七月二十七日 事件五日前 前編

第19話 七月二十七日 その1 

 七月二十七日。

 山城はゼミ室のソファで無防備にイビキをかいて寝ていた凪沙の腹に警察手帳を置き、類野紀文の捜査を始める事にした。


 しかし、捜査を始めて暫くすると、山城には悩みが一つできていた。


「アイツ、尾行、下手過ぎるな」


 警察署でお互い何食わぬ顔で別れた直後から、山城少し後ろをそそくさと尾行してくる相澤に頭を痛めていた。

 山城が一度も後ろを振り返らないのを良い事に(実際は反射物などで定期的に観察している)、本人は気付かれずに尾行できていると思っているようだが……山城からしたらバレバレだ。

 そもそも、いつもの背広を着ている時点で落第点である。人間というのは見慣れた人間は、大勢の人ゴミに紛れていても見分けられるのだ。


 山城からしたら、別に疾しい事をしている訳ではない上に、『類野』の名前は昨日の内に伝えてある。

 別に相澤が尾行していても構わないのだが……相沢の尾行を気付いていないフリをしながらタスクをこなすと言う余計な気を使っていると、「なんでアイツに気を使わないといけないんだ」と言う怒りが湧いて来てしまう。


「撒くか?」


 だからと言って、無理に撒いてしまうと後々で相澤が変な勘ぐりを入れてくるやもしれん。しかもかなり的外れなヤツを。


「面倒くせぇな、あいつ!」


 とりあえず、「後ろの馬鹿をどうするか?」を考えるべく、山城はノマドワーカーの根城となっているカフェに入る事にした。

 外の様子が見える窓際の席に座ると、ガラス越しに相澤が反対車線のコンビニに移動していくのが見えた。

 いつでもこちらに移動できる歩道橋がある為、より街中に紛れる反対車線で見張るのは良い判断だ。ただ、それは山城とかの相棒がいる場合の話である。もし山城がトイレや店の裏から逃げた時はどうするのか? 


「なんでアイツの尾行を採点しないといけねぇんだよ」


 山城はスマホを見るフリをしながら、出来の悪い相棒に頭を抱えた。


「アナタ、もしかして犯罪者ですか?」


 大きなため息を吐いた途端、隣でパソコンに向かって作業をしていた男がタイプを止め、山城に話しかけて来た。


 声に反応し、チラッと横を見た途端、山城はギョッとした。


 男は猫背な体をさらに倒して、テーブルの上で大人しくしているアイスコーヒーに体を近付けた。手を使わず、平伏するようにコーヒーを自分の口に迎えに行く程度の身分だけあって、とても堅気には見えない外見をしている。

 サイズの合っていないブカブカのパーカー、全く手入れされていないボサボサの長い髪、寝ていないのかギラギラの目の下に物凄いクマが見える。顔の張りと肌の老け方のギャップで何歳だか分からない。特殊メイクだと言われても納得してしまう顔色の悪さだ。


(なんだ、コイツ……)


