駄菓子屋と殺人鬼とラムネの泡
ポテろんぐ
第一章
第1話 七月二十九日 事件三日前
暑い日が続いていた。
蝉時雨と近くの工場のコンクリートから響いてくる機械音などが相まった、不快な熱と騒音が汗まみれの全身に纏わり付いてくる。
その日、山城は三日前にこの工場街にある廃工場で起きた焼死体事件の聞き込みの為、事件現場周辺を充てどもなくウロウロしていた。
太陽の光をたっぷりと吸い込んだ革靴は、もう溶け出しそうなほどに熱を帯び、五十手前の山城の疲れを足元から援護してきた。
「どこか涼める場所はないか」と辺りを見渡した。
民家も公園も見当たらない。古い工場や中小企業が立ち並ぶ工場街。
多くの建物は中で働く労働者たちが生まれる前からそこにある物ばかりで、コンビニなどは一軒も見当たらない。
「今日も、ここで休むか」
子供たちがやってくるようには到底思えない鋼鉄の街の交差点の一角に、木造の古びた駄菓子屋があるのを三日前に見た時は暑さが見せた蜃気楼かと思った。
その建物だけが騒音だらけのこの地域には違和感でしかなかった。
誰が客としてくるのか?
どうやって経営が成り立っているのか?
目に入って来た瞬間に、山城の頭に疑問が次々と浮かぶ。
少し不気味だが、他に休める場所がないのだから、暑さでやられた山城は三日連続でその駄菓子屋のお世話になるしかなかった。
南を向いた入り口の引き戸は今日も開けられていた。たまに入る風が風鈴を揺らし、なんとも懐かしい音を聞かせてくれる。
店先にガシャポンの機械が二つ。山城も小さい頃に遊んだ事を思い出した。
どちらも今では使われていないらしく、中身は空で、白いモヤのようなものが張り、商品の名前が書いてあったラッピングは色褪せてしまっていた。
店に入ろうとすると、隣の工場の機械の振動で引き戸のガラスが小さく震えた。
「ごめんよ」
中に入ると、少し埃っぽい匂いがツンと鼻に刺さった。子供の頃、農家をやっている親戚の家の古い蔵に忍び込んだ時のことを思い出し、不快ではなく懐かしい気持ちにさせてくれた。
「あら、いらっしゃい」
山城の挨拶から少し間があり、奥の帳場からニコニコした表情でお婆ちゃんが言った。
白髪の髪から顔の皺、肌の老け具合、全てがこの駄菓子屋と運命共同体になっているようだ。
お婆ちゃんの姿を見て、山城は子供の頃を思い出し、どこかホッとした。いくら歳をとっても、まだこれくらいのお年寄りの前に出れば、自分はまだ子供なんだと思わされた。
店内はエアコンがついているわけではないが、二つある店の出入り口の西側から南側へと抜けていく風が心地よく、そこまで暑さは感じず、むしろ快適だ。
「ん?」
山城は自分が入って来たのとは別の西側の出入り口に男が一人、ベンチに座っているのに気付いた。
近くの工場の従業員かと思ったが、無精髭とボサボサに伸びた髪、作業着ではないラフな服装、雰囲気から真面目に働いている人間にはとても見えない。
こんな平日の昼間に、大の大人が駄菓子屋で何やってんだ?
