八、光⑤
「人形師一人ではなかったか! 誰だ、貴様!」
刀を持った男が叫んだが、名乗ってやる義理はない。
直義は足元に転がっている今しがた斬った男の刀を拾い、両手に刀を構えて縁側を飛び降りた。
腕の良さそうな方の刀を右で先に受け止めて、もう一人も左の刀で受け止めた。しかし左腕では抑えきれず、ぎりぎりと押された。やはり両手では分が悪かった。
その隙を狙って、右の方が直義の刀を押し弾いた。すぐに体勢を整えて斬りこんでくる素振りが見える。
だから力比べをしていた左の刀をわざと下に崩して手放し、左の男が前のめりに体を崩した隙に、右の男との間合いを詰めて、先に斬ってやった。
そしてすぐに振り下ろした刀を逆手に持ちかえて、背後を取ろうとしてきた左の男に、背を向けたままで突き刺した。
刀を引き抜くと生ぬるい
直義の覇気に残りの者たちは怖気づいたが、一人が行灯を捨てて雄叫びをあげながら抜刀した。
直義も気合いを見せて、渾身の力で刀を受けとめた。向こうは全体重を乗せてくる。力の入れ方が上手く、直義も歯を食いしばってそれに対抗した。
その最中にも、ヒカルが心配でならなかった。しかし庭に残っているのは行灯持ちと駕籠かきだけで、それらは皆へっぴり腰だ。
それでもこの状況でヒカルが危険なのは変わらない。
一瞥でいいから無事を確認しようと、ほんの一瞬離れを確認した。
だがそこで、直義は目を疑った。
魂を抜かれていたはずの烏帽子の男が、ヒカルの首を絞めていたのだ。ヒカルは苦悶の表情で抗っている。
「ヒカル!」
叫ぶことはできても、駆けつけることはできなかった。どれだけ力を注いでも、相手の男も負けなかった。
烏帽子は、苦しむヒカルを見て大笑いしていた。
「口ばかりの人形師が! ほれ、言った通りじゃ! 触れたところで簡単に死なぬわ!」
「貴様、その手を離せ!」
動くことのできない直義を見て、烏帽子の男はにいっと下品に笑った。
「おお、離してやるとも」
すると、締め上げていたヒカルを投げ捨てた。ヒカルは受け身すらとれずに
「生きて持ち帰らねば意味がないのでな。お前たち、さっさと持っていけ!」
烏帽子に怒鳴られ、
「やめろ!」
直義が行こうとするが、力比べは終わらない。むしろ相手方が優勢になってきた。
「ヒカル、起きろ!」
ヒカルは床に崩れたままぐったりとしていた。
男たちはそのヒカルを恐る恐るつついて、起きないのを確認すると、格子の檻にいそいそと詰め込んだ。
「待て、行かせぬ!」
ヒカルを入れた檻は運ばれていく。
烏帽子は直義を見て笑った。
「残念だったな」
刀で押されて動けない直義に、烏帽子の男は近づいてきた。そして刀を振り上げ、にんまりと笑った。
もうだめだ。斬られる。
だが、直義が歯を食いしばったその時。烏帽子の動きが止まり、かすれた変な声を出したかと思ったら、そのまま地面に崩れて血だまりを広げた。
何が起こったのかわからなかった。それは力比べをしている行灯の男も一緒で、一瞬力が緩んで隙ができた。
直義はそれを逃さず、今だと力の限り男の刀を押し返して、大きく踏み込んだと同時に一刀に力を込めた。
斬られた男は何かを苦しそうに呟いて、そのまま地に伏した。
烏帽子の男は、もう起き上がりそうになかった。今度は完全に死んだようだ。背から胸を貫くように、大きなものが刺さっている。
よく見ると、それは肘から下の陶器の腕だった。腕から伸びが両刃の剣が、心の臓を一突きしていた。
まさかと思って辺りを探すと、庭の茂みの間に何かが倒れていた。
駆け寄ると、それは蝉丸だった。体はもうぼろぼろで、右腕が無くて中にしまわれていたからくりが飛び出していた。
左膝は砕けており、立ちあがることは難しそうだった。胸は長い矢に貫かれたままになっていて、全身が泥だらけだった。
「生きているか、蝉丸!」
体の状態とは正反対に、ずいぶんとはっきりした声が返ってきた。
「申し訳ありませんでした。どうやら罠にはめられたようです」
「罠だと?」
蝉丸は声を沈めた。
「ええ。虫の巣は、私をおびき出す餌だったようです。護衛役で邪魔な私を片付ける方と、その間に光司郎様をさらう方で、二手に分かれていたのです。ここに下見にきた物は走り使いのものだったようで、逆髪に見抜けなくて当然でした。私の手落ちです。しかしご安心を。私に群がった虫は全て退治してまいりました。直義殿は早く光司郎様を追って下さい」
そうは言っても、この満身創痍の蝉丸を放っておくわけにもいかない。野晒しにしておけば、魂が秋風に飛ばされて死んでしまいそうだ。
「私のことは気になさらないでください」
「そういうわけにもいかぬ!」
せめて部屋に運び入れようと思ったが、蝉丸は残った方の手で制した。
「どうか、光司郎様をお願いいたします」
「私に託さずに、自分で渡せ! お前が直接ヒカルに伝えるんだ!」
蝉丸は首を振った。
「私は寿命ですので。陽の昇る前に命の火は消えましょう」
すると満足そうに吐息をする仕草を見せた。
「そうですか、光司郎様の本当のお名前はヒカル様でしたか……。これは逆髪への良い土産になりま――」
制止していた手が、ガシャンと地に崩れた。
瑠璃の時と同じ音。人形が死んでしまう音。こんなに簡単に、あっけなく。今まで喋っていたのが嘘のように、玉の目には感情の欠片も見出せなくなっていた。
なぜヒカルの大切なものばかりが奪われていくのだろう。果てはヒカルの命さえも。
ヒカルがこの世に何をした! たった独り、人の魂の安息を願っていたにすぎないのに。
直義は荒ぶる心を抑えるように、目を瞑って大きく深呼吸をした。そして目を開けると、刀を握り締めて駆け出した。
山道はうねっており、獣道に入れば山道を先回りできる。
蝉丸の倒れていた茂みを抜け、逆髪がどくだみを集めていた獣道を走った。
この狭い獣道を、あの檻を担いで降りるのは無理に違いない。だからやつらは山道を下るはずだ。
枇杷の木が見えるあたりで、獣道は山道に近づく。
全身全霊の力で走ると、木々の奥に灯りが見えた。
獲物を捉えた直義は、まるで獣のように茂みに隠れて疾風の如く駆け抜けた。
息が上がっていても、足は止めなかった。
草履をはく間もなかった裸足の足はずきずきと痛んだが、そのおかげで息ができずに苦しくても、気が遠くなることはなかった。
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