第27話 七月二十七日 その6
山城はプラモ屋を出て、近くの日陰まで歩いてからゴンスケの電話に出た。
「もしもし、ゴンスケどうした?」
「クマさん。類野紀文の情報、とりあえず分かった分だけ、そちらに送りますね」
コイツ、性格以外はホント優秀だなと山城は心の中で舌を巻いた。ただ、力は認めるが、決して褒めたくはない人間だ。
「つい最近まで自衛隊にいたようですねぇ、この人」
「今は辞めてるのか?」
「みたいです。それと恋人らしき人と写ってる写真を何枚か見つけました。その恋人さん、クマさんが言ってた例のネックレスも付けてます」
「はえぇな」
褒めないと心に誓ったはずが、予想を遥かに超えるゴンスケの仕事ぶりに思わず口から漏れてしまった。
「まぁ、僕と言うか、SNSに誰も興味ない写真をアップするのがブームですからね。彼らの無駄な努力を誉めてあげてください」
ゴンスケは電話の向こうで嫌味に笑った。「自分はそれを餌にして、おまんまを食ってる」ってワケか。
「やっぱ最低だな、お前」
「どういたしまして」
最高の軽蔑の言葉をゴンスケは嬉しそうにお礼で返して来た。
だが、ネックレスの片割れの持ち主がもう見つかったのは大きな前進だ。決してゴンスケを褒めないが。
電話が切れると、山城のスマホに数枚の写真が送られて来た。
「あっ」
山城はその一つの写真に目が釘付けになった。
写真はどこかの川原でバーベキューをしているもの。その中に類野だと一目で分かる人物がいた。
首からかけられていたネックレス、それが焼死体がつけていたものと同じだった。そして、その隣には類野と全く同じネックレスをつけた女性が笑っていた。
「恋人、か?」
このネックレスを二人がつけていると言う事は、あの焼死体のネックレスはどちらかのもの……下手したら焼死体はこの恋人。それにしては身長が低すぎる。
それよりも山城が目を奪われたのは、写真に写っていた類野の幸せそうな笑顔だった。
こんな綺麗な笑みを浮かべている男が、どうして数日後に大量の人を殺すような行動を取るのか? 類野が大量殺人に至るまでの経緯や動機が全く想像できず、山城の頭には疑念が渦巻いた。
山城が過去に見て来た犯罪者とは似ても似つかぬ朗らかで明るい表情をしている。
この写真の中の日から今日までに類野紀文の身に何があったんだ?
山城はもう一度、ゴンスケに電話をした。
「クマさん。写真、どうですか? お気に召しましたか?」
「それよりも次の仕事だ」
「少しは褒めてくれませんかね? 僕の仕事ぶりを」
「お前はエアコンの効いた場所でパソコンいじってんだろ。こっちは炎天下の中、汗だくで聴き込みやってんだよ」
「僕だって苦労したんですよ。他人のアカウントを乗っ取ったりとか」
「犯罪者を褒める刑事がどこにいるんだよ」
「褒めて伸ばすって方法もありますよ」
減らず口がポンポンと出て来やがる。どこに犯罪者を育てる警官がいるんだよ。
「この類野紀文らしき男の隣にいる女性は誰だかわかるか?」
「言われると思って、今、やってますよ。ちょっと待っててください」
「頼んだぞ」
「褒めてくれたら倍速でやりますよ」
「この事件が終わったら、お前に最高に凄腕の刑事を紹介してやるよ」
「うわぁ、最高の褒め言葉ですよ。僕はクマさんの手には負えないって事ですよね」
「早くやれ」
「んだんだんだ」
そう返事して、「ヒッヒヒッヒ!」と嫌味な笑い声を断末魔のように残し、ゴンスケからの電話は切れた。
「なんなんだ、こいつ」
「今日は変な笑い方する奴が多いな」と山城は思った。さっきの爺さんと良い……と、山城はふと、さっきの老人とのやりとりを思い出した。
「ひひひひひ」
「ひひひひ」
そして次からは普通に笑った。
──注文の数が、最初の客が五つ、次は四つ、で、三人目が……0件──
5、4、0
老人のおかしな言動は両方とも、この数字になっている事に山城は気付いた。
「偶然か?」
山城は5、4、0と何回か暗唱しながら、自分の手のひらをじっと見つめた。そして、ハッと気づき、ゆっくりと手のひらでその数字を作ってみた。
指を広げて5、親指を折りたたんで4、そしてグーにして0。
その動作を繰り返しながら、心臓がドキドキと高鳴った。
「S、O、S」
それは、緊急時に犯人に悟られずに助けを求めるときに欧米などで使われているSOSサインだ。
こじつけと言えば、その範疇を出ない根拠の薄い考えだが……少し爺さんの様子がおかしかったのは確かだ。
その時、手に持っていたスマホが揺れ、山城はビクッとなった。
表示には
──模型屋──
爺さんのスマホからであった。
「なんだ?」と山城が電話に出ようと思った瞬間に電話は切れた。ひと昔前のワンギリと言うやつだ。
「なんだ?」
山城は改めて、爺さんに電話をかけた。
しかし、コール音が続くだけで出ない。
と、言うか模型屋は目の前だ。
爺さんの位置から山城は見えているはずだ。用事があるなら、声で呼べば良い。
嫌な予感が背後から迫って来る。
山城は日陰から出て、十メートル先にある模型店に戻った。
店の前に立った山城は、ガラスの引き戸の向こうに爺さんが倒れているのを見つけた。さっきまで元気だった爺さんの記憶がまだ頭に残っている為、その光景が一瞬、信じられなかった。
「爺さん!」と叫びながら、山城は引き戸を勢いよく開けて中に飛び込んだ。