 外見だけで明らかにヤバいと分かるイージー問題をしている。いきなり刃物を振り回したり、何をしてくるか分からない相手にしてはダメなタイプだ。


 山城は返事も何もせず、無言で席を移動しようとした。


「向かいのコンビニの背広の人、あれ、刑事さんですよね?」


 立ち上がろうとした山城の体は、その呪文でピタッと停止した。そして、魔法の力に引っ張られるように、もう一度椅子の上にお尻が着地した。


 山城が振り返ると、パーカーのフードを被った男は毒リンゴを配る魔女みたいな不気味な笑みを浮かべていた。


「当たりましたかぁ?」

「何なんだ、お前?」

「ただのノマドワーカーですよぉ」


 そう言って男は「うふふふ」とピエロのように笑い出した。


 ただのノマドワーカーが山城と六車線ある道路の反対側のコンビニで立ち読みしている客を一括りにできる筈がない。

 考えられるのは探偵、警察、自衛隊、一部の官僚……だが外見的にそうは見えない。どの試験も面接で確実にアウトだ。

 だとしたら、ヤクザ、暴力団、闇組織だが、そっちの気のある人間がわざわざ警察絡みかも知れない男に無駄なコンタクトを取るのもおかしい。


「まぁ、とりあえず正面を見て座って下さいよ。怪しまれますよ」


 山城は不覚にも男に促され、椅子に座り直した。


「俺に何か要か?」


 そういうと男は「うーん」と考え込んだ。


「要かどうかは、これから決める事ですね。ただ、なーんか面白そうな空気がしたんで、話しかけたんですよ」


 そう言いながら、ノートパソコンのキーボードを叩き続ける男。

 ちらっと見ると、画面は全く動いておらず、デスクトップ画面のままだ。このタイピングは向かいの相澤への演技。


「こっち見ないで、スマホぐらい見て下さいよ」


 山城は男に促され、自分のスマホに目を落とした。


「お前、どっかの記者か?」

「ああ、おしい!」


 尾行に気づいてパソコンを使う職業なら、記者がおしい……だとすると……


「もしかして、オジさんも刑事なんですか?」


 山城は無意識にピクッと反応してしまった。


「図星ですか」

「なんで分かったんだよ?」

「こっち見ないでくださいよ」


 山城は先に正体を知られて、なぜか負けた気がした。別に争っているわけでもないのに。

 ただ、良いか悪いかは別として、隣の男、普通じゃないのは確かだ。


「ピンポイントに真実を知ろうとする思考回路が刑事っぽいなって思ったんです。その為に僕のこと観察したりして」


 男はそう言って、またアイスコーヒーを飲む為に体を折り曲げた。


「普通の人って、答えを言いながら、どんどん選択肢を狭めて真実に辿り着こうとするでしょ?」


 山城はそう言われ、自分の無意識に染み付いていた思考回路にハッとさせられた。

 山城は考えを正す事になった。普通じゃないなんてものではない、悔しいがコイツ、只者じゃない。


「記者じゃないなら、何なんだよ、お前は?」

「まぁ、ジャーナリストってところですかね」

「記者じゃねぇかよ」

「のんのんのん」


 と、言いながら男は指を一回パチン! と鳴らした。

 その音と共に突然、山城スマホの画面が勝手に切り替わり、SNSのアプリが起動し始めた。


「SNSとかで、そう言うジャーナリズム系のアカウントを何個か管理してるんですよ、僕。フォローよろしくぅ」


 山城のスマホの画面に出てきたのは、いつも相澤が「情報収集です」と言って見ているゴシップ記事ばかり上げているアカウントだった。


「どこがジャーナリズムなんだよ。ゴシップの嘘だらけじゃねぇかよ」


 そう言うと男はフッと勝ち誇ったように笑った。


「刑事さん、知らないんですか? 今の時代は『真実を暴く』んじゃなくて『面白い嘘をみんなで真実にしていく』のが真のジャーナリズムなんです」

「聞いたことねぇよ」

「まぁ、アカウントのフォロワーが三人しかいない刑事さんには分かりませんか」

「ハッキングは犯罪だぞ」

「刑事の癖に、こんなお店のWi-Fiを使わないでくださいよ」


 そう言って男は、また魔女のように小さく笑い出した。


「僕を捕まえる前に刑事さんの事を犯罪者だって、このアカウントに書いても良いんですよ? 『なんか警察に尾行されてる男が隣の席にいるんだが……』みたいな書き出しで。その人相なら絶対にバズりますよ」

「何なんだよ、要件は!」


 山城が怒り気味に言うと、男は向かいの相澤をチラッと見た。気づいたら相澤は立ち読みをしていた。


「なんで、刑事同士で尾行してるんですか?」

「暇なんだろ」

「どっちがですか?」

「お互いだよ」

「刑事が二人も暇してるほど、平和だとは思いませんけどねぇ」

「聞いてどうすんだよ?」

「つまんない内容だったら、『刑事が職務中に鬼ごっこをしてる』って書いちゃいます」

「面白かったら?」

「その時は一枚噛ませて貰いますよ」


 男はそう言って、ニヤッと笑った。なんだかんだで銃口を山城に突きつけて来ているようだ。


 どうするか、山城は迷った。ゴシップのアホ記事ばかりだが、バカが広めたら面倒臭くなる。下手したら明日から単独で動くのが困難どころか、最悪謹慎で類野どころではなくなるかも知れない。

 だからって、こんな奴に自分の情報をどこまで話せるのか? そもそも山城自身がどんな事件なのか、全容をまだ把握できておらず、手探りで動いているのに。


 山城は無意識に貧乏ゆすりが大きくなっていく。

 こう言う時に相談できる奴……向かいで立ち読みしている馬鹿は今回使えない。


 クマ。


 昨日会ったばかりだが、年齢的にも俺よりSNSには詳しそうだ。コイツのことを俺より知っているかもしれない。


「ちょっと作戦会議に行ってくる」

「逃げないでくださいよ」


 山城は店のトイレの個室に一人で入った。


 一番の問題は「起きてるのか、アイツ?」と言う事であった。


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