第33話  七月二十七日 その14

 キッチンに入って来た類野の右手には昼間に模型店で手に入れたと思われる拳銃が握られていた。


「何で、ここにコイツがいるの?」


 凪沙は突然現れた類野の姿に目を見開き、その場で固まってしまった。


「何してるの! 早く逃げなさい!」


 愛美さんが震える声を振り絞って凪沙に言う。しかし、玄関への道は類野が塞ぎ、ベランダから逃げようにも、ここはあいにく三階である。仮に逃げたくても、凪沙に逃げる場所など存在しない。 


「愛美さん、山城さんに連絡してください!」


 凪沙はそう言いながら、家を出る時からポケットに忍ばせておいた防犯ブザーを取り出した。

 それを察知した類野は、凪沙に向けていた拳銃の引き金を引いた。サプレッサーの空気が抜けるような音が一回、プシュッと鳴った。

 しかし、その弾は凪沙には当たらず、後ろの食器棚の壁にめり込んだ。


「残念でしたっすね、類野さん」


 銃弾を咄嗟に上手く避けた凪沙はすぐさま防犯ブザーを鳴らした。夜遅くの団地中に響く大きな警報音に、類野は一目散に玄関の方へ逃げ出て行った。


「待てっす!」


 凪沙も裸足のまま玄関の外に飛び出したが、階段の踊り場から、すでに類野が表の道を走って逃げていくのが見えた。類野が暗闇に消えるのを確認し、凪沙は小さい声で「よし」と呟き、家の中へ戻った。


 凪沙が居間に戻ると、愛美はまだ俯いた状態で床に座ったままだった。


「愛美さん。大丈夫ですか?」

 

 愛美の手にはスマホが握られていた。しかし、声が震えて電話がかけられないのか、御守りのように大事そうに心臓の位置で抱きしめているだけだった。


「愛美さん。山城さんに連絡は?」


 凪沙が尋ねると、愛美は首を横に振った。


「じゃあ、アッシが連絡します」


 凪沙は自分のスマホを取り出し、山城に連絡を入れようとした。すると、愛美の右手がスマホを持つ凪沙の左腕へと伸びてきた。

 腕を掴んだ愛美の予想以上の力に、凪沙は「いたっ」と顔を顰めた。


「主人には言わないで」

「え?」


 凪沙は震えながら発した愛美の言葉と握力で、持っていたスマホを床に落とした。


「いい。このことは主人に言っちゃダメよ」

「な、何を言ってんすか! 類野は明らかに命を狙いに来てまし……」

「言われた通りになさい!」


 愛美の喉を振り絞ったような大声に凪沙は驚き、言葉を失い、反論できなくなった。


「この事は私とアナタだけの秘密。警察にも言わないで」

「どうしてですか。私達、殺されかけたんすよ? それにアイツが捕まれば、山城さんの事件解決に近づきます」

「それでもダメ!」


 何を言っているのか、凪沙には理解できなかった。見知らぬ男が急に命を狙いに来たのに、なんで誰にも連絡せずに……むしろ、連絡をすれば山城の手掛かりになるにも関わらず。


「あっ」


 凪沙はその時、玄関のインターホンが鳴った段階で、愛美が震えていた事を思い出した。


「愛美さん。もしかして、アイツのこと知ってたんすか? 狙われる心当たりがあるんですか? もしかして、さっき言ってた山城さんを唆すって言うやつって……」


 凪沙がそう言うと、愛美は昼間の優しい表情が嘘のような怖い目で、ギロっと凪沙を睨みつけた。


「この事はそれ以上、話さないで」

「でも、愛美さん、下手したら本当に死にま……」


 そう反論した途端、愛美の凪沙の手を握る強さが更に強くなり、凪沙の腕の関節を手際良く後ろに回して来た。関節を完璧に決められた痛さで凪沙は顔を顰めて声が出なくなった。


「これ以上言ったら家を追い出すわよ」


 凪沙はタップするように、首を大きく縦に何度も振り、愛美の力は弱まった。

 だが、関節技まで決めてくると言う事は「類野を知っている」と言っているに等しかった。


「もし、主人にこの事が伝わったら、アナタが主人に内緒で昼間この家に来た事もバラすから」

「え?」

「わかったの!」

「あ、はい」


 正直、それはなぜ山城に秘密なのかは凪沙本人も不明なのだが、愛美の迫力のある声と表情で思わず返事をしてしまった。


 なんなんだ?

 この人、何を必死に隠してるんだ?


