孫権と劉備 陰謀渦巻く甘露寺

 江蘇省鎮江には甘露寺という寺がある。甘露寺は三国志演義で劉備と孫権の妹、孫尚香が見合いをした場所。しかし、そこには劉備を討とうとする孫権の陰謀が渦巻いていた・・・そんな甘露寺のふもとの池に見えるのは試剣石のエピソードを著した石像。劉備は庭先に大きな石を見つけた。そこで従者の剣を抜き「無事に荊州に戻って王覇の業が成し遂げられるなら一太刀で二つとなれ。ここで命を落とすなら刃も砕けよ」と念じて振り下ろした。火花が散り、石は二つに割れた。

 この様を背後から見ていた孫権が「その石に恨みでもあるのか」と尋ねると、劉備「もし曹操を破り、漢朝を再興できるなら石が二つになれと念じた」という。孫権は「誤魔化すなよ」と思いながらも剣を抜き、「曹操を破れるならこの石が斬れるだろう」と劉備に言う。心中、「ふたたび荊州を取り戻し、東呉を盛んにできるなら一太刀で二つとなれ」と念じて剣を振り下ろした。巨石はまた二つとなった。

 結局、お互いの念を打ち消した形となったのか、二人の願いは叶わなかったことは周知の通り。この石像がどうみても孫権と劉備のケーキカット。超至近距離の孫権・劉備の像はなかなかのインパクトがある。そんな二人の熱い出迎えを受けて甘露寺を含む北固山へ。入場料は40元。


 石畳のゆるやかな坂道を登る。「東呉古道」という石碑を見つけて、今まさに呉の地にいるのだと実感でき、嬉しくなる。左手にそびえ立つ城壁の上に甘露寺が見える。坂の上の門をくぐると有名な「鉄塔」がある。宋代に建てられ、一部を残して破壊されたが明代に再建されたという歴史を持つ北固山のシンボルのひとつだ。古い文物碑は壁に塗りこめられ、新しいものが塔の前に立っていた。


 鉄塔を過ぎて、赤い柱の廊下を登ると甘露寺の門が見えてきた。ここは小高い山の上のなので眺めが良く、鎮江の街を見下ろすことができる。三国志の逸話が書かれている石碑が適当な感じで壁に立てかけてあった。周瑜の計で孫権の妹を劉備に娶わせたという説明が書かれている。こんな大事な石碑を足元に置くなよ…!!申し訳程度に土産物屋があったので覗いてみた、が相変わらず三国志グッズは無かった。一応三国志モチーフの観光地なのに、このやる気の無さはもう慣れてしまった。


 甘露寺は仏教寺で、御神体は孫権や劉備というわけではなく仏像が鎮座している。ずっと南無阿弥陀仏のテープが繰り返し流れていた。甘露寺の背面に多景楼がある。ここは孫尚香が花嫁衣装に着替えた場所、ということになっている。多景楼の階段を上れば雄大な長江を見渡すことができる。長江の広さにはいつも圧倒される。今日は曇りなのも相まってもやがかかっていたが、晴れた日は見事な絶景に違いない。景色に気を取られていたが、地味に設置してあるのは「狠石」と呼ばれる古い石像だ。小さくて一度通り過ぎてしまった。説明の石版がやはり壁に立てかけてある。なんだこのやる気のなさは…!!石版には短い文章で説明が刻まれていた。別名を石羊といい、孫権と劉備(一節では諸葛亮)がここで曹操を破るための策を練ったという。曹操が百万の大軍を率いて、とあるので赤壁前夜のことだろうか。


 山の上のメインどころはコンプリートできたので、下山することにする。石段の脇の土手には紫色の花が一面に咲いている。ちなみに帰国後に三国志朋友からこの花は「諸葛菜」という名前だと教えてもらった。諸葛亮が食用のために各地で栽培したという伝説のある花だ。三国志縁の地で諸葛菜に出会えたという、帰国後の嬉しいサプライズだった。


 さて、いよいよルートによればこの先には魯粛墓、太史慈墓が控えている。武将墓マニアな自分としては胸の高鳴りがやまない。足にもプルプル武者震いがきれている。断じて生ぬるい登山でつかれたワケではない。歩道には案内看板も出ており、それを見るだけでもわくわくしてくる。この辺りから横に抜けられるかな?と脇にそれたら、突如目の前に魯粛墓が登場。ああっ、図らずも脇からお参りしてしまったスミマセン!!墓の正面には立派な墓碑が立っている。こじんまりした封土が石で囲われている。この辺りの墓はこんなタイプが多いのだろうか。無錫の凌統墓もこれに近い雰囲気だった。上部に覗く封土にはクローバーが咲いており、とても和んだ。大陸には3つの魯粛墓があり、ここはその中のひとつだ。横入りをしてしまったので、階段を下まで降りてみると、魯粛の伝記が刻まれたものや、文官姿の魯粛の浮彫の石碑があった。観光地の中とはいえかなり立派なお墓だ。魯粛は三国鼎立の立役者で、重要な人物であり、墓が3つもあることから本国での人気がうかがえる。


 そして、その先には太史慈墓がある。太史慈の石碑は剣を抜こうとする姿で、凛々しい表情がカッコ良い!!ちなみに石碑は亀の背に乗っている。封土は魯粛墓と同じタイプ。脇には比較的新しい文物碑もあった。山の斜面に作られているので、緑に囲まれたとても良い雰囲気の墓だった。ちょうと春先なので木蓮の白い花が咲いてきれいだった。孫策との一騎打ち以降は若干影が薄い印象がある太史慈だが、こうして立派な墓があるというのは喜ばしいことでではないか。


 甘露寺は三国志演義の臨場感が楽しめる、そして魯粛と太史慈のお墓参りができるお得なスポットだった。



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