六、霞と糸くず①

 騒がしい声で直義は目を覚ました。久々に雨風しのげる場所で眠ったので、思いのほかぐっすり寝ていたようだ。


 昨晩の看病の後、蝉丸と逆髪に母屋の一室に通してもらっていた。

 もちろん、すぐに眠れたわけではなかった。光司郎の言動と、蝉丸の話、そしてあの冬の忌まわしい記憶を何度も何度も照らし合わせては、真実を導こうとしていた。


 光司郎は女だった。だから冴をあのように痛めつける理由がないということまでは結論づいた。

 しかし蝉丸の証言からすると、やはり冴を殺したのは光司郎だった。

 初めは冴を救う気持ちで看病していたらしいが、最終的に光司郎の手で冴の魂は取り上げられ、冴は死んだのだから、光司郎が冴の仇であることに変わりない気がしてきた。


 蝉丸は、冴を死に導いたのは光司郎の善意であったと言った。確かに計り知れない痛みに悶える姿は、見るに耐えなかったかもしれない。

 しかし、苦痛から解放するために魂を抜きとることは、冴にとって本当に最良のことであったのだろうか。


 そもそもこの行為は、光司郎の場合善意と言えるのか定かでない。

 光司郎は人の魂で生きた人形を作るらしい。冴の魂を取り上げたのは痛みからの解放などではなくて、単に瑠璃を作るために魂が必要だったからではないかという薄情な動機も想像に容易い。


 蝉丸の意見はこの際どうでもいい。手を下した当の本人である光司郎は、一体どのような思惑で冴の魂を奪ったのだろうか。


 光司郎を仇とするか否かを決めるために、それを聞き出さねばならない。ようするに、己のためで魂を取り上げたのなら仇、冴のためと本気で思っていたのなら許してやってもいい、と決めた。


