第二章
七月二十六日 事件六日前
第14話 七月二十六日 その1
死体が発見される前夜、この辺は一晩中、雨が降っていた。しかもかなりのザーザーぶりだった。
なのに焼死体だ。
しかも生焼けじゃない。体の芯まで真っ黒に焼け上がった完全な焼死体。
工場街の中にある今は使われていない工場跡で、男性と思われる焼死体が発見された。古いトタンの屋根は飛び、ほとんど吹き曝しになっていた廃工場のコンクリートの地面はその雨のせいで遺体が発見された時も当然のように濡れ、夏の日差しを跳ね返す鏡になっていた。
さらに死体の首には全く焼けた跡のないネックレスと服が綺麗に着せられていた。当たり前だが、そのネックレスと衣服も濡れた後は無かった。
なぜ犯人は被害者を燃やした後に衣服を全て元に戻したのか? それに何の意味があったのだろうか? なんかの手向けのつもりなのだろうか?
そもそもこの死体は誰なんだ?
手がかりになる物は何もなく、捜査担当になった警官一同は首を捻った。
山城は相棒の相澤とその辺一体の地取り捜査に出ることになった。が、有力な情報を得る事はなかった。時間は深夜な上、あれだけの土砂降りでは誰も外になんか出るわけがない。
あの雨の中、どう言う色の炎が燃え上がっていたのか、山城には皆目見当がつかない。
これでは埒が開かないと、山城は相澤と二手に分かれ、聞き込みをする数を増やす事にした。
昼近くになると山城達に最高の謎を提供してくれた濡れたアスファルトは、ご丁寧にも今度は雲の間から現れた灼熱の太陽に熱され、生ぬるい蒸気となり、その辺を歩き回る警官たちの体に纏わりついてきた。
「どこまでも俺らのことが嫌いらしいな」と一人、文句を言いながら歩き続ける山城、真夏の昼間の暑さに湿気、そして手がかりが全くない謎の焼死体のせいで、次第に精神と体力の両方を削られて行った。
「ん?」
その時、「どこか休憩できる場所はないか?」と辺り一面工場だらけの街を見渡した山城は、視線の先にあった建物を見て、怪訝な表情で立ち止まった。
工場街の一角に、その場にあまりも場違いな一軒の古い駄菓子屋がポツンと立っていたのだ。
「なんでこんなところに駄菓子屋が?」と山城は一瞬蜃気楼ではないかと疑うほどであった。
普段なら不気味に通り過ぎるところだが、生憎、周りにコンビニすら見当たらない砂漠のど真ん中のような土地柄と死者が地面から足を引っ張ってくるような蒸し暑さのせいで、山城は逃げるようにガラス戸を開け、駄菓子屋の中に入った。
「ごめんよ」
引き戸を開けるのと一緒に鼻にツンと入って来た埃くさい人間味のある匂いに「どうやらタヌキが化けているワケでは無さそうだ」と一安心した。
だが、山城の期待とは裏腹に、店の中は冷房が効いておらず、奥の柱に固定された扇風機だけが回っていた。
ただ、エアコンは無いが入って来たのとは別の西側にもある出入り口から定期的に吹き抜けてくる風は涼しく、山城の体にまとわりついた暑さを幾らか吹き飛ばしてくれた。
「いらっしゃいませ」
帳場に座った婆さんは、外の暑さに気付いていない様な涼しげな笑顔を山城に向けて来た。
山城は婆さんが座っている脇のガラスケースの冷蔵庫に目が行った。その中でキンキンに冷やされて眠っているラムネの瓶に思わず唾液を飲み込んだ。
「婆さん、ラムネを一本貰えるか?」
「はい。八十円になります」
山城は背広のポケットから八十円を数えて、婆さんの前に置いた。
冷蔵庫から婆さんが取り出したラムネを受け取ると、掌から冷たさが全身に広がっていく。
「あんがとよ」
山城は風が気持ちいい西側の出口を飲もうと歩き出した。
「ああ、あと、」
すると、婆さんが追加で話してきた。予想外に話しかけられた山城は「ん」と立ち止まった。
「あなたに伝言が届いていますよ」
「伝言? 俺に?」
「はい」
婆さんがニコニコしながら、山城にそう言う。
山城は怪訝な顔で店の外を見渡した。誰かに着けられたりしている気配は感じない。
「誰から?」
山城はラムネのビー玉を押し込みながら、婆さんに尋ねた。
「未来の山城武蔵(たけぞう)様と譲司凪沙様からです」
「俺? と……」
譲司凪沙?
