七月二十七日 事件五日前 後編
第25話 七月二十七日 その5
写真にでも撮って何年後かに見直せば、きっと平凡な幸せを凝縮させた閑静な住宅街に映るだろう。しかし、今年の夏のようにヘビが巻き付くような暑さの前では、その土地の魅力なんて微塵も伝わってこない。
そんな平凡な幸せのど真ん中にポツンと不自然に佇んでいる古ぼけた模型屋があった。
この時代、この住宅街で、昭和からアップデートされていない時代遅れな佇まいをして完全に浮いた存在になっているにも関わらず、なおどっこい営業を続けている。戦場に咲く一輪の花という言葉があるならば、お花畑に佇む一坪の戦場とでも言うべきか。
前の道を通り過ぎる人々は「なぜ、潰れないんだろう?」と不思議に思っている事だろう。
山城はその模型屋を見上げ、この前の駄菓子屋を思い出した。あの店とどこか通ずるものをこの店からは感じる。
ただ、この店が続いているのには理由があるのだが……
「ごめんよ」
中に入ると所狭しと置かれたプラモデルの箱の山に山城はいつも圧倒される。「地震が起きたら、この店はどうなるんだ?」と掃除嫌いの山城からしたら、想像しただけでイライラする惨劇を思い浮かべてしまう。
店の奥のレジがあるモデルガンが陳列されたガラスケースの帳場に主人の姿はない。どうせ客なんか来ないから、奥で寝ているのだろうか?
「おーい! 爺さん! いるんだろ!」
「へーい」
数秒の間を開けて、慌てる素振りも見せず、住居スペースの奥から腰が曲がった店主が顔を出した。
「なんだ山さんじゃねぇか。久しぶりだな」
山城の顔を見て、男はニコッと嬉しそうに笑い、柱のフックにかかっていた店名が書かれたエプロンを締めた。
数年前に山城が訪ねた時も、全く同じポロシャツを着ていた気がする。もっというと、あの頃から店のプラモのラインナップが何も変わっていない気がする。あの駄菓子屋みたいに、この模型屋も時が止まったみたいになっている。
「で、なんだい?」
「ちょっと近くまで来たからよ。どうだ、景気は?」
「良いワケねぇだろ」
爺さんはそう言って、一丁前の商売人の顔で舌打ちした。
「夏休みだってのに、子供一人きやしねぇよ」
「今時、シンナー使うプラモなんか売ってるからだろ。どこで作ってんだよ、こんなもん」
山城は店内のプラモを見渡しながら、我が家に帰ってきたようにタバコを取り出して口に咥えた。
爺さんは何を言うでもなく山城の前に灰皿を置いた。
「で、要件は?」
灰皿と一緒にボソッと爺さんが呟くと、その瞬間、朗らかな表情が消えた。腰が曲がっても裏の顔は相変わらずの貫禄で山城も緊張した。
山城はガラスケースの上に肘を置いて、爺さんに顔を近付けた。
「最近、まとまった弾と一緒にブツを買ってったヤツはいるか?」
「形状は?」
「九ミリの弾倉八の自動式……」
老人は唸った。
「山さんが顔を見せない間に、規制が厳しくなって、最近じゃみんなネットに引っ込んじまったよ」
「その割には儲かってる様子じゃねぇか」
「ノウハウを完璧にこなす繊細さがあれば、アナログの方が安全なのよ。デジタルはどうしてもどこかに足が残っちまうからな。それが警察に見つかれば運がいい方だ。もっとヤバい奴らに見つかったら……」
老人はそう言いながら「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひっ」とまるでアニメのように不気味に五回笑い、パソコンを操作し出した。
漁夫の利という諺があるが「漁夫はこの爺さんみたいな悪魔みたいな目で、獲物同士の争いを見ていたんだろう」と山城は思う。
世の中、漁夫の利にたまたまはあり得ない。
「多分、その形状ならトカレフだろう。まとまった弾って何発くらいだ?」
「三十……もしかしたら五十を越えるかも知れねぇ」
老人が山城の方を驚いた顔で見た。
「そんな大仕事なら、そもそもニュースになってるだろ」
「まだ起きてねぇんだ。これから起きる事件なんだよ」
「なら、拳銃の出所なんか追ってないで、犯人捕まえんでいいのか?」
「犯人はまだ事件を起こしてねぇから捕まえるのは不可能だ。だから外堀から埋めてる……そもそも、どんな奴かもあまり分かってねぇ」
「どういうことだよ?」
「……俺もよくわからん」
山城がそういうと老人は「ひっひっひっひっ」と四回笑った。
「変な笑い方すんなよ」
山城は「こんな笑い方するヤツだったか?」と首を傾げる。歳も歳だし、何か体に悪いところでもあるのか?