刑事という職業柄、山城はその男を足元からよく観察した。
が、その男が口に流し込んだガラス瓶に入った液体を見て、ハッと我に帰り、口の中に唾液が溢れ出すのに気付いた。
男のガラス瓶に入ったラムネが西側に傾き始めた太陽に照らされ、今日のような暑い日には宝石のように見えた。
「婆さん、今日もラムネ一本くれ」
お婆さんは昨日と変わらない笑顔で、昨日と変わらない返事をして、昨日と変わらない帳場の横に置かれたガラスケースの冷蔵庫からラムネを一本取り出した。
「はい。八十円ね」
お婆ちゃんはニコッと笑いながらラムネを山城に差し出した。
「あいよ」
山城は背広のポケットに入っていた小銭から八十円を数えて、シワシワの柔らかな手のひらの上に置いた。
「あ、あと、未来からアナタに伝言が届いてるけど、聞きますか?」
「伝言?」
突然の言葉に山城はキョトンとした。
しかし、お婆さんは笑顔を崩すことはなく、真っ直ぐ山城のことを見ている。
「この駄菓子屋限定の隠語だろうか?」と勘ぐった。
昔、山城が通っていた駄菓子屋のお婆ちゃんは、子供同士の伝言を紙で預かって自らを『忍者の長』と名乗り、他の子供に渡す遊びをしていた。それで、山城たちは友達同士で毎日どこで遊ぶかを伝え合っていたのだ。
「どうするかい?」
お婆ちゃんは、笑顔を崩さず、山城に尋ねた。
──ボケてるんだろうか?──
一度、そういう疑惑が生まれると、さっきまで好感を抱いてい笑顔や機械的な喋り方が不気味に感じ始めた。
「あぁ……いいよ。また、今度にするわ」
「あら、そうですか」
山城は苦笑いを浮かべながら、ラムネを持って、男がいる方の店先に出た。
そちらにガシャポンの機械はなく、代わりに青いプラスチックのベンチが引き戸を挟んで二つある。
山城は先客の男が座っているのとは反対の左側のベンチに腰掛け、ラムネのビー玉を押し込んだ。
一口飲むと、暑い中歩き回った体に、冷たいラムネの炭酸が日陰に吹いた風と共に全身を駆けて行った。
スーッと熱と疲れが消えていくようだった。思わず、隣に男がいるのを忘れ「あー」と声が漏れた。
気分が落ち着くと、改めて隣のベンチの男が気になった。
さっきは、ほぼ後ろ姿しか見えなかったが、真横から見た男の顔は無精髭やボサボサの髪では隠せない程に一本芯が通った精悍な顔つきをしている。
年は山城よりも一回り下、三十代後半くらいだろうか?
だが貫禄で言えば、自分と同年代と同じ、それ以上のものを身に纏っている。
山城はより一層「こんなところで何してんだ?」とその男を疑問に思った。
──話しかけてみようか──
山城はそう思い、喉を湿らすためにラムネを一口飲み、男の方に体を向けた。
「よぉ、兄ちゃ……」
おばあちゃーん! ラムネちょーだーい!
しかし、山城の声は突然店に入って来た若い女の大声に掻き消されてしまった。
話しかけるタイミングを逸し、バツが悪くなった山城は、店内の女の方を睨みながら振り返った。
店に入って来たのは大学生くらいの若い女。
胸の膨らみがはっきり見える白いTシャツにホットパンツだけ、このクソ暑い日だとしても、あまりにも無防備過ぎる格好の女だ。
それとは裏腹に男性物に見えるゴツいメガネをした童顔な顔に、あまり手入れがされていない髪を「部屋の掃除が面倒だから」と全てを押し入れに仕舞い込んだようにゴムバンドで無理やり束ねていた。
足元はクロックスを履いている。
肌の露出が多い尻軽の女というより、自分が女性だという事を自覚しないまま大人になってしまったような印象だ。
「あ、あと、未来からアナタに伝言が届いてるけど、聞きますか?」
女がラムネを受け取ると、お婆ちゃんがまたそう言い、山城はそちらに注意が行った。
「伝言? 私に?」
山城の時と同じく、女はキョトンとした声でお婆ちゃんに聞き返す。
「お婆ちゃん、誰から?」
「未来のアナタと山城武蔵さんからです」
「山城、武蔵……って誰?」
山城は思わず声が出そうになった。
山城武蔵は山城の本名だ。
どうして、山城の本名をあのお婆ちゃんが知っているのか?
