第18話  八月五日 その5

 凪沙はホワイトボードに焦る気持ちを表現したような達筆で情報を書き足していった。


「仮に七月二十九日に駄菓子屋で出会った私ら三人をAとします。で、類野Aは八月一日にデパート襲撃後に死亡、そして過去へ戻り類野Bになります」


 まるでスゴロクの『ふりだしに戻る』の様に、類野の名前だけが八月一日からまた七月二十九日に戻され『類野B』と変化した。


「この類野Bは何日かはわかりませんが、今は仮に二度目の七月二十九日からやり直すと仮定すると……その後、二度目の八月一日に愛美さんを含めた二十七名を殺害し、警察署の前で死亡して、また過去に戻ります。そして類野Bの情報を踏まえ、さらに過去に戻った類野は類野Cになります。ここまでは良いですか?」

「ああ、大丈夫だ」


 山城は凪沙からも余裕が無くなっているが伝わって来た。口調がさっきまでのふざけたモノから、固い口調に変わっているからだ。


 凪沙は次いで、『凪沙A』と『山城A』の駒を七月二十九日から前に進めた。


「対して私たちはAのまま、今日の八月五日まで過ごし、ついさっき駄菓子屋のお婆ちゃんに伝言を届けて、最初の過去改編を行いました。この情報を七月二十六日のムサシさんが受け取ったと仮定すると、情報を受け取る私たちはジョージBとムサシBになります」

「俺たちはBで類野はC……類野の方が今のところ情報を持ち帰った回数が一回多い」


 山城はさらに考えた。

 類野は類野Aの時点で山城と凪沙の存在を認識していた。ならば、類野Bと類野Cにはその情報が伝わっている可能性が高い。


「いえ二回です」


 凪沙が言った。


「二回?」

「類野Aが類野Bになった事で起きた過去改変の波が時間を伝わり、私達の現実に反映されたのが昨日の八月四日とする場合、私達はその一日遅れの今日、八月五日に情報を過去に渡しました。だから……二回多いんです」

「どういう事だ?」


 山城は顔を顰めて、頭をかいた。話が複雑になってきて、暗算では処理できなくなって来た。


「類野Bが起こしたデパート襲撃事件が私たちの時間に反映されたのが八月四日ですよね? 

 と言う事は、類野Cが起こしたデパート襲撃事件の犯行がこの現実に反映されるのは、さらに三日後の八月七日になると思います」


 凪沙はその情報をさらにホワイトボードに書き足した。


「仮に私達が今日、過去に送った伝言が現実に反映されるのを類野と同じ三日後だと仮定した場合、『八月七日』に反映される類野Cの犯行……八月七日の三日前は『八月四日』なのに対し、私達はそれより一日遅い『八月五日』のしかも夕方です。だから現実に過去改変の波が反映されるのは八月八日か九日になると思います」

「類野Cの過去改変よりも一日遅く、俺たちが渡した情報が反映されるのかよ」


 山城は舌打ちした。

 やばいくらいにしか思っていなかったが、これは相当に分が悪い戦いだ。


「て事は今日、俺らが伝言を渡した過去の『俺たちB』が対峙する類野は類野D?」

「だと、考えた方が良いでしょう。最悪の場合を想定して、類野は私達より『実質二回』も過去改編が多いんです」

「て事は、過去の俺らが対峙する類野CとDは……」

「当然、私とムサシさんの事は既に知った状態で過去で行動していると考えるべきです」


 凪沙が珍しく舌打ちをして感情を表に出した。


「お婆ちゃんに伝言を伝えて、安心してる場合じゃありませんでした。私達より類野の方が過去に情報を送った回数が二回多い事に気づきませんでした」


 凪沙はそこまで言って、壁にかかっていたカレンダーを見た。


「明日、八月七日に類野Cがやり直した過去改変の波がこの時間に来るはずです。もし、そこで私とムサシさんが類野Cに殺されていたら……ゲームオーバーかもしれないです」


 山城はそこまで聞いて、もっと大事な事に気付き、背中に冷や汗が流れた。


「愛美が危ねぇ」

「ん? 奥さんがどうかしましたか?」

「一回目の『二十一人殺害』の時のデパート襲撃事件で愛美は類野Aに足を撃たれた。類野を尾行し観察していたのがバレたからだ。

 で、二回目の『二十七人殺害』の時も、愛美は田沼かえでを庇う形で類野Bに撃たれて死んだ。そこで類野Bは舌打ちをして、田沼かえでを殺さずに他へと行った」

「それはオートピストルの装填の問題だったんじゃ。それが何か?」

「二回連続で愛美の存在があのデパートの襲撃中はイレギュラーになっている。類野もそろそろ邪魔者とみなしているんじゃないか?」

「それは考え過ぎじゃ……」

「類野はあのデパート襲撃を徹底的に計画して行っている。最短ルートで効率よく人を殺すためにゲームのタイムアタックと同じ様に無駄を削ぎ落とし続けてるんだ」


 山城は興奮で立ち上がり、その場を行ったり来たりとあたふたし始めた。


「言い換えれば、楽譜に載っている音符を一つづつ丁寧に確実に押している状態。おそらく、襲撃時の類野は俺たちが想像している以上に神経を擦り減らして行動しているはずだ。

