無情なり、官渡古戦場

 官渡の戦いといえば、三国志のことを全然知らずにどこに行って何をすればいいか分からず、イージーモードなのに10回以上討ち死にした真・三國無双5。烏巣への夜襲シーンの曹操のカッコ良さに大興奮して震える手で読み進めた北方三国志。そして、蒼天航路では兵卒の夏侯惇です、よろしく!さておき、この袁紹VS曹操の激アツな決戦の地、曹操好きならぜひとも訪れたい場所。現在の官渡は歴史資料館も潰れてしまったし、記念に建てられた曹操騎馬像はいつ倒れるか分からないと聞いていた。それでも袁紹と曹操が激突し、多くのドラマが生まれたこの地を自分の足で踏みしめたい。この目で見て、空気を感じてみたい。官渡の戦いは少数で大軍を破る曹操マジカッコイイ…ので三国マイベスト戦のひとつである。googlemapで官渡という地名を見つけたとき、大興奮したのを覚えている。そう、現在もその地名が残っているのだ。ならば行こう。バスに乗って。開封市街地から乗り合いバスで官渡へ出陣!!


 バスに乗り込み、一路官渡へ。街中で渋滞なのか、バスはゆっくり走っている。良く見ればバスの前に車などいない。なんと、このバス、途中でお客を拾っていくらしく徐行運転をしている。時間も決まってないのにバスを待つ人がいるのか、いやここは中国、これが河南スタイルなのだそうだ。市街地を抜けるまでバスの運ちゃんの客探しに付き合ってのんびりモードで進んでいく。郊外になるとやっとスピードを上げ始めた。のどかな農村の風景が窓の外を流れて行く。小一時間ほど過ぎたあたりで、案内してくれている先生が大声でバスを止めるという。そうか、降りる場所も自由なのか。日本の緻密な時刻表での運行とは真逆だ。「降ります!」(中国語)の声でバスがロータリーの端で停車した。まだ降りようとしているのにバスはゆるゆると動いている。おいおい危ないだろ!でもどうやらとっとと降りない方が悪いらしい。ちなみにここまでのバス代8元(約160円)、文句も言えないか。


 降り立ったローターリーの中央にはなんと剣を手にした曹操像が!否応も無く上がるテンション!官渡に曹操がいる!馬に跨り剣を掲げる雄々しきその姿に「烏巣を落とせい!」岸野ボイスが脳内リフレインする。許昌で見た曹操像は漢服を着たおっさん政治家の姿が多かったので、こうして戦場に立つ曹操像を見るのは感慨深い。大将なのに自ら少数の精鋭を率いて戦場に突っ込んでいく曹操が好きなので、こういう戦人の姿の方が私の胸はときめく。そして曹操像は植え込みの中央の高台におわすのだが、せっかくなので近くで拝みたい。埃舞う道路を横切り、曹操像近くへ。何度も言うが、ここは官渡だ。官渡で見る曹操騎馬像はそれはもう神々しくさえある。台座の周りをぐるぐる回って余すところなく写真を撮りまくる。今にも駆けださんばかりの躍動感も素晴らしい。正面から見るとすごい煽りのダイナミックな構図、そして馬の股間がでかくて正直びっくりした。そうか、ここまで造詣するのか。曹操の雄々しさ、猛々しさの象徴なんだろうね。本国では嫌われ者だそうだが、この像を見ると曹操の英雄性が表現されており、捨てたものではないと嬉しくなってしまった。


 曹操像に一旦別れを告げ、次の感動ポイントへ向かう。ローターリーのある大通りを背に農村方面へと向かう。この道がまた長い。辺りは畑やビニールハウスが広がっている。今はトウモロコシの収穫の時期らしく、もいだトウモロコシの実を道路に撒いて虫干ししている。その面積がまた半端ではない。何も敷かずに道路に直にばら撒いているんだが、これだけばら撒いたらどうやって回収するのだろう。トウモロコシの実をもぐ仕事も嫌だが回収する仕事も嫌だなあと思いつつ、農村民の横を通り過ぎていく。畑の雰囲気などは日本の農村を思い出せるのだが、ここは大陸、とにかく広い。官渡リーロ~ド~この道~ずっと~行けば~あのロータリーのよりカッコイイ方の曹操像に続いている~…らしいので頑張るしかない。だが、その前にご褒美ポイントがあるらしい。


 官渡リーロードの終端に見えるのは何やら黒い壁。官渡大戦を描いたレリーフらしい。そんな素敵レリーフならば、一刻も早く見たいので自ずと足が速くなる。官渡大戦レリーフ、やや古ぼけているが、それがいい。1993年春に造られたと刻印がしてある。…の割にちょっとボロすぎな気がしないでもない。レリーフには右上には車に乗りそして勢いにも乗った曹操、袁紹軍を追い立てる「曹」の旗印を持った兵達、馬に乗った将軍たちが入り乱れる迫力ある戦の場面が刻まれている。1800年以上前にここが戦場で、官渡の戦が行われていたのだ。官渡の地をこの目で見て、この足で踏みしめている。身が打ち震えるほどの感動を覚えずにはいられない。いや、覚えたかった。しかし、この壮大な官渡大戦レリーフの前にはトウモロコシの皮や畑の生ゴミが堆積しており、しかもその前でゴミを野焼きしているのだから堪らない。でかいハエもぶんぶん飛んで、生ゴミの匂いが鼻腔を貫く。1800年前に曹操や夏侯惇、張遼も吸ったであろう官渡の空気を胸いっぱいに吸い込みたいところだが今は防塵マスクが欲しい。しかもよく見たらこのレリーフ、落書きがそこかしこにあるし、これなんてチラシを剥がした後だろおい!その辺のブロック塀じゃないだんだぞ、ある意味三国志の天下分け目の戦い、官渡大戦の記念レリーフなんだぞ!もっと丁重に扱ってほしいんだが!しかし、生ごみを焼く煙に燻されるレリーフを見ると、こんな扱いの中、22年間は原型を保てたことに感謝するべきだろうかと思わざるを得ない。


