蜀漢の遺跡
劉備が飛んだ檀渓
湖北省襄陽市には檀渓がある。三国志演義の第三十四回「劉皇叔 馬を踊らせて檀渓を過ゆ」のエピソードに登場する檀渓である。劉備が樊城に駐屯していたころ、劉表は彼を手厚くもてなしたが、実のところ信用していなかった。宴をひらいた際に、部下の蔡瑁らは劉備を討ちとろうとした。これに気付いた劉備は的盧という名の馬に乗って逃亡。襄陽城西の檀渓で水中に没してしまった。劉備が「的盧よ、今日は厄日だ、踏ん張れ!」と叫ぶと、的盧は三丈も跳びあがり、逃げ切ることができたという。的盧は目の下に涙槽、額に白い斑点があり、乗る者に祟りを為すと説明されている。ちなみに的盧はここで劉備を救ったが、龐統は劉備からこの馬を譲り受け、劉備と間違われて矢で射られ落鳳坡で命を落とした。そんな三国志演義で見せ場となる劉備の檀渓越えの舞台を探しに行く。
先日の襄陽古城の「孔明超市」で購入した地図を夜のうちに確認したら、バスターミナル近くに馬躍檀渓処と記載があった。観光名所の山が近くにあり、その最寄バス停へ向かった。
バスを降りて道路を渡り、山の方へ向かえばきっと見つかるはず。するとバス停の正面に新しいきれいな看板が立っており、馬躍檀渓処あっちと示されているではないか!超イージーモードだった!大通りから100メートルもしないうちに馬躍檀渓処、ありました!分かりやすかったとはいえ、地図を見てここに辿りつけたというのが嬉しい。正面に岩肌があり、馬躍檀渓処と彫ってある。おお、ここで劉備が的盧に乗って跳んだのか!!ドラマThreeKingdomsの奇跡の劉備檀渓越えの場面が脳内再生される。
しかし現在の檀渓はただの狭い溝だった。いや、水もないので溝ですらない。三国志演義では幅数丈、波濤、逆巻き流れ下っていると表現されている。そして背後には土煙を立てて追手が迫り、玄徳大ピンチ!!と場を盛り上げる。現実は残酷なもので、その豊かな水も谷もなく、ここには溝しかない。もうちょっと良い感じの場所に持ってくることはできなかったのかとツッコミを入れたくなった。
この岩には馬のひずめの跡が残っているという言い伝えがあるそうだ。それっぽい傷がたくさんあるのでどの辺がひずめの跡なのか分からないが、それもまた浪漫だ。瞼を閉じれば怒涛の水が渦巻く檀渓を、愛馬的盧で跳躍する劉備の姿が浮かんではこないか。眼を開けたら現実に引き戻されるがそれを言うのは野暮というもの。劉備の足跡があるこの場所を訪問できたということは感慨深い。
馬躍檀渓処のまろやかな日本語解説の看板があったので説明を読んでいたら、人民おっさんが何か話しかけてきた。すまん、おっさんが何を言っているのか分からないが、次に行くべき目的地について尋ねるチャンス。ネットで見つけた近くにあるはずの劉備の馬躍檀渓像の場所を印刷した画像を見てもらいながら聞いてみた。ここで中国語初級CD会話を生かそう!「劉備、在哪里?(劉備どこですか?)」…なんかおかしい気もするけど「像」ってなんていうのか分からないし、まあ通じるだろう。しかし、おっさんは知らないみたいだ。檀渓の名がついた像なのでこの辺にあるはずだが、周囲を見渡しても見当たらない。写真ではなかなかに立派な像だし、おそらく大通りにあるのだろう、と目星をつけて通りに出てみた。スクーターにまたがっているおっさんを見つけ、同じように尋ねたが知らない素振りだ。なんだって、三国志の英雄の像がどこにあるのか知らないとは、どれだけ関心がないんだ!?もしや撤去され…いやいやここは襄陽、三国志マジックの地だ。根拠は皆無だが、きっとある!だが、こんな檀渓と書いてある像を檀渓の近くにいる人が知らないとは、探すのに骨が折れるかもしれない。
