春風の五丈原

 諸葛亮が命を燃やした五丈原は陕西省宝鶏市岐山県に位置する。司馬懿の陣から渭水を渡り五丈原へ向かった。五丈原の由来は一番狭い場所の幅が五丈ということから名付けられたという話。五丈は約15メートルに換算されるが、当時と縮尺が同じかは定かでない。とりあえず狭い、ということらしい。五丈原に向かう途中に五星村を通過。村の入り口の牌楼には五丈秋風と文字が彫ってある。秋風五丈原に星、何やらこの村にも孔明に纏わる伝説がありそうだ(が、特に確認せずに通過・・・)

 途中、諸葛亮が作ったとされる諸葛泉へ立ち寄った。諸葛泉の伝説が刻まれた石碑があり、きれいな水が湧き出している。振り向けば、水場で選択をする地元のオバチャンたち。孔明の泉で洗濯とは、なんという贅沢。この服を纏えば知力がアップしそうだ。さらに毛布や野菜まで洗おうとしているではないか。現在においても大事な水場となっているようだ。死してなお地元民に御利益が与える、さすがと孔明先生。


 井戸の先には道教の寺院(道観)があるというので訪問してみた。建物の壁には劉備が諸葛亮を訪ねる三顧の礼が描かれている。道教の神様の他に楊儀や姜維の塑像も祀られていた。しみじみと蜀の武将は愛されているなと感じる。司馬懿の陣にも何か建ててやって欲しい。司馬懿だって井戸も掘っただろうに。

 そんなやっかみは置いといて、五丈原に到着・・・あれなにこれ工事中??高台の壁面がえぐられてコンクリートで固められている。話によればここに五丈原テーマパークを作る予定だという。私はもとの地形を知らないが、工事の様子からこれ地形変わるくらいえぐり取っていないか・・・うへぇこれは酷い。しかも賄賂的な話で計画は頓挫し、工事が止まっているという。これは諸葛亮も草葉の陰で嘆いているだろう。大規模工事現場を通り過ぎ、五丈原の観光案内に到着。そこには壮大な三国志テーマパークの完成図の垂れ幕が掲げられていた。高台の諸葛亮廟から流れ落ちる臥龍滝、その麓には落星湖。そして麓に広がる三国古鎮、ここにホテルを作るのだろうか。高速鉄道からのアクセスも良さそうだ。テーマパークとして完成してしまえばそこそこ楽しそうな雰囲気だが、この国の三国志人気のテンションを考えると継続して人が呼べそうな気が全くしない。誰だこんな小学生みたいな計画を考えたのは!!テーマパークは離れた場所にでも作れば良いが、せめて五丈原は自然のままで残しておいて欲しかった・・・ぬう無念。放置されている司馬懿の陣(畑)の方がマシだったかもしれない。


 閑散とした土産物の露天の前を通り過ぎて五丈原諸葛亮廟へ。廟の前の広場はきれいに舗装され、前出師表が刻まれた巨大な木簡がお決まりながら嬉しい演出。廟の塗装も鮮やかで、テーマパーク化に先立ってリニューアルしたのかもしれない。廟の敷地へ入り、財神殿をのぞいてみた。財神といえば関羽。さぞや立派な関羽像が鎮座していると思いきや、なんじゃこりゃ横浜中華街のお土産屋で売ってそうな手頃な大きさの関羽像が適当に4体ほど置いてあるだけだった。こ、これは中国あるあるの準備中なのに平気で金取って見学させるアレだ・・・。この状態でよく公開しようと思ったな・・・!!観光客が落とすお金で潤ったらキンキラキンの巨大関羽像が設置されることだろう。隣の月英殿は穏やかな優しい表情の月英の塑像に出会うことができた。そして三国志的テーマパークには必須といっていい八卦陣。諸葛亮が作った陣形の名を冠した迷路だ。赤壁古戦場でもあったなあこれ。

 資料館には周辺の三国志遺跡の写真パネルや木牛流馬のレプリカ、戦場ジオラマの展示があった。「諸葛亮廟博物館」と入り口に書いてあったのだが博物館と思って入るとかなり脱力するので期待してはいけない。そのうち展示品を充実させる気はあるのだろうか、せっかく場所的に最高なので、滝を作る前に正しい方向へお金を使って欲しいものだ。