「随分とトチ狂った捜査しとるのう、山さんも。なんだ、占い師に犯人のいる方角でも聞いたのか?」
「まぁ、当たらずとも遠からずだ」
そういうと老人は「ふっ」と笑った。今度は昔みたいに普通の笑い方だった。「さっきの不気味な笑い方はなんだったんだ?」と山城は顔には出さなかったが首を傾げた。
「トカレフなら暴力団経由から流れるのが王道だわなぁ」
「何でトカレフだって決めつける?」
「長年の勘じゃ」
「トチ狂ってるのはお互い様じゃねぇかよ」
今度は笑わなかった。
そもそも山城の知っている爺さんは、ぶっきらぼうでそう簡単に笑う性格では無いはずだ。
「誰か、買いに来てないのか? 他の奴らからの噂とかでもいいが」
「さっきも言ったが、本当この箱のせいで変な奴らが増えてなぁ。こっちも把握しきれんのだわ」
老人はそう言って、憎らしそうに薄いノートパソコンを叩いた。
「それに改造トカレフとなると……」
「改造?」
「考えてもみろ。五十人も殺すなら銃声を聞こえなくするしかないだろ。発砲を気付かれないように」
山城はそう言われ「確かに」とハッとした。今まで拳銃のことばかりに気を取られていたが、銃声を聞かれれば、どんな人間だって逃げる。三十人近くを殺すのは難しいだろう。
「普通のトカレフにサプレッサーはつけられん。となれば、改造するしか無い。そんな事していれば、どっかの網に引っかかって、こっちにも情報が来るはずだ」
「今の所、そう言った形跡はないって事か?」
「そもそも本当に起きるのか? 五十人近くを皆殺しなんて、前代未聞やわ。人間のする所業じゃないぞ」
そもそも情報の出所は駄菓子屋の婆さん。それを未来の自分からのメッセージと間に受けてここまで来ている。冷静に考えれば、相当イカれている。
「情報の出所はいえねぇが……もしかしたら、悪魔の仕業かもな」
「山さん。悪魔はそんな事、せんよ」
爺さんは突然、真面目な顔で山城に言った。
それはまるで遺言のように山城には感じた。
「悪魔ってのは自分で手を汚さないんだ。誰かにやらすのさ。それこそ人間の心の隙間に入り込んで、たぶらかす」
「爺さんが自分でやってることじゃねぇかよ、それ」
山城がそういうと爺さんはフッと笑った。
「メフィストフェレスって聞いた事ないか?」
「メフィストフェレス?」
「知らないなら、後で調べておきな」
爺さんはまるで大事な事のように、山城にそう言った。「メフィストフェレスとこの事件、何か関係があるのか?」と山城は首を傾げた。
「まぁ、何か情報が入ったら、お前さんに知らせるよ」
「頼むぜ」
話がひと段落し、爺さんが大きく伸びをした。体のあちこちがガタが来ているのを知らせるようにポキポキとなった。
「さて、そろそろ本業に戻るか。今夜送る商品の荷造りをせんと。ちょいと、手伝ってくれんか?」
「タダ働きかよ」
「わしはそんなコキ使ったりせんよ。棚から商品を取るだけだ。今日は三件分あるから纏めんと」
そう言って、パソコンを見る老人。どうやら、通販でプラモを全国に配送しているようだ。
ちゃんと本業もやっていたのかと山城は驚いた。
「注文の数が、最初の客が五つ、次は四つ、で、三人目が……0個」
「なんだよ、0個って? なんで0個注文してくるんだよ」
「ああ、この人は昨日キャンセルになったんだわ。忘れとった」
老人はそう言って普通に笑った。
山城はため息を吐きながら、言われた商品を大量にあるプラモの箱の山から探して、レジへ持って行った。
ちょうど、全ての商品を持って行ったところで山城のスマホが震えた。表示に『ゴンスケ』と出ていた。
もう何かわかったのか?
山城は一旦、スマホをポケットにしまい、店を後にすることにした。
「じゃあ、何か情報が入ったら教えてくれ」
「頑張れよ、捜査」
「犯罪者が何言ってんだよ」
山城はフッと笑い、店を出て行った。
山城が店を去ると、爺さんが大きなため息を一つついた。
「仕事がはえぇな。アンタのこと、もう嗅ぎつけて来たみたいだな」
山城が表から離れたのを見計らって、老人は店の奥に話しかけた。
奥からボサボサの髪と無精髭の男が顔を出し、老人の頭に銃口を向けた。先ほど、老人から買ったばかりのサプレッサーが先端についた特注品のトカレフ。
あと少し遅く、コイツが裏口から店を出て行った後に山城が来ていれば……と老人は奥歯を噛み締める。山城が捜査をしているのを見てしまった以上、コイツが老人を生かしておく事はない。
サプレッサーがついたトカレフから空気が抜けるような音が一つした。
老人の体が操る糸が切れた人形のように床にドスっと倒れた。
男は床に広がっていく赤い血溜まりを見ながら考えた。
さっきもそうだった。
『駄菓子屋で指定された時間に谷口愛美の家へ向かったら、チェーンが掛かっておらず、留守だった』
未来から届いたメッセージが警戒していた以上に、この時間で邪魔な存在になっている。
確か名前は『やましろたけぞう」と「じょうじなぎさ」だった。さっきのは男、と言うことは警官の方か。
男は少し考え、奥の家にあった黒電話を拝借し、受話器を手に取った。一方的にやられていては計画に支障をきたす恐れがある。
多少でもこちらから反撃して、あっちを邪魔してやらねば。
八月一日まで、目立つ行為は控えたいが……最悪の場合も想定しておかねばならないだろう。
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