ここはなりふり構わず人民に聞いてみようと辺りを見回すが、道路は広いものの意外に人気がない。挙動不審にあたりをうろうろしていたら、ちょうど郵便配達のおっさんがバイクを停めて荷物をチェックしはじめた。お仕事中の郵便配達のおっさんに背後から忍び寄る。昼飯の美味い店ならタクシー運転手、道を聞くなら郵便配達と相場が決まっている。「劉備どこですかー?」カタコト中国語とともに画像を見てもらった。するとおっさんが向こうを指さして何か説明を始めた!これは知ってるぞ!慌ててメモ用紙とペンを出し、無理やり手渡すと地図を描いてくれた。おお、これがこの通りで、そうか一本向こうの通りに行ってまっすぐ行ったらいいのか!…って地図シンプルすぎだわ!!おっさんは多分、通りの名前とか言ってくれていたのかもしれない。しかしボソボソしゃべっていたのと、そもそも日常会話の挨拶と物を買うときの値段程度しか分からない私にはまったく聞き取れていなかった。
おっさんに丁寧にお礼を言って、地図を頼りに歩き始める。この超大味な地図によれば、ここで道を渡ると・・・これまた4車線の信号のない横断歩道を渡らなければならない。しかし、大陸の車道の歩き方はすでに心得ている。車の隙を縫って堂々と進むべし、そして急に走らない。歩いた方がむしろ轢かれないらしい。幸い襄陽のドライバーは比較的温厚らしく、ちゃんとスピードを落としてくれた。無事に最初の難関を突破。そして、この先は住宅街だ。細い横道もたくさんあり、地図の一本先の道がどれを示しているのか分からない。横道が現れる度に覗いて見て劉備がいるかどうか確認してみるが、全く気配がない。本当に見つかるのか不安になってきた。そのうち、行く先に大通りがあるのに気が付いた。地図を信じれば道の太さが同じくらいに描かれているので、もしかしたらこの住宅街の横道は無視して大通りに出ればいいのかもしれない。おっさん信じるよ!そう心に決めて大通りを目指した。
大通りに出て、看板を見つけた。「檀渓路」。こ、これは…心臓が高鳴った。劉備に出会える可能性が一気に濃厚になってきた。何せ檀渓の名がついた道、大通りにありそうな像、地図によればこの通りを西へ向かえばいいようだ。しかし、通りのでかさに一体どのくらい歩けば辿りつけるのか見当がつかない。何せ、この檀渓路、確か古隆中の方まで延びていた気がする。だとしたら徒歩圏とは言い難い。最悪タクシーに乗るのもアリか、と弱気になった。
しかし、もう少しだけ歩いてみよう。通りの右側にあるとマークしてくれているので、とりあえず信号を渡ってみる。周囲を見渡してみると高い建物に広い横道、ああやっぱりこれ以上アテも無く歩くにはしんどい。そこでホテルの前で交通整理をしているおっさんをみつけた。本来、小心者の超チキン野郎な私だが、もうそんなことは言っていられない。おっさんに劉備はどこか尋ねた。すると、あっちだと雑に指さして、適当にあしらわれてしまった。一応、あっちと言っているので方角は合っているのだろう。地図の示す方角にも合致している。それだけを頼りに指さした方向へ歩きはじめた。すると、100メートルもいかないうちに劉備像を発見!!うぉおおおすごい嬉しい!!生き生きと水を蹴って跳ぶ的盧、そしてこっちを向いて超ドヤ顔の劉備。あなたに会えて良かった…!!何より、人民に道を尋ねて自力で発見できたのが嬉しい。そしてあの大味な地図でここまで来れたという奇跡と幸運に乾杯だ。
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