中身をよそった椀を受取ると、光司郎は一口すすった。


「今日もおいしいよ、逆髪」


 そう言ってまたいくらか食べてから、光司郎は唐突に言った。


「あんたは、魂って何だと思う?」


 こちらに見向きもせずまた食べ始めるので、直義は光司郎が誰に聞いているのかわからなかった。しかし蝉丸が促すようにこちらを見るので、ようやく自分が尋ねられているのだと理解した。


「それは、魂を操るお前が一番知っているのではないのか」


 語気を強めて言ってやった。

 光司郎はゆっくり食事を進めながら、その合間に答えた。


「実際のところ、私にもよくわからないんだよね」


 言ってから、光司郎は少しこちらに向いて薄く笑った。

 それからまた向き直り、漬物を一口食べてから話し始めた。


「今まで多くの魂を奪い、色々なものに宿してきた。魂が宿ると、命が宿る。たとえば人間において、しんぞうの拍動や呼吸を命が宿っている証拠とするならば、魂は心の臓や肺を正常に動かす力のようなものなのか。これを人形におきかえれば、魂は人形が自身で体を動かすための力になるということなのか」


 光司郎はやっとこちらを向くと、今度は別の問いを投げかけた。


「それでは、自我とは何なのだろうね」


 光司郎は試すようにじっとこちらを見る。嫌味とも皮肉とも取れない、素直な問いかけだ。


 直義は光司郎がとても不思議な人間のように思えた。

 髪を結いあげるでも束ねるでもなく短く切り、男とも女ともとれない姿をしている。

 口調は乱暴だが、それに反して物腰はやはり整っている。

 育ちも一切想像できず、この男は直義の知るどの身分にもどの職にも当てはめることはできなかった。


 持って生まれた容姿さえも、見れば見るほど謎は深まる。華奢な体つきからは猛々しい男らしさは微塵も見受けられない。

 だからと言って柔らかく可憐な女らしさがあるわけでもなかったが、それなのに、人の深淵を探ろうとする大きな目と桃色の薄い唇は、妙に妍艶けんえんとも言えた。


 目尻がやや上がり気味なところが、堂々たる眼差しや態度と相まって、高貴な家柄の聡明な若君を思わせる。声には少年の初々しさが残っており、中性的な雰囲気を纏っていた。


「自我とは何なのか。これは私の探究するもののうちの一つでね、とても難しい問題なんだよ」


 光司郎は視線を囲炉裏の火に向けた。


「ある人間の魂を人形に宿しても、その人間の人格は再生しない。全く別の人格が形成されるんだ。それは今まで何体もの生きた人形を生み出してきたから、私にはわかる。でも稀に、前世を記憶した者がいると聞く。だけどそれはきっと記憶にすぎないのだろうね。だから前世に何をしたかは覚えているけれども、前世と同じ人間であるわけでもない。私は自我と魂は別のものだと考える。それはあんたが出した答えと似ているよね」


 直義を一瞥してから、光司郎は言う。


「あんたが瑠璃を瑠璃と認めたことは、あんたの心が強かったからできたことなんだろう。冴と執着しようものなら、瑠璃は瑠璃でいられなかった。自我があっても周りが認めなければ、それは不幸な結末になる。瑠璃が冴であらねばならなくなったとき、瑠璃という存在は認識の世界の中からは消えてしまう。私はそれが不幸だと思うから、瑠璃を瑠璃として認めてくれるあんたに瑠璃を託そうかとも考えたのだけど、世の中はそうはうまくいかなくてね」


 光司郎はこちらを向いて、肩をすくめた。


「自分の命がかかっているとなると、瑠璃やあんたの身勝手に構っていられない。それで私は力ずくで瑠璃を連れ戻しに行ったんだよ。結局のところ、瑠璃は寿命で逝ってしまったけれどね。おかげで私の信用もがた落ちさ。きっともうすぐ贅沢太閤の使いがやってくるんだろうさ」


 くすりと光司郎は笑った。


 訳のわからない話だった。

 しかし瑠璃を連れて行こうとした理由に触れた部分で、直義の内にどろどろと煮えたぎるような感覚がよみがえった。

 そしてそれは、やはり抑えようがなかった。


「お前は冴を殺した! お前が現れなければ、瑠璃だって死ななかった! 今さら言い訳か!」


 声を張り上げたが、光司郎は鼻で笑うようにあしらった。


「ただの世間話さ」


 箸を置き、光司郎は席を立つ。


「一晩そこで頭を冷やしてごらん。そして私をどういう理由で恨んでいて、どのようにしたらあんたの思い通りになったのかを話しておくれよ。あんたのように人形を命や自我のあるものとして認めてくれた者は、悲しいけれど少なくてね。あんたの意見を聞きたいのさ」


 そして部屋を出て行く。

 だが、光司郎はふと足を止めて振り返った。


「冴と瑠璃は同じだったのか、違ったのか。本当のところはどうだったのだろうね。……おやすみ」


 試すような瞳を向けて、今度こそ部屋を出て行った。

 光司郎の後へ続き、蝉丸と逆髪もその場から立ち去った。


 ひとり取り残された直義は、光司郎の謎かけに迷いを覚えていた。

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