四、ある冬の誘い①

 小さな檻の中で頭を深々と下げ、光司郎は言った。


「ご依頼通りの人形が完成いたしましたので、献上にあがりました」

「おお、御苦労であった」


 顔を上げる。見慣れた忌まわしい領主の顔がそこにあったが、光司郎はその感情を一片たりとも見せることなく隠した。

 目の前には大きな木箱がある。子供の棺桶のようなその箱の中には、魂を宿した人形が入っていた。


「これを贈れば、またうまく同盟なども結べよう」

「それはようございます」


 光司郎は空々しく言ってから、付け加えた。


「それではいつものようにお伝えください。この人形に寿命があることと、人間と同じように愛でてやっていただくようにと」

「わかっておる。ところで、太閤殿下への人形はどのような具合だ?」

「肌は特別な化粧を施し麗しく仕上がりました。青色の瞳は大きく、まつ毛もあしらった一級品です。今は胴を整えております。からくりを仕込みつつ関節を組み上げております。仕上げに特上の着物を纏わせれば、入れ物は完成です」

「そうか! それでは続きをしてまいれ。もう帰ってよいぞ」


 光司郎はまた頭を下げた。檻は持ち上げられてそのまま部屋を抜け、屋敷の外まで出される。それからようやく光司郎は檻から解放された。


 檻を見るといつも思う。所詮自分はこの扱いだ。檻を担いでいた男たちは、光司郎が自由の身になると一目散に逃げてゆく。


「光司郎様。御苦労でございました」


 どこからともなく蝉丸が現れた。


「お身体はいかがですか? この頃体調がよろしくないように見えますが」


 そんな蝉丸の心遣いを、光司郎はすんなり避けた。


「帰るよ」


 歩き出す光司郎の後を、蝉丸は当たり前のようについてくる。

 天気はあまり良くなかった。冬の雲が、空を厚く覆っていた。


「雨が降りそうですね。屋敷に戻るまでに降らねばよいのですが」


 しばらくして蝉丸の心配は的中してしまった。もうあと半刻で着きそうな頃合いに、氷雨が降りだしたのだ。蝉丸の用意していたみのが、光司郎を冷えた雨から守る。

 蓑に加え、蝉丸は傘をさした。自分は濡れても、光司郎には一滴の水もかからないように。


 しばらく歩いていると、蝉丸がふと光司郎の前を手で塞いだ。


「どうしたんだい、蝉丸?」

「野犬が群れております。しばしお待ちを」


 傘を渡された光司郎は、細い山道をそれて森に入る蝉丸を見送った。

 野犬が吠える声が聞こえてきたが、ほどなくしてそれが遠くなっていくと、蝉丸が戻ってきた。


「どうだった?」


 まず傘を受取ってから、蝉丸は答えた。


「人の死体に群がっておりました。女の死体ばかりです。野犬は追い払いました」

「そうかい。こんなところに捨てて行くなんて、困ったものだね」


 光司郎は森の中を覗いた。

 奥の方には、蝉丸が言ったように女たちの死体が山のようにまとめて放置されていた。


「片付けますか?」

「いいよ。このままここで自然にかえらせてやろう」


 そう言って去ろうとした光司郎であったが、不意に視界の脇に動いたものを見つけた。


「光司郎様?」


 蝉丸に何も言わず、光司郎は森の中に入った。

 虫が群がり始めている死体に気後れすることなく、ある一つの死体の前で光司郎は立ち止まった。


 手首をそっと触り、頬に手を当てる。

 脈は打っているし、まだ温かい。それは確実に死体ではなかった。


「蝉丸」


 背後に呼びかける。


「まだ息がある。屋敷に連れていくよ」

「承知しました」


 蝉丸が抱きあげ、光司郎が蓑をかけてやった。それから少し歩いて、屋敷に着いた。


◆ ◇ ◆


 逆髪が女の体を拭いているのを、光司郎は端から見ているだけだった。


 雨でいっそう冷やされた空気に触れるのが嫌で、人形作りの手も休めている。逆髪の入れた囲炉裏の火が、この部屋を温めていた。


「まだ生きているのかい?」