中に入り、エアコンの風が全身に行き渡るよりも先に、爺さんの頭と帳場から流れて来ている赤い血溜まりが確認できた。
近寄らなくても、爺さんが助からないのは分かった。
山城は床に倒れた爺さんの仏さんに手を合わせ、少し遺体の周辺を調べた。警察が来るまで証拠物には触れられないが、辺りを観察するくらいならできる。
首と頭蓋骨の境目を銃弾で一発、完璧に撃ち抜かれている。素人ではない。
店の近くにいた山城に聞こえなかったと言うことは、サプレッサー付きの拳銃……爺さんが言っていた改造のトカレフ。
「類野か」
さっきまで、類野がここにいた。そう山城に物語っている光景だった。それ以外に爺さんが死んだという事を受け入れるロジックが存在しない。
自分が類野を追っていることがバレて、爺さんを始末した。それ以外、爺さんを殺す動機は見当たらない。
他の動機なら、山城が来る前に殺されていたはずだ。
──ワシはそんなこき使ったりせんよ──
「報酬は先にもう払った」って意味だったのかと山城はあの時の言葉を理解した。
「爺さん。すまない」
刑事が犯罪者のために涙を流すなんて、許されることではない。しかし、分かっていながら、山城は込み上げてくるものを我慢できなくなった。
しかし、そんな刑事の屈辱を寸前のところで止めてくれたのは、遠くから近づいて来る同業者のパトカーのサイレンだった。
山城は咄嗟に我に返った。
この状況、どう考えても山城が容疑者となる可能性が高い。
それに山城は焼死体事件の捜査を抜けてここにいる。現場に立ち会えばそれもバレ、最悪、殺人犯にされる恐れもある。
「類野の野郎……」
逃げるか?
咄嗟に山城の脳裏を悪魔の囁きが過ったが、さっきのスマホへの着信に気付いた。
今、爺さんのスマホの最後の履歴は山城になっている。時間は死亡推定時刻と一致する。逃げれば余計に怪しまれる。
「どうする!」
焦れば焦るほど、パトカーのサイレンの音が大きくなる。
山城は藁にもすがる思いで電話をかけた。
「いやいやいや、お客さん! 流石にこのスピードでは無理っすよ!」
電話の向こうの権助は、相変わらずの無神経な態度で電話に出た。
「チゲぇよ。類野にやられた!」
「は? められた?」
山城は今の状況を急いでゴンスケに説明した。
しかし、この危機的状況にも関わらず、電話の向こうから聞こえてきたのは、心配する声ではなく、「ギャハハハハ!」と大爆笑する笑い声だった。
「いやー! 本当、刑事さんサイコー! 俺のこと捕まえるとか言っといて、数分後に自分が先に捕まりそうとか! フリとオチがパーフェクトゥ!」
「喜んでんじゃねぇよ、バカかテメェは! 嵌められたんだよ、こっちは!」
「だから最高なんじゃ無いですか! もう、天才コメディアン誕生ですよ!」
「捕まったら、お前のこともバラすからな」
「ギクッ!」
コイツ、完全に楽しんでやがる。俺の周りはイカれてるヤツしかいねぇのかよ。相澤が一番まともって、最近の俺の交友関係どうなってんだよ。
爺さんのスマホを持ち去るか?
焦った山城の脳裏で再び悪魔が囁いた。
「お前、ハッキングして、着信の履歴を消去したりできねぇか?」
「無茶言わんでください。大会社のサーバーなんて、そんなの無理に決まってるでしょ!」
「じゃあ、スマホを持ち去って、壊すか?」
「いや、電話会社に調べれば一発っす。刑事さん、落ち着いて。これ以上面白いと、俺の右手が疼いてネタにしてネットに書いちゃいますよ!」
「本当、イカれてんのか、テメェは!」
「そうでーす! 僕ちん、ばかでーす」
電話の向こうで「ぎゃははは」と笑い声がする。
なんでこの状況でコイツに電話しちまったんだ、俺は!
もはや、ゴンスケへの怒りを通り越して、清々しいまでに己の馬鹿さ加減に腹が立った。
「一番良い方法を教えましょう」
「なんだ?」
「逃げずに誠心誠意を込めて、正直に警察に余すことなく、洗いざらい、僕以外の事を全部話すんです。メイビー多分、それしかありません」
「お前に誠心誠意とか言われたくねぇんだよ」
山城はイカれた男に諭されたことで、フッと熱が抜け少し冷静になった。
言い方は不真面目だが、ゴンスケの言ってる事が正しい。
「わかった。今回は犯罪の専門家の意見を聞いてやる」
「いや、僕、まだ捕まった事ないですから」
別に武器がないわけじゃない。ただ、博打になる可能性は高い。後はこれから出会う人々の優しさだけが頼りだ。山城は自嘲気味に心で呟いた。
まさかハチではなく、自分の方が足を引っ張る事になるとか思っていなかった。
パトカーのサイレンは案の定、模型屋の方へ近づいて来ている。
「とりあえず、警察手帳を見せて、事情を説明すれば大丈夫だろう」と山城はたかを括り手帳を用意しておく為に背広の懐を弄ったが、
「あっ……」
いつも手帳がある場所に今日は独特の寂さがあった。その時、警察手帳を現在、凪沙に貸出中であった事を思い出し、全身の血の気が引いた。
「しまった」
背中から汗が吹き出した。
絶対に警察手帳が紛失した事が課長まで伝わる。懲戒処分。もう、山城の出世は金輪際ない。いつか相澤が自分の上司になる日が来るかもしれない。
「最悪だ」
今日は山城の人生でもワースト3に入る最悪の日であった。
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