二、ある秋の依頼②
数日かけて
それは籠と言うよりも
光司郎は慣れた様子で中に入った。
外から
檻のまま担がれて屋敷内まで運ばれると、光司郎は広い間の丁度真ん中に置かれた。
部屋は煌びやかなものだった。
広々と敷き詰められた真新しい畳は、つんと井草の香りがする。
それはまだ良いのだが、金に光る鮮やかな色彩の襖が部屋を囲っていた。
貪欲というものをありありと表現したような悪趣味な部屋に、光司郎は吐き気がした。
そこへ、襖が開けられる音が聞こえた。
光司郎は、その小さな檻の中で、できうる限りに深々と頭を下げた。
「面を上げい。そなたが噂の、神の手を持つ人形師とやらか」
光司郎は苛立ちなど微塵も表に出さず、すっと顔を上げた。
「宮江光司郎にございます。人形に興味があると聞き、参りました」
「動く人形が作れるとは、まことか?」
「はい。生きた人形にございます」
「聞くところによると、魂が宿った人形じゃと。どういう意味じゃ?」
殺意を放つ光のない目で、舐めるように睨みつけてくる。
しかしたいしたことはない。これも初老の枯れた皮を被っただけの、ただの人間だ。
光司郎は動じることなく、すんなり返した。
「お言葉の通り。人の魂を宿しております。生きた人形は太閤殿下の教える通りに動き、学び、言葉も発するようになるでしょう」
「それは見てみたいのう!」
豊太閤はギラギラと目を輝かせた。珍しいものが見られるという期待に、目は色とりどりに輝いている。
それを見ても、光司郎は慣れたように軽蔑の色を隠した。
「御望みとあらば。ただ一つ、約束していただきたいことがあります」
「なんとまあ、偉そうに言いよるのう。何じゃ。申してみい」
光司郎は睨んでくる豊太閤に、まっすぐ視線を合わせた。
「ただの人形といえども、生きております。しっかり愛でてやっていただきたいのです」
「なんじゃあ、それは」
豊太閤はあしらうように笑った。
「動き喋れば情も移ろう。お前の力量次第じゃ」
「それでは、最高のものを作らせていただきます」
豊太閤は満足そうに笑う。
光司郎は丁寧に頭を下げた。
「それで、宮江光司郎よ。そなたは不思議な力をもって、人形に魂を宿らせると聞いた」
「御屋形様からお聞きに?」
「お前を檻から出さぬよう言われておる。その手で人形に魂を入れることができるのなら、人の魂を抜きとることもできよう、と。それはまことか?」
光司郎は愛想よく笑った。
「健やかに生きている人間の魂など、取り上げることはできませぬ。太閤殿下のお考えになっていることは到底できぬ芸でございます」
豊太閤は口をへの字に曲げて唸った後、部屋の隅に控えていた男を呼んだ。
「おい、そこの。あの小僧の前に座らんか」
「は、はっ」
男は意図が分からず、困惑しながら光司郎の前にやってきた。
「光司郎とやら。この男の魂を抜き取ってみい」
とんでもない命令に、光司郎は一瞬豊太閤が何を言ったのか理解できずに絶句していた。
男の方はもっと驚いて、慌ててこちらに振り向いた。
男は動揺して口をぱくぱくさせている。
そうなるのも当たり前だ。死ねと言われているようなものなのだから。
しかし豊太閤は男の必死の抗議も聞き流して、くつろぎながら光司郎に言った。
「できるのならやってみよ。できぬなら、できぬと証明してみせい」
豊太閤の指示で、他の男たちが逃げようとする男を抑えた。男は必死に豊太閤に助けを乞うていた。
それが哀れで、光司郎は小さく吐息すると、部屋に通る声で言った。
「私の魂を操る力は、この両腕に宿っております。左手で魂をつかみ取り、右手で注ぎ込む。今この者を、魂をつかむことのできる左手で触れてみせましょう」
光司郎の檻の閂が開けられた。檻の扉が開き、光司郎は檻の中から左手を伸ばした。
「ひああああっ!」
男の目は恐怖に滲んでいた。
魂を操るこの自分に怯えているのだ。
しかし男に同情しつつも、命乞いの眼差しをすんなり避けた。
男は身じろぎして光司郎の手を拒んだが、光司郎は構わず男の胸に左手を当てた。
「ひっ――!」
男の小さい悲鳴が聞こえて……、その後は、何も起こらなかった。
光司郎は手を引っ込めると、空々しく言った。
「これでできぬことの証明になりましたでしょうか」
太閤はバチバチと扇子で膝を叩きながら、声を地鳴りのように響かせた。
「おもしろうない。本当に生きた人形など作れるのか、貴様」
穴のような黒目で、光司郎を睨み上げた。光司郎は口の端を三日月のように釣り上げた。
「現物をもって、証明いたします」
唸って、結局豊太閤は渋々引いた。
「お前の言葉が一つでも嘘なら、腹を切れ」
「肝に銘じておきます」
光司郎は、口元の三日月を崩すことなくそう言った。
後はこの依頼主の好みを聞いて、どのような人形を作るかに話は移った。
◆ ◇ ◆
屋敷に戻ったのは、数日経った夜のことだった。
「大丈夫でしたか、光司郎様」
籠かきの男らが帰った後、すかさず蝉丸が楓の木の上から飛び降りてきた。
その振動で真っ赤な紅葉が地面に赤子の手形を作る。
「聞かずとも、こっそり着いて来ていたのなら知っているだろう」
「お体のことでございます」
「そんなことは気にしなくていいよ」
旅の荷を蝉丸に渡し、屋敷に入って逆髪を探した。
「逆髪、茶でも入れてくれ」
逆髪は小さく頷いて、すっと囲炉裏に向かった。
「京はいかがでしたか? 依頼に無理はございませんでしたか?」
「たいしたことはない。着物は赤地に金糸で豪華に、髪の艶やかな無垢な童を。青い目という妙な注文をされたけれど、そんな人形なんて作ったことがないから少し楽しみだね。あの贅沢者の太閤殿下も、魂を操ることには興味津々なご様子だった」
土間で
蝉丸から手ぬぐいを受取って、顔を拭った。
ふと見た桶の水面に、自分の顔が揺らめいていた。
濡れた毛先から水が滴り、その間から覗く自分の目と視線が合う。
魂の操りに興味を持った豊太閤の面白そうな顔と、その犠牲となりそうになった男の顔が浮かんだ。
何でも手に入れられると信じきった貪欲に獲物を捕らえる目、そして化け物を見るような恐怖に歪んだ形相が脳裏に焼き付いていた。
それは紛れもなく、この自分に向けられたもの。
光司郎は桶の水を頭からかぶった。そして乱暴に桶を放り捨てた。
桶が釜戸にぶつかり、大きな音をたてた。
「光司郎様」
蝉丸がそっと促す。
「お身体に障ります。どうか囲炉裏の火のそばへ」
しばらく黙って立っていたが、結局はやり場のない思いを吐息として大きく吐き出しただけで、光司郎は濡れたまま屋敷に上がった。
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