「でも、危ない事には変わりませんよ。愛美さんが死んだら、それこそ山城さんの本望じゃありませんよ」


 類野は八月一日に清和デパートで事件を起こすまでに、まだ五日もある。その間、また命を狙いに来る可能性は高い。


 愛美も流石に凪沙の一言に考え込み始めた。


「アナタ、さっき『明日は予定がある』って言ってたわよね?」

「え?」

「どうなの? さっき、主人と話してたわよね」

「……一応」

「なら、こうしましょう。明日、私もアナタの予定に付き合うわ。二人で一緒に行動すれば、命を狙われる可能性は低くなるわ」

「えっ!」

「居候させてあげるんだから、それくらい良いでしょ? むしろ、手伝ってあげるのよ、仕事を」

「あ、はぁ」


 なんだろ、最初は柔和に見えてたけど……この人、むしろ凄い男勝りな性格をしてる気がする。

 下手したら、山城さんよりも強引な性格かも。


「ついでに私も用事があるから、アナタに少し手伝って欲しいのよ」

「手伝うって、何をですか?」

「黙ってついて来てくれればいいわ。もちろん、主人には内緒でね。いいわね」


 愛美が強引に明日の予定を書き換え終えたのと同時に、凪沙に関節技をかける為に床に落ちていた愛美のスマホが震え出した。


 愛美は咄嗟にスマホを拾い上げて、凪沙から離れた位置で電話に出た。「相澤くん?」と言う声の後、聞き取れない小声で玄関の方へ歩いて行った。


「相澤?」


 凪沙もその名前は聞き覚えがあった。確か、山城も刑事の仕事で同じ苗字を口にしていた。そう頻繁にいる苗字でもない。

 同一人物だろうか?


 凪沙は愛美から一旦解放され、安堵の息を漏らすと、部屋に違和感を感じた。


「何か、さっきと違うっす」


 部屋を見渡すと、さっき愛美がチラッと見ていた箪笥の引き出しが少し開いているのに気付いた。


「少し動いてる」


 凪沙の心臓がドキッとなった。

 愛美の声が玄関からするのを確認し、凪沙はソーっと箪笥に近付いて、引き出しを開けた。


「ない」


 愛美が見ていた引き出しの中は空になっていた。


「そんな、箪笥に行く暇なんて無かっ……」


 その時、凪沙はハッとした。

 そして、背筋に冷たい物が走った。


「私が類野を追いかけて、外に出た時に……」


 部屋に戻って来た時、確かに愛美は床で震えていた。しかし、そんな状態でも、その一瞬の隙をついて、この中に入っていたものを隠した。

 

「チラッとしか見ていなかったのに、バレてたの?」


 むしろ、あの状況で凪沙の視線を見抜き、これだけの大立ち回りをやってのけた愛美に凪沙は恐怖を覚えた。とんでもない精神力と洞察力、行動力をしている。

 あの時、愛美はスマホをお守りみたいに持っていたんじゃない。その服の下に引き出しの物を隠していたのだ。


 多分、あの中に入っていた物は、今は愛美の服の下にある筈。ただ、それを凪沙に咎める術がない。電話と一緒に部屋を出て行った瞬間に、決着はついていた。


「あの人、自分が思っている以上に相当厄介な人っすね」


 冷静に考えれば、山城と結婚し、山城と離婚後も警官の社宅に住んでいる……この可能性が抜けていたのは凪沙の凡ミスだったかもしれない。


 谷口愛美は恐らく、元警官。


「想定外の事、起きすぎだわ」


 凪沙にとっての一番の想定外は『愛美が山城に類野の事を伝えなかった事』だ。


「みんながみんな、何かを腹に持ってやがる」


 凪沙はイライラと悔しさで、少し強めに箪笥の引き出しを閉めた。

 その後、大きく深呼吸をして、自分を嗜めた。


「落ち着くっす。別に失敗したわけじゃないっす。ベターにならなかっただけっす」


 凪沙は小さく拳を握りしめて、自分の意思を誓った。


「先生。アッシ、頑張ります」


 その後、近隣の人たちは愛美に家に「さっきの大きな音は何?」と聞きに来たのを「防犯ブザーを間違って押してしまった」と二人で謝り、事なきを得た。


















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駄菓子屋と殺人鬼とラムネの泡 ポテろんぐ @gahatan

作家にギフトを贈る

応援ありがとうございます。 番外編SSなどご要望ありましたらお応えします。
カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

サポーター

新しいサポーター

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画