 逆髪は無機質な顔で振り向き、小さく頷いた。

 光司郎は重い腰をあげ、女の様子を見てみることにした。


「腹の傷が酷いね。両目はそれ以前にやられたのか」


 その女は、両目が潰されていた。刃物の傷で、意図的にやられたものと見て取れる。かなり前の傷のようで、傷と一緒に瞼までも二度と開けぬ具合に塞がっていた。

 一方で腹の傷は新しく、血の色は鮮やかだった。


「山賊か追剥おいはぎか。金品を奪うのがついでで、体目当てだったんだね。盲目にして体をもてあそんで、飽きて用済みになったから始末したってわけか」


 顔を上げ、蝉丸を探した。

 桶に水を汲んでやってきた蝉丸に、光司郎は言った。


「蝉丸。私の着物の一つでも貸してやりな。この泥だらけの着物で布団に寝かされては困る」

「布団もよろしいのですか?」

「貸すだけだよ。たまには寝筵ねむしろでもいいさ」

「承知しました」


 蝉丸は持ってきたぬるま湯を逆髪のそばに置き、再び部屋を出て行った。


 それを見送っていたが、突然呼吸がおかしくなって光司郎は咳き込んだ。咳はしばらく続いたが、深呼吸をすると治まった。


 逆髪がこちらを見ていた。


「囲炉裏の灰だよ。お前も蝉丸も心配しすぎだ」


 そう言うと、まだこちらの様子をじっと見ていた逆髪は、しばらくして再び女の体を拭き始めた。


 光司郎はため息をついた。外の人間がこの屋敷で夜を明かすのは初めてなのだ。無性に窮屈なものを感じて、光司郎は肩を縮めた。


 今日は早々に離れの自室へこもってしまおう。そう決めると、光司郎はいそいそと部屋を後にした。


 部屋を出ると、冷え切った空気がはびこっていた。ぞくりと体が震える。

 すると、突然足元に怖ろしく冷たい何かがまとわりついた。まるで氷の蛇がまきついたようで、冬の空気とは違う気味の悪い冷たさだった。

 驚いて足を見下ろすと、床から伸びた黒い半透明の右腕が、光司郎の足に絡まるようにしがみついていた。


 悲鳴は咄嗟に飲みこんで、急いで足を振るった。すると、それはすうっと消えてしまった。

 足は何ともないし、黒い手はもうどこにもない。幻覚だったのだろうか。


「光司郎様、着物はこちらでよろしいでしょうか」


 声に驚いて、慌てて振り向いた。

 蝉丸が着物と布団を抱えてやってきたところだった。


「光司郎様?」


 蝉丸が小首を傾げた。

 光司郎はいつものため息に見せかけた大きな吐息と共に、今しがた見た黒い手の像を頭から振り払った。


「何でもない。着物はそれでいいよ。私はもう休む。後はまかせたよ」


 そう言い残して、光司郎は急いでその場を離れた。


◆ ◇ ◆


 朝はとても晴れていた。澄みわたる青空が天高く広がる、冬の晴天だった。


 人形作りにとりかかろうと、母屋の作業部屋へ向かおうとした光司郎だったが、昨日のことを思い出し、先に女の眠る部屋へ向かった。


 逆髪と蝉丸がうまくやったのか、女は貸した布団と夜着の間で静かに眠っている。


「さて、どうしたものかな」


 女の今後の扱いを考えながら、光司郎はため息交じりに、今度こそ人形作りに向かった。


 魂は容易に手に入るものではない。犬や鳥の魂でも操れればよかったのに、どういうわけかこの両手は人の魂しか操れない。

 人の魂なぞ簡単に転がっているものではないので、人形に込めるのは自分の左手で奪った魂に限られる。


 だからこそ、これから体を離れゆく魂は左手でつかみ取り、新たな人形のために保存しておかなければならない。健やかな人間の魂を無理矢理奪い取るのが嫌ならば、そうせざるを得ないのだ。


 それに今は、豊太閤へ献上する人形の魂が必要であった。

 目がひときわ大きく青色の瞳という注文のため、作りかけの人形でごまかすわけにもいかなかった。

 作りかけの人形の中にはすでに魂を宿してあるものもあるが、一度宿した魂を安易に抜き取りたくはないので、一から作らねばならない今回においては新たに魂も探す必要がある。