 本尊の諸葛亮像は顔が金で衣装は黒・・・腹黒そうな成金ブラック孔明は一体・・・他の武侯祠で見た孔明像の方がよほど良い顔立ちだったぞ。五丈原で出会う諸葛亮像を楽しみにしていたのだが、「お、おう・・・」という声しか出なかった。脇にいた馬岱や魏延の彩色塑像はなかなかできが良く、カッコ良かった。


 本尊の奥に諸葛亮衣冠塚がある。衣冠塚は遺体そのものではなく衣類などを埋葬したもの。ここでは諸葛亮の衣類や帽子が埋葬されているそうだ。1800年前となるとあまりに遠すぎて、諸葛亮くらい有名人でサブカルでキャラクター化された姿を目にしていると、存在自体がもはやファンタジーな気がしてくるが、五丈原にある衣冠塚となれば俄然リアリティが高まる。封土を囲む石柱は28本あるそうで、この数は劉備、劉禅と二代にわたり28年間補佐したことを意味する。封土はこじんまりしており、短い草が色彩を添えていた。中国人観光客が二人、お金を表す黄色い紙を燃やしていた。この紙すぐに火がついてパッと消えて無くなるのが不思議。

 さらに諸葛亮が亡くなったときに落ちた将星だという落星石が展示されていた。リアルに隕石っぽい。この石で矢を作ればスタンド使いになれそうだ。巨星堕つ、なんて比喩表現で使われるがそれがこの石だという、そんなバカなと思うかもしれないが、ここは五丈原。そんな石でももしかして本物かもね、と思えるロマンがある。

 テーマパーク的雰囲気の諸葛亮廟を堪能し、五丈原石碑のある階段を降りていくと諸葛亮祭灯台廟の案内を発見。これは諸葛亮が延命のときに蝋燭を灯して祈祷したエピソードに由来するのかな、これは楽しみ。門をくぐると、立派な台座があった。巨大な台座に鎮座しているのはこれまた横浜中華街で売っていそうなご家庭用手頃サイズの孔明の置物。しかし、ご丁寧に賽銭箱はちゃっかり設置してある。これはお賽銭が貯まれば超イケメンな巨大諸葛亮像でも建ててもらえるのだろうか。背後の廟は古くからあったもののようだ。中に入ってみると、魏延の塑像に対面。こ、これは前衛アートなのか、はたまた小学生の卒業制作か、とりあえずこりゃ酷い。やけに鼻筋が通って男前なんだけど、ペンで落書きしたような目と口髭が手作り感を演出。しかもなんとなくマッチョすぎるし、頭がとんがっている。これは倒してしまった蝋燭の代わりになれという制作者の暗喩なのだろうか。しかも同じテイストで馬岱や関羽、張飛が次々登場するので笑い死ぬかと思った。キッチュで味わいのある塑像による腹筋崩壊イベントの後、廟の外に「魏延路」という案内矢印を発見。門を出て魏延路を探しに行くと・・・なにこれゴミ溜め??あっ、違ったさらに矢印が、振り向いてみるとただの舗装してない土の道、工事現場だろこれ・・・!!!魏延を焼き討ちにした場所を表現したかった模様だが、出来てから案内看板作れよ!!もう一体何がしたいのか分からないすぎる管理人の手作り感あふれるなんちゃってスポット、諸葛亮祭灯台廟エリアだった。


 もうパビリオン的なもの(違)はないようだが、周辺を散策してみると停滞中の工事現場の風景しかない。ガイド氏もあの辺りから五丈原の良い景色が見えたんだけど、と指さす先には工事用の柵で何も見えなかった。遺跡を適切に保存し、多くの人に見てもらうことは賛成だが、やりすぎたテーマパーク化は残念だ。工事現場を避けて遠く渭水の方角を眺めてみる。もやがかかっているが、うっすらと見えるなだらかに連なる丘は司馬懿の陣だ。司馬懿と諸葛亮、それぞれの陣に立った。五丈原の戦いから1800年後の空と大地に挟まれている、しみじみと感慨深い。五丈原の戦いは司馬懿の粘り勝ちでもあり、派手な戦ではないが智者同士の心理戦という観点では非常に面白い戦いだったと思う。諸葛亮の死語、司馬懿はその陣営を視察して「天下の奇才である」といった。諸葛亮が最期に見た景色を目に焼き付けて五丈原を後にした。

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