山城の名前は初めての人だと大体、本名の『たけぞう』ではなく『むさし』と間違えて読む。
しかし、お婆ちゃんは山城の名を正しく『たけぞう』と読んだ。
山城は勘定を払った時に出した財布を取り出し、さらに自分の背広から何までを見直したが、名前の書いてあるものは何もない。
この三日間毎日通ってはいたが、刑事である身の上、お婆さんにプライベートなことは何も話していない筈だ。
「っ!」
その時、お婆さんが名前を読み上げたのと同時に、隣のベンチの男から放たれた殺気に山城はビクッとなった。
さっきまでラムネを飲んでボーッとしていた男は鋭い視線を店内のお婆ちゃんと女の背中に送っていた。まるで捕食者が明日食う獲物を品定めしているような、殺意を極限にまで圧縮したような視線だ。
「うーん……なんだかよく分かんないけど。とりあえずありがとう!」
女の声に山城はハッとした。
隣の男の殺気に気を取られ、伝言が一つも聞き取れなかった。
女はお婆ちゃんからの伝言を聞いたらしく、ラムネ片手にこっちへ歩いてくる。
それと合わさるように男は立ち上がり、店を後にして行った。
「あ、おい!」
山城は思わず、歩いていく男の後ろ姿に声をかけてしまった。
しかし、男は振り返ることもなく、歩き続けた。
入れ替わりで女が山城の隣のベンチに腰掛けた。
「ぷし」
ビー玉が落ちる音と一緒に女はふざけた様に呟き、その後、豪快な飲みっぷりでラムネを半分飲んだ。
「ぶはー! これだ!」
地面に置いた男物のリュックの脇に大学の教科書らしき物理か何かの本が押し込まれているのが見えた。
──理工系か。だからって、ここまで女である自覚がないものか? ──
そんな女性であることに無関心な彼女とは裏腹に身体の方は出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、近くで見ると目のやり場に困る身体をしている。
「あの、どうかしましたか?」
急に声をかけられ、ドキッとし思わず視線を外した。考えてる内容はともかく、知らない女性をジロジロ見るなど側から見たら明らかに変質者だ。
「えーっと、その」
上手い言い訳が思いつかない山城は、咄嗟に聞いた。
「あ、あのよ。さっきの伝言って、何だったんだ?」
「伝、言?」
女は大袈裟に首を傾げた。
「実は、俺もさっきラムネを買った時に婆さんに言われたんだ。伝言があるって」
「はぁ、そうなんですか」
女は全く警戒を解く様子がない。
山城は奥の手とばかりに打ち明ける事にした。
「あと、山城武蔵って、俺の事なんだよ」
山城はそう言って、女に警察手帳を見せた。それには『決していやらしい目でアナタを見ていたわけではない』という意味も込められていた。
「えっ! あ、本当だ。え、刑事さんなんですか、すご!」
さっきまで警戒していた女は、突然興味深々に山城の警察手帳を前のめりになって見入った。その瞬間、豊満な胸の谷間が山城に近寄って来た。
「それでよ、バアさんの伝言って何だったんだ?」
山城は胸元から目を逸らしながら言った。
「うーん。それが、よく分からなかったんです。『その男を、たぐやを絶対に逃すな。止めろ』って」
「たぐや?」
山城の脳裏に、つい先程のベンチの男の殺気が脳裏を過った。刑事の直感で『あの男は危ない』と山城は思った。
「たぐや」とはあの男の名前だろうか? という可能性が山城の頭に浮かんだ。
だが、なんで自分だけでなく、あの男の名前まで駄菓子屋の婆さんは知っているのか? あの男はここの顔馴染みなのだろうか?
ブルルゥ
そこまで考えた時、山城のスマホが鳴った。舌打ち片手に表示を見ると『相澤』と文字が出て、さらに舌打ちが出た。
山城は女に「ありがとよ」とだけ言って、ラムネの瓶をゴミ箱へ捨て、駄菓子屋を後にしようとした。
「あっ! それと一緒になんですけど」
山城はその声に立ち止まり、女の方を振り返った。
「最初に変なことを言ってましたよ。なんか、カリフォルニアロール? って変な言葉を」
「カリフォルニアロール?」
「まぁ、それだけですけど。なんですかね?」
女は山城に首を傾げながら、ラムネを一口飲んだ。
それを聞いた山城は、次の風が吹くまで呆然その場に立ち尽くした。
山城が己の直感が正しかったと知るのは、それから三日後、警察署のテレビに映った緊急ニュースで犯人の『類野紀文(たぐや のりふみ)』の名前と顔写真が写った時であった。
それを見た瞬間、山城は駄菓子屋での類野紀文の殺気に満ちた視線を思い出した。
あのベンチに座っていた男「類野紀文」は二十一人の人間を無差別に殺害した。
しかし、逮捕された直後のパトカー車内で、類野紀文は口内に仕込んでいた毒を飲んで自殺。
そして、死亡した二十一人以外の怪我を負った十名以上の被害者の中には、山城の元妻だった愛美の名前もあった。
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