 だから光司郎が困ったのは、あの女の魂をどうするかということだった。

 もう虫の息なのだから、痛みに弱った体から引き剥がして死を促してやる方が、この女のためなのかもしれないとも思う。羞恥の心の傷を噛みしめ苦しみ生きるより、その一生を終えた方が気は楽だろう。

 そうすれば魂は新たに人形として生まれ変わることができる。


 だが、はたして死期を急かすのはこの女の望むところなのだろうか。


 そんなことを考えながら、光司郎はすでに焼き上がっている手の部品の選別をした。


 選別が終わると、部品を組み合わせながら、くじらの髭で簡単なからくりを仕込んだ。

 作業に没頭すると時は駿馬しゅんめのように走り去り、気づけばもう夕刻だった。


「光司郎様、夕餉の支度ができました」


 蝉丸の声に振り返りもせず、光司郎は仕上がった人形の手の動きを確かめた。


「あの女には何か食べさせるのかい?」

「逆髪が重湯おもゆを作っております」

「そう」


 そっけなく返して、光司郎は立ち上がった。


「私が食べさせるよ」


 さらりと言ってのけて、女の寝ている部屋に向かった。

 蝉丸が慌てて追ってくる。


「こ、光司郎様! そのようなことは私と逆髪がやりますゆえ、わざわざ光司郎様がなさらずとも――」

「少し話がしたいんだよ。私にだって人の世話くらい少しはできる。心配なら見ていればいい」


 蝉丸の意見もすっぱり跳ねのけ、光司郎は女の眠っている部屋に上がり込んだ。

 女の傍らに座り、顔を覗きこむ。顔の上半分は冷やした手ぬぐいに覆われているため、口元の様子しかうかがえない。しかしその唇を見ただけでも、容態が悪いのは明らかだった。


「唇が真っ青だ。血が足りないようだね」


 そこへ逆髪がしずしずとやってきた。重湯を運んできたところだった。


「逆髪。後は私がやるから、お前は下がっていなさい」


 逆髪はしばし戸惑って、何も言わない光司郎の代わりに蝉丸を見やった。

 蝉丸に促され、逆髪は光司郎に湯気の上がる碗を差し出した。


 受け取った重湯を匙でかき混ぜると、さらに真っ白な湯気がもわりと立ち上った。


「逆髪、これでは火傷してしまうよ。もう少し冷まさないとね」


 笑って言ってやってから、光司郎は自分の息を吹きかけて冷ました。しばらくそうしてから、匙で一口食べてみる。冷たくはないが、熱くもない。


「さあ、これで重湯も冷めた。あとはあんたが食べられるかどうかなんだけれど、ものを食べる力はあるのかな?」


 女に問うと、少し反応が見られた。唇がかすかに動いたのだ。何かを言っているようだ。

 光司郎はできるだけ耳を近づけて、切れる寸前の絹糸のようなか細い声を拾った。


「ここはどこ?」

「ここはちょっと人里離れた山奥の屋敷だよ」

「なんで……」

「あんたが倒れていたから拾ってきたのさ。傷は一応手当しておいたよ」


 状況を理解できたのか、女の口は引きつったようだった。


「私、もう帰れない……」


 少し早い呼吸の合間にこぼれた声は、震えていた。


「あんなことをされて……。こんな顔になって、もう私は……! 死にたい……!」


 手ぬぐいの下から、涙が流れた。潰されているはずの目で、女は泣いていた。


 光司郎は重湯を床に置き、耳元まで近づいて女に言った。


「あんたはね、今生きているんだよ。この世にあんたが命を授かり生まれてきたのは、ものすごい偶然と奇跡によるものだ。それなのに、今まで築いてきた人生を、自分自身の手で無下にしてまで安楽な死を望むのかい?」


 涙の筋が増えた。悔しそうに、女は唇を歪ませた。


「ややこしいことを考えるのはよしなさい。今は黙って重湯をその体に流し込むんだ。そうして執着しないと、私はあんたの魂を奪ってしまうよ」


 光司郎は再び手に取った重湯をさじですくい、女の口に注いだ。

 幾度かそうして食事が終ると、女はまた眠ってしまった。

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