 そこに勝手に楽譜の上を飛び回る厄介な音符が現れたらどうする?」


 山城の説明に凪沙の表情を次第に強張ったものへと変わって行った。


「……確かにその音符は類野にとっては邪魔で仕方がないですね」

「俺が類野Cならイレギュラーな愛美を当日、デパートに近づけさせない」

「近付かせないって具体的には……」

「八月一日より前に殺す」

「さ、流石にそれは発想が飛躍しすぎじゃ……」

「類野はどうせ八月一日に死ぬんだ。その前に何人殺しても同じだろ?」


 その時、山城の脳裏に恐るべきアイデアが浮かんだ。


『もし、類野が八月一日よりも前に愛美を殺したなら、デパート襲撃事件よりも前に類野を殺人罪でしょっぴく事ができる』


 そのバカな考えが頭を過った瞬間、山城はハッと我に返り、首を振り、その強欲な考えに抗った。


 それでは類野を捕まえられるが、愛美は永遠に戻らない。

 お前はまた、大切な人を裏切るのか?


 何の為に警察を辞めてまで、こんな事をしているのかを思い出し、山城は己を戒めた。

 山城はスマホを取り出し、ある場所に電話を掛けた。コール音数回で、電話の向こうから女性の声がした。


「は、はい。田沼ですが」


 田沼は相変わらず怯えた声だった。

 しかし、自分の狂気に怯えている人間の声が山城をむしろ冷静にさせた。


「もしもし、田沼さん。一つ伺いたいんだがいいですか?」

「なんでしょう?」

「愛美はアンタを庇う時、メモ帳以外に何か持ってなかったか?」

「何か? と言われましても」

「じゃあ、愛美が撃たれた直後、床に何か落ちなかったか?」


 山城が質問を変えると、電話の向こうから「はっ」という空気の音がした。


「愛美さん……手にスマホを持ってました」


 山城は「やっぱりそうか」と舌打ちした。

 その瞬間、電話の向こうの田沼が緊張したのが無言でも分かった。


「ああ、すまない。アンタに舌打ちしたんじゃないんだ。ありがとうな」

「い、いえ。ど、どういたしまして」


 田沼は山城から逃げるように電話をすぐに切った。

 それと同時に山城は大きなため息をついて、テーブルの上にスマホを投げ捨てた。


「やっぱりだ」

「どうかしたんすか?」

「愛美のスマホが遺留品に無かったんだ」

「え!」

「田沼さんは確かに愛美のスマホを確認していた。でも、現場にはスマホがなくなっていた」

「類野が……あでも、類野はすぐに死んでるし……仮に警察が来るまでに見たとしても時間が無さすぎるし」


 その時、山城と凪沙はある結論に達し、同時に顔を上げて目を合わせた。

 ネックレスと言い、スマホと言い、これ以外の結論はあり得なかった。


「類野には協力者がいるって事っすね」

「ああ、ソイツは恐らくまだ生きてる。愛美のスマホはソイツの手の中かも知れない。あと、過去の類野に情報を送ってるのは、そいつかも知れねぇ」


 バスに乗っていた時の達成感はすでに消え、凪沙の顔はむしろ青ざめた。


「私たち、思ってた以上に不利っすね、これ」

「だが、共犯者が誰なのかは限定されている。デパート関係者、警察……誰かは分からないが、ソイツが愛美のスマホを持ち去った可能性が高い」


 凪沙は咄嗟に時計を見た。


「明日が八月六日……八月七日に起きる過去改変は神に祈るしかありません。とにかく私たちの使命は、過去の自分たちを信じて、生きて八月八日か九日を迎える事っす。栄養いっぱい摂りましょう!」

「この波の現実でいられるのは明日の一日だけ、か」


 もしかしたら、次の過去改変では愛美が生きていると言う可能性だって無くはない。


「もう、次はどんな変化が起きるか想像もできません。でも、過去のあっしら二人はルールすら知りません。相当勝ち目の薄い戦いっす」

「とりあえず、今は俺たちにできる事をするだけだ」

「うっす」


 愛美のスマホ、そして類野の共犯者探し……とりあえず、散らかしっぱなしの愛美の部屋に行って、もう一度荷物を片付けもしなければならない。


 とりあえず、過去の自分達に頑張って貰うしかない。




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