聞いたことがない名前だ。
だが、店に入ってから一度も名乗っていない自分の名を知っていた。それだけではなく、よく間違えられる名前を「むさし」ではなく「たけぞう」と呼んできた。
なんで俺の名前を知っている? と山城は不気味に思った。しかし、刑事の本能だろうか、逆に婆さんの言う事に興味が湧いた。
「お聞きになりますか?」
山城は手に持っていたラムネを飲む事を忘れ、婆さんに近寄った。
「なんだよ?」
「『カリフォルニアロール。焼死体のネックレスの持ち主は類野紀文……」
婆さんはおっとりとした口調で山城にそう伝えた。
「類野、紀文?」
「……類野を探せ、そして、止めろ』。これが一つ目の伝言です」
婆さんの伝言を聞き、山城は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
焼死体が見つかったのはついさっき、まだニュースにもなっていない。しかもマスコミには流れていないはずの遺体の首のネックレスのことを、何故、婆さんが知っているのか?
それ以外にも、山城と相澤の間で「絶対に守れ」という意味を込めた秘密の言葉『カリフォルニアロール』というのも、何故知っている?
相澤のイタズラか?
だが、山城がこの駄菓子屋に入ることを相澤が知っている筈がない。なぜなら、山城ですら、店に入る数秒前まで入る気がなかったのだから。しかも、いくら相澤でも大事な捜査の合間にこんなくだらない悪戯をする意味がわからない。
──本当に未来の自分からのメッセージかもしれない──
この瞬間、山城の中で、刑事にとって最も必要な能力であり、犯人を逮捕する証拠として一番役に立たない『直感』と言うものが働いた。
「二つ目の伝言ですが……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
山城は背広から手帳を取り出し、急いで『たぐや のりふみ』と言う名前を書き込んだ。
何の根拠もない。むしろ、こんな所を誰かに見られたら「気でも狂ったか?」と心配されるだろう。だが、それにしても婆さんの口から出た情報が山城には生きた情報にしか聞こえなかった。その上、正直、手掛かりが無さすぎて、何でもいいから捜査の糸口が欲しかった。
「続けてくれ」
「二つ目の伝言……『この伝言を聞き終わったら「東條大学理工学部の譲司凪沙」と言う女の元を訪ねろ』」
「譲司凪沙?」
さっきも出て来た女の名前。
大学生なのか?
山城はとりあえず、『東條大学理工学部 譲司凪沙』とメモをした。もしかしたら、この女がさっきの類野という男と関係があるのかもしれない。
すると、山城がメモをしている最中、婆さんは手元に置いていた紙に何やら数式のようなものを書き始めた。
その駄菓子屋の婆さんには似つかわしくない、数字の呪文を高速で一文字も間違わずに書き殴っていく姿を見て、山城は恐怖を覚えて、呆然とその作業を見ていた。
何が起きてやがるんだ、本当に。
何なんだ、これは?
メモを書き終えたらしい婆さんは、その紙を山城に差し出した。
「『そして、この紙を譲司凪沙に見せろ』との事です」
婆さんが渡してきた数枚にも及ぶ紙の束、そこには山城には全く理解ができない数式が並んでいるだけであった。
元来、こう言ったものは大嫌いな性分の山城は、最初のページを見ただけで頭がクラクラして、それより後の紙を見る気力すら失ってしまった。
「なんだ、これ?」
「これが二つ目のメッセージです。三つ目の伝言に移りますか?」
「俺の質問は無視かよ」
「三つ目の伝言は『これから十日間のうちに起こることを説明して行きますので、絶対にメモを取る事』との事です」
それから婆さんは、淡々とこれから山城の身に起きる出来事を説明して行った。
山城はよくわからないまま、今までの流れの延長でそれをメモに書き留めて行った。
そのメモを取りながら『本当にこの伝言は未来の自分からなのかもしれない』と山城は疑惑だったものがどんどんと確信に変わって行った。
物事の要約し伝える癖が山城自身に似ていた。なのでメモが取り易く、スイスイ頭に入って来た。
半信半疑だったが、ここに来て『この婆さんの伝言は馬鹿にできない』と言う方へ山城の心は傾いた。
伝言の中で衝撃だったのは八月一日に起きる『清和デパート襲撃事件』である。それによって三十人近い人間が死ぬと言う事だった。
「この事件の首謀者、犯人は先ほどネックレスの持ち主と言った類野紀文です」
「類野ってやつ一人でそんなに殺せるのか?」
山城には信じられなかった。
人を一人殺すのだって並大抵の事ではない。にも関わらず一人の人間が真っ昼間のデパートで三十人近い人間を殺すだなんて、正気ではない。
さらに伝言によると、その男、類野紀文が三日後の二十九日にこの駄菓子屋に現れると言う事だった。
さらにその類野、あの謎の焼死体のネックレスの持ち主……情報があまりに多すぎて訳が分からない。
類野ってのは何者なんだ?