 その先も官渡の道は続く。ここまでくると舗装はされていない。大きな十字路に金文字で官渡橋と書いた石碑があった。石碑をすりすりしながらああ、今私は官渡にいるのだと実感し、悦に入る。この辺りを曹操や郭嘉や徐晃が歩いていたかもしれないのだ。ということは、今私は曹操が踏んだ土を踏んでいるかもしれない。正直、普段こんなに歩くことはないので足が相当痛いのだが、官渡を歩くだけでもテンションが上がるというものだ。この辺りは官渡橋村というらしい。十字路の真ん中に石碑があり、黄金の毛沢東氏の銅像が立っている。…これ建てる金があるなら黄金の曹操像を立ててよ!!ここを訪れた遺跡ハンターは誰もがそう思ったに違いない。よりカッコイイ方の曹操像を探し、農村に足を踏み入れて行く。頼りは先生の記憶だが、ちょっと怪しいらしく人民に曹操像の場所を聞いてくれている。


 場所が判明したらしく、畑の中を農作物を避けながら突き進んでいく。雨が降っていたら昨年の徐晃墓@許昌郊外の二の舞だったかもしれない。しかし、今日は大陸でいう晴天だ。「あそこですね」先生の指差す先に何か黒い物体が見えた。疲労困憊だったが、目的の曹操像が間近とあれば自ずと足が速くなる。野菜畑の遥か彼方、いななく馬に跨る我等が曹操の姿が見えるではないか。「先生、あの近くまで行けますか?」あまりに畑が広いのでそう聞いたところ「行けますかじゃなくて行くんです!」そうだった、私は遺跡ハンターのスピリットを忘れていたようだ。日本からわざわざ丸一日かけてきて、さらにこんな畑の中までやってきたのだ。英雄曹操像を間近で拝まない訳にはいかない。鼻息も荒く、曹操像に迫っていく。


 こ、これは最初に見た像よりカッコイイ!天を衝かんばかりに掲げられた剣、風になびくマント、いななきが聞こえてきそうなほど荒ぶる馬の迫力。官渡を進軍する曹操の勇ましい姿だ。そして、戦場の噴煙まで再現されているではないか。ん、噴煙…?また生ごみ燃やしてませんかここで。ちょっと待て、冷静にこの場を見まわしてみたら曹操像の土台の周り、ゴミ捨て場になっていますけど!?畑の真ん中にこんなもん置いたの誰だと言わんばかりのこの状況。どんだけ曹操嫌われてるんだ一体。これが関羽や孔明だったらこんな真似しないでしょう??むしろ人民にとってはこれが曹操なのかなんて気にしていないのかもしれない。カッコイイ曹操像とその足元の現実に感動とわびしさがないまぜになった気持ちで像の周りをぐるり一周してみる。


 ああ、すごいドヤ顔の曹操。こんなにドヤ顔なのに足元はゴミ捨て場なんだよ。なんて滑稽な光景なのだろう。しかも何で畑の真ん中にわざわざ便器を持ってきて捨てるのか。そして、裏側に回ってまた衝撃が走る。曹操像の土台の周辺の土が抉られて土台むき出し!そのまま雨風に晒され続けたらいつか倒れてしまうだろう。そして倒れた曹操像を誰も起こしはしないだろう。これはあまりにも凄絶。官渡の曹操像、倒壊しないうちに見ることができて感無量である。


 名残を惜しみつつ、畑のカッコイイ曹操像に別れを告げる。この像、少し離れるとシルエットがまたカッコイイ。あの花粉が鬼のような雑草も離れて見ると広大な草原のように見えて、三国志伝説の英雄の姿がそこにあった。あの雄々しく馬を駆る姿、満面のドヤ顔をしかと胸に刻んでおくことにしよう。しかし、畑を見まわすと本当にきれいに整備されていて、あの曹操像の麓がゴミ捨て場…むしろ曹操像はゴミ捨て場の旗印になっているんだなあ、と改めて分かり非常に切ない。


 ここ官渡にはかつては博物館もあったが閉館したそうだ。しかし、今の様子を見ると、とても観光で町興しをしようという雰囲気ではない。もの好きな日本人は訪ねてきても本国の人民は興味がないのだろう。曹操がもっと見直される日がくれば、また何か変わるのかもしれない。黄金の曹操像が建ったなら、再び官渡に赴こうではないか。(2015年9月訪問 同人誌より改稿)

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