 そのように心が定まったら、気疲れもしていたようで、記憶はすぐに途切れて朝になっていた。


 強い日差しが差し込み、涼しい朝の風が吹き抜けた。両頬を叩いて無理矢理目を覚まさせると、土間で顔を洗ってから、何やら騒がしい庭へ向かった。


「光司郎様、今日はいくらなんでもお休みください」

「しつこいね、何度言ったらわかるんだい。もう大丈夫と言っているだろう」


 母屋の縁側の人形作りの作業場で、蝉丸と光司郎が口論していた。

 口論と言っても蝉丸の言い方は丁寧すぎるし、光司郎は聞く耳持たずで人形を作る片手間で言い返しているだけだった。


「しかし光司郎様、昨晩はかなりお加減も悪かったようですし、せめて昼まで休まれてはいかがですか」

「いつからお前は私にそこまで指図するようになったんだい?」


 苛々を蝉丸にぶつけると、光司郎は木の塊をやすりで削り始めた。


「やすりは良くない。せめて他の作業にしろ」


 突然割って入った直義の声に驚いたようで、光司郎は肩を大きく引きつらせた後で、慌てて振り返った。


「木屑で咳が出ても知らぬぞ」


 目をまんまるに開けて、直義を見上げている。

 確かに、こんなあどけない顔は男にはできない。そんなことを思っていると、まるでそれに反論するように光司郎はキッと目を細めた。


「蝉丸が縄を解いたんだね。自由の身になってもここに留まっているなんて、あんたは相当な馬鹿のようだね」

「光司郎様、直義殿は昨晩……」

「いい加減にしな、うるさいよ。言い訳は嫌いだね」


 蝉丸の言葉など聞こうともしないで、光司郎はぴしゃりと遮る。まるで駄々を押し通す子供のようだ。


「いい加減にするのはお前の方だ。昨晩はどれほど蝉丸と逆髪がお前を心配したか」


 なんだか蝉丸がかわいそうになり、見かねて直義が言っても、光司郎は不機嫌に言い捨てた。


「誰が心配などしてくれと言ったんだい。心配されて人形作りを止められるくらいなら、放っておかれた方がいくらもましさ。それにあんたなんかの説教を聞く筋合いはないね」


 なんというじゃじゃ馬かと、直義は驚いてしまった。女として見ると、印象がずいぶん変わる。

 恐れ入ったが、言っても聞かぬならそれ相応にと、直義は木を削っていた光司郎の腕をひっつかんでやった。


「何をする!」

「蝉丸に謝れ。逆髪にもだ」


 光司郎は余すことなく睨みつけてくるが、くまで目の下が落ちくぼんだように見え、具合が悪いことは明白であった。

 それでも無理をして笑みなど浮かべてみせた。


「道理で何かが解決するとでも思っているのかい? なんて生易しい考えだろうね。あまり私に指図すると、この手であんたの魂を抜きとってしまうよ」


 挑発するようにこちらを見上げながら、直義に捕まれた方の手を広げて見せた。それは魂を奪うとうたわれる左手だった。


 血気盛んな女だと嘆息して、直義は光司郎の小さな左手を丸めこめるように握り、押し返した。


「それで脅しているつもりか。強がりも大概にしろ」


 光司郎は、全ての策が根こそぎ崩れてしまったような、絶望と呆気が混じった顔を見せた。しかしすぐに苦渋に歪め、直義の手を振り払って一段と声を張り上げた。


「私を殺すつもりがなくなったのなら、さっさと帰ったらどうだい!」


 とんだ癇癪かんしゃく持ちだ。直義は嘆息して、母屋の表へ向かった。


「直義殿」


 蝉丸が追ってきたが、「山の薬草を探しに行ってくる」と言ってやると、安堵したようだった。


「申し訳ございません。光司郎様は真意を悟られるのがお嫌いなのです」

「見ればわかる。女と気付いたことが知れたら、手に負えぬだろうな」


 失笑を残すと、直義は表に丁寧に並べてあった自分の草鞋わらじをはいて、森に入った。


 晩夏の森には法師蝉の声が幾重にも響き渡っていた。心を洗ってくれる、激しくも涼しい響きだった。

 その森の中で、目は律義に薬草を探しながら、頭では自分の行動の善悪を探っていた。


 こんなところで何をしているのだろうかと、直義は我に返っていた。

 仇かもしれない者を前にして、問いただすどころか、怒らせてしまったことに多少の罪悪感がくすぶっている。

 仇だと信じて早々に斬り捨ててしまえばいいものを、こうして屋敷に留まり、あの女の本心を見極めたいとまで思っている。


 冴と瑠璃はこんな自分に呆れているだろうか。そんな問いが浮かび上がると、光司郎の謎かけが思い出された。


 宮江光司郎は不思議な人物だ。魂を探究し、自我について考え、生きた人形を作り出す。一体何が目的で、何が光司郎にそれをさせるのか。


 癇癪持ちと皮肉屋という外面はありありと見えるが、それがあの女の性格や本質ではない気がしてきた。

 癇癪と皮肉をぶちまけるしか能のない人間など、滅多にいない。人をなじることしかできない者の大抵は、繊細な何かを見せまい傷つけられまいと守っている者か、もしくは表現の仕方がわからない者のどれかだ。


 光司郎が癇癪と皮肉でなにかを守っていると考えると、実際のところの光司郎は、かすみで隠され、ぼんやりと見えそうで、全く見えなかった。

 女を隠しているように、絶対に大切な何かを隠しきっている。それを見てみたいという好奇心が、ふつりふつりと湧きあがってくるのだ。


 このような光司郎への興味は、思いのほか心の大部分を占めている。

 あまり気持ちのいい自覚ではなかったが、それでも、何故だかあの女の素顔を見ないではいられないのだ。

 先ほど垣間見た、あの悔しそうな顔。咄嗟に言った「強がり」という言葉に、むきになって怒鳴っていた。

 その時一瞬素顔を垣間見たようで、怒らせた罪悪感を揶揄するように、妙に嬉しくなる部分もないではなかった。


 しかしこんなことを考えているようでは、ますます目的が薄らいでいく。光司郎が仇かどうかを確かめて、仇であれば殺す算段を立てねばならないのに。


 冴と瑠璃のため息が聞こえた気がした。

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