山城は咄嗟に壁にかかっていたカレンダーに目をやった。八月一日は六日後。まだ一週間ある。
「それと『このメモは絶対に中身を見ずに相澤に渡せ』と山城武蔵様から伝言を預かっています」
「相澤に?」
そう言うと婆さんは再び、メモ用紙に何やら書き始めた。
今度は数式ではなく文字……手紙のようであった。
お婆さんはそれを書き終えると半分に折り、山城に渡した。
山城の手には三つのものがあった。
一つはラムネの瓶、そして譲司凪沙と言う女に渡す方程式が書かれたメモ、あと相澤に渡すメモであった。
「デパート襲撃事件の犯人が類野紀文って男で、あの焼死体のネックレスの持ち主も、その類野って奴なら……その二つの事件は繋がっているってことか?」
山城の質問に婆さんはしばらく考えてから、返事をした。
「さぁ」
「なんなんだよ! 俺の質問は答えねぇのかよ! あの焼死体は誰なんだ?」
「次が最後の伝言です。聞きますか?」
山城は大きなため息を一つ付いて、諦めると言う最良の選択を取る事にした。
「分かった。聞かせろ」
ここまで来たら乗り掛かった船だ。半ばヤケッパチになり、山城は婆さんの伝言に耳を傾けた。
「今から言う四人の人間を八月一日、類野に襲撃される清和デパートに行かせないように説得しろ。一人目は田沼かえで、連絡先は……」
山城は四人の名前と連絡先をメモした。
今までの話の流れから察するに、その襲撃事件で殺される被害者だろうか? しかし、なぜこの四名なんだろうか? 何か、意味があるのか?
「以上の四名。この四人は清和デパート襲撃事件の被害者になる予定の人物である。絶対にデパートに行かせない事。伝言は以上になります」
そう言うと婆さんはそれ以上何も言わず、ただニコニコしているだけの置物に戻った。
山城は考えを纏めるために、頭を掻きながら西側の出入り口のベンチに座り、ラムネを飲み始めた。
しばらく放置していた事で、すっかり最初の冷たさは失われ、少し温いラムネになってしまった。
さて、この嘘くさい伝言とやらを、どう処理するか?
オカルトめいた事は好きではないが、誰かの悪戯と処理するにはあまりにも手が混んでいる。
焼死体の捜査は現状、目撃者もおらず、山城の長年の勘では『この事件は迷宮入りしそうだ』という嫌な予感がし始めていた。
山城はラムネを一口飲み、もらったメモに目を落とした。
このメモを譲司凪沙とか言う女に渡して、オカルトにしか見えない伝言の信憑性を確かめてみる時間がないわけではない。
万が一、類野紀文という男の事が正しい情報だったとしたら焼死体事件の解決に大きく前進する。
山城がつらつらと頭の中で言い訳を練っていると、南側の方のガラス戸が開く音がした。
「あら、いらっしゃい」
婆さんの声に山城が入って来た客の方を振り返った。その瞬間、ギョッとした。
──なんだ、アイツ──
三十代後半くらいのボサボサの髪をした男であった。
しかし、身に纏っている黒い貫禄に山城は思わず声が出そうになった。
男は山城の視線に気付き、睨み付けるような視線を尻目で飛ばして来た。山城は咄嗟に男から視線を逸らしてしまった。
──明らかに、まともじゃない──
過去に暴力団系犯罪の四課にいた経験もある山城だが、その男のオーラは生半可に群れているそこいらのヤクザでは身に纏えない血生臭な殺気をしている。
「ラムネ、一つ」
「八十円です。それと未来の類野紀文から伝言が届いていますよ?」
類野?
山城は婆さんの声に再び振り返った。
「聞きますか?」
その時、ボサボサの髪の男は山城の方を確かに確認した。そして、山城と男は正面から目が合った。
「いや、後でいい」
そう言って、男はラムネを婆さんの方へ戻し、入って来た引き戸から店を出て行った。
「なんだ、アイツ?」
暑さによる汗はすでに引いていたが、山城は、おでこに脂汗のようなものをかいていた。
その時、背広のポケットに入っていた山城のスマホが震え始めた。
見ると『相澤』の文字が見えた。気付いたら手分けしていた相澤と合流する時間になっていた。
「あ、山城さん、どうっすか? こっち全然ダメっす」
電話の向こうの相澤は駄菓子屋の出来事なんて何も知らなそうな、素っ頓狂な声を聞かせてくれた。
それでさっきの男に動揺させられた山城は平静を取り戻した。
「相澤、悪いが、先にお前一人で署に戻っててもらえるか?」
「え? なんすか? なんかあったんすか?」
「悪い。捜査会議の時間には戻る、その時に話す」
反抗する相澤の声を聞かないように、山城はスマホの通話を一方的に切った。
「とりあえず、東條大学」
山城はラムネの瓶をゴミ箱に捨て、ベンチから立ち上がり、歩き出した。
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