三国志遺跡巡りよもやま話

三国志遺跡って何ぞや-1

 シリーズ化するつもりも無かったのだが、あれこれと言いたいことを思いついたので続きを書いていこうと思う。

 

 実は、三国志を深く知るまで中華ファンタジーの世界と思っていた。この勘違いは案外あるあるで、三国志にまるで興味の無い友人も三国志って本当にあった話しなの?と同じようなことを言っていた。そう、三国志とは興味が無い人間にとっては神話かファンタジーのような扱いなのだ。


 三国志を知って、関連書籍を読んでいると中国なんたら省の某の墓、とか某の廟とか写真が掲載されているではないか。そして今はSNSでいろんな人とつながれる時代。そこで実際に三国志関連の遺跡に行っている人もいる。にわかに三国志が現実味を帯びてきた。現地の大地を踏んで空気を感じてみたい・・・そんな思いから中国へ三国志遺跡を訪問する旅に出ることになったのは前回お話した。それから6年ほど、50あまりの三国志スポットを訪問している。(まだまだ行きたい)


 三国志遺跡って何ぞや。

 遺跡というときちんと歴史的に検証された由緒正しいもの、というイメージがあるが、ここでは歴史的事件や痕跡のあった場所、という広い意味でお伝えしたい。

中国にはたくさんの三国志遺跡がある。三国志の世界は約1800年前。そんな時代のものが残っているのかというと案外残っている。


【武将の墓】

 聖地巡りとして最高峰、推し武将の墓。人物すべての墓があるわけではないが、曹操、劉備、孫権、諸葛亮、関羽・・・メジャーな武将の墓は結構ある。墓の形態は土を持った上に植物を植えているパターンが多い。大きさはまちまち、有名な武将の墓は観光地の中にあってきれいに整備されていることもあるが、田んぼの中に突然土盛りがあるだけの墓も多い。墓の側には政府が歴史的な遺物として管理していることを表わす文物碑があり、武将の名前がちゃんと日本人が読める漢字で書かれているのでそれを見るだけでも興奮できること請け合い。


 観光地パターンは蜀の武将が多い。劉備の墓は成都武侯祠の中にあり、とても立派だ。関羽は麦城で討たれ、斬られた首が洛陽の曹操のもとへ送られたため胴体が埋葬されている胴塚と頭部が埋葬されている首塚が別の場所にある。どちらも関羽を祀る廟になっており、入場料が必要、管理もきちんとされている。

 魏は自然に溶け込んだ墓が多い。つまり田んぼの中とか雑木林の中とか、そういった場所に残っている。張遼は逍遙津公園の中に墓が作られており、ちょっと良い扱いだ。

 呉の武将の墓もある。孫権は明の太祖朱元璋の陵墓の敷地内に文物碑が建つ。残念ながら発掘はされていない。甘寧や淩統の墓もあって、子孫が寄付を出して立てている。魯粛は人気がある武将で、3か所に魯粛の墓がある。


 1800年も前の人物の墓が本当にあるのか?墓を遺体を収めて弔う場所、と限定するならばほぼ偽物になってしまうだろう。いろんな武将の墓を訪問して思ったのは、墓というのは記念碑なのだということ。その場所でその人を偲ぶ、そういう場所なのだ。これらの墓は武将ゆかりの場所や子孫がいる場所に建てられている。中国では衣冠塚といって、遺体ではなく故人の身に着けていたものを埋めているところを墓と呼ぶこともある。本当に三国時代の武将の衣服が埋められたまま土の山がきちんと保存されていたのかというと甚だ疑問ではあるが、成都に劉備の、定軍山に孔明の衣冠塚があるといわれると本当に本人の何かが埋められているのではというロマンがある。


 そういうわけで三国時代の武将の墓は記念碑ということで差し支えないと思ってよいが、本物の墓もある。呉の朱然の墓は遺跡から墓の主が彼であることを示す証拠が出土した。いくつもの部屋を持つ地下の墓室がきちんと発掘されている。曹操墓も近年本物だという証拠が出たと騒がれている。(曹操は好きだけど正直まゆつばな気がしているんだな…)


 もし、本物の墓でなくてもゆかりの地で好きな武将のお墓参りができるなら行ってみても損はない、と思っている。


【誰かが何かした場所】

 曹操が馬を繋いだ木、関羽が馬を繋いだ木、劉備、関羽、張飛が集った場所にある柏の木、劉備が的盧に乗って越えた川に残る蹄あと、関羽が鎧を脱いだ場所、関羽が休憩した場所・・・関羽は人気者なのでやたらと思い出の場所が多い。

 

 このように武将が何かした場所がシンボルとともに残されている。本当に1800年もその木が生きていたのか、そもそも馬をつないだという証拠はあるのか、ツッコミどころは満載なのだがここは中国、ある意味どこだって武将が歩いたり馬に乗っていたかもしれない聖地なのだからそう言われるとそんな気がしてくる。


 面白いのは物語である三国志演義のエピソードに出てくる場所も遺跡のように整備されていることだ。魏に追われた劉備の奥さんが飛び込んだ井戸、龐統が命を落とした落鳳坡など。こうなると本当にファンタジーとなってくるわけだが、三国志演義は創作とは言え、まったく的外れなことを書いているわけではなく、地理的には正史に沿っている。そう考えると演義のエピソードに登場する場所に井戸や石碑が作られているのは全く関係ないとは言えないだろう。


 明らかに手作りな「三国志遺跡」もあった。それでも三国志を愛する地元人民たちがそれを作ったというなら立派な三国志遺跡になり得るだろう。(もちろんツッコミ入れたい場所もあるよ)


 



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