八月一日 事件当日

第2話 八月一日 事件当日 その1

 あの駄菓子屋での一件から三日後。

 山城は相変わらず、焼死体事件の捜査に革靴のソールをすり減らしていた。類野と出会った日が捜査三日目だった。つまり、事件が発生してすでに六日が経っていたが、これといった手がかりは何も見つかっていない。


 あの駄菓子屋の近所、今では廃墟となっていた工場跡で男性の焼死体が見つかった。

 現場には遺書も、争った形跡もなく、自殺なのか他殺なのか、そもそも、この炭になってしまった仏は誰なのか……何の手がかりもないまま、ただ水面を殴るような手応えない捜査を六日も続けた。


 唯一の手掛かりは被害者の衣服と首についていたネックレスだった。

 そのネックレスはハートマークが半分になった形をしており、もう片方のペアと合わせることで一つのハートが出来上がるようになっているモノだろう、と想像された。


 不気味だったのは、被害者の体は真っ黒に焼け焦げていたにもかかわらず、衣服とネックレスは綺麗なまま、燃えた形跡すら無かったことだ。

 まるで炭になった遺体の上から着せた様な状態であった。


 遺体を黒焦げにした後に犯人が服を着せたのだろうか?

 なぜ、そんな事をする必要があったのか? 

 そもそも人間の体をあれだけ完璧な炭にどうやって燃やしたのか?


 疑問だけが膨らみ、答えは一つも見つからない。


 山城たち捜査員は、ネックレスの(存在していると思われる)もう片方を持っている人物を見つけ出そうしたが、これと言った手がかりは得られなかった。服は量販店で売られている、全国どこでも手に入るものだった。


 無駄に流れていく時間は、士気の高い捜査員のモチベーションをどんどんと奪っていき、捜査本部は「これ以上、捜査しても無駄なのでは?」という空気が蔓延していた。


「おい、テレビ付けろ!」


 進展がない捜査本部に喝を入れるべく、珍しく顔を出していた刑事部長が、欠伸と同時にブルっと震えたスマホに出た途端に声を張り上げた。

 作業をしていた刑事たちは手を止めて、所轄の総務課が電源を入れたテレビの画面に視線を向けた。


 山城も相澤と一緒に立ち上がり、テレビの前へ向かった。


 テレビにはT区にあるデパートの入り口を向かいのビルの屋上辺りから撮影している映像が『LIVE』と言うテロップと共に流れていた。どのチャンネルを回しても、全く同じ構図の映像であった。

 ただの気分転換のつもりだった山城達刑事の顔色が変わった。

 映し出された入り口の周辺には大勢の野次馬の人だかり、そして異常な数のパトカーと警官の数。

 「立てこもりか?」などと呟きながら、ゾロゾロとテレビの前に警官たちがさらに集まり出した。


『ええ、現在までに十五名の方の死亡が確認されたと、こちらには届いています──』


 映像からアナウンサーの声が聞こえた。


──十五名の死亡──


 捜査本部は一気に騒然となり、エネルギーを持て余していた刑事達の関心は、解決の見込みのない担当の事件から、テレビの中の別の事件へと移った。


「爆弾とか、テロですかね?」

「分からん」


 山城の脇にいた相澤がボソッと聞いて来たが、山城はテレビから視線を外さずに答えた。

 山城の頭にも、テレビの中の情報から、可能性が次々と浮かんでいた。

 爆弾にしては、煙が上がっていないのは目を瞑るとしても、一般市民を現場に近付けすぎな上、警備をしている警官の装備も薄い。

 それから考えると立てこもり。アメリカなどで多い、銃を持った数名による無差別殺人……


『今、入り口から犯人が警官に連れられて出て来ます』


 カメラが一気に入り口の自動ドアをアップにする。

 数名の警官に囲まれ、犯人と思わしき男がデパートから出てきた。


「あっ」


 山城はテレビに映った人物を見て、思わず声を出してしまった。すぐに「しまった」と思い、咳払いで誤魔化した。


「山城さん、知り合いですか?」


 横にいた相澤が無神経に小声で聞いてきた。

 山城は咳払いをもう一度して、相澤の腹に肘を喰らわせた。相澤は「うっ!」と蹈鞴を踏んで、後ろの長机に体をぶつけた。


「相澤!」


 捜査課長に怒鳴られ、相澤は「すいません」と静かになった。


 相澤を黙らせた山城は、もう一度、犯人の顔を確認した。ご丁寧にパトカーに乗り込む瞬間、視聴率を稼ぎに来たテレビカメラがその男の顔をさらにアップにしてくれた。


 間違いなく駄菓子屋にいた、あの男だ。


 山城の脳裏にあの時の鋭い殺気に満ちた眼光が蘇った。

 そして、あの若い女が言っていた『その男を、たぐやを絶対に逃すな。止めろ』という言葉も一緒についてきた。


『ええ、たった今、犯人の男性の名前がこちらに入って来ました』


 アナウンサーの声と共にパトカーに乗り込もうとしている男の顔が再度アップで映された。


『男の名は類野紀文(たぐや のりふみ)、職業や年齢などの情報はまだ入って来ていません。共犯者はおらず、一人による犯行だという事です。

 ええ、さらに死亡した方の人数が増え、現在確認されただけで二十一名に上るということです』


 アナウンサーの声で捜査本部が騒然とする。

 ゲリラの反抗だとしても、たった一人の人間が二十名以上の人間を殺したなど、人を殺すのにどれだけの労力が掛かるかを熟知している捜査のプロからすれば、信じられない数字だった。


 騒然とするその中で、山城一人だけが別の事で画面を見て絶句していた。


 あの三日前の駄菓子屋の女が、いや、正確には駄菓子屋のお婆ちゃんの言った通りの結果になった。


「ヤバいっすよ、この事件」


 相澤が呆然とする山城の横で、実に平凡な感想を述べた。


「おい、静かにしろ!」


 騒然とする捜査本部の刑事達を課長が宥める。


「お前らの事件は別だろ! もうテレビを消せ!」


 課長が総務課の職員からリモコンを奪い、テレビを消した。

 その課長の後ろには、青ざめた表情でテレビを眺めていた刑事部長の姿があった。刑事部長を気遣い、自然な形でテレビの電源を消したのは課長のファインプレーであった。テレビの画面が黒に戻ると、刑事部長は何も言わずに立ち上がり、会議室を後にした。

 その姿を見て山城は内心で「御愁傷様」と同情した。

 任期中にこんな大事件が起きてしまうなんて、不幸と言わざる得ない。どれだけ偉くなっても警察は事件を選べない。

 世間から普段のパトロールの杜撰さなどをこれみよがしにバッシングされ、あの刑事部長の出世の可能性はもう無いに等しいだろう。


「ほら、とりあえず、被害者の身元確認。ここからだ!」


 課長は大きく手を叩き、なんとか刑事達をテレビから離れさせたが、これだけの大事件を見せられた後では士気はどうやっても上がらない。


 それは山城も同様、いや、他の刑事のそれ以上にテレビの事件が気掛かりでならなかった。

 類野紀文。

 三日前のあの駄菓子屋の一連の出来事は一体何だったのだろうか?

 それを考えると、類野紀文という男の事を調べたくて調べたくて仕方が無くなってきた。


「山城さん。行きますよ」

「あ、ああ」


 なんとか頭を焼死体事件に向けたいと思うが、どうしても類野の事で頭がいっぱいになる。

 刑事の本能というべきなのだろうか。


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