第20話 七月二十七日 その2

 相澤は俺がトイレに入ったのに気付いているのだろうか……別に今考える事ではないが、もし気づいていなかったら「何してんだよ」と何だか腹が立つ。

「なんでこんな事考えないといけねぇんだ!」と考えなくても良い事に無駄に気を揉んでいる自分にさらに腹が立つ。


 カフェのトイレの個室から、凪沙のスマホへメッセージを送ったが応答がない。電話を鳴らしても出やしない。


「で、アイツはアイツでまだ寝てんのかよ!」


 トイレから出たら出たで、自分のSNSのネタの為に警察を強請ってくる頭のおかしい男が待ち受けている。山城は「なんなんだ、こいつらは!」と理解が追いつかない最近の若者にイライラが膨らんだ。


 凪沙は、予定では今頃、八月一日に清和デパートに向かう人たちの足止めの説得に行っている筈だが……山城が警察手帳を渡しに行った時は「大火事が起きても起きないのでは?」と言うくらいご立派な欠伸をかきながら、目のやり場に困るくらい大胆な体勢で無防備に寝ていた。


「もしかしたら、まだあのままなのか、アイツ?」


 理系って男の巣窟だろ? 

 大丈夫なのか、あいつ。


 頭は回るが所詮は捜査には素人の若い女である。少し昨日は期待しすぎたかと、山城は後悔し出した。


「なんで出ねぇんだよ!」


 山城は舌打ち混じりに出る気配の無いスマホを切った。

 トイレの外から「そんな便秘なの?」と若者がくすくす笑う声が聞こえてきた。


 結局は一人会議である。


 山城はこんな若者しかいなくて日本の未来に不安を抱えながら、頭の中を整理した。

 今日は七月二十七日。事件が起きるのは八月一日。まだ起きていない。

 なので、今、事件の事がバレたとしてもアイツやアイツのSNSを見た馬鹿は何もできない。なぜなら、事前に公表してしまえば類野も警戒し、その事件が起きない可能性の方が高くなるからだ。今の段階でアイツが抜け駆けしても、アイツのプラスは何もない。

 だが、もしアイツが日の丸を背負うレベルのヤバい馬鹿で、世間に事件のことを公表してしまったら……その時は類野を捕まえる事はできない上、次に類野がどんな行動に出てくるのか予想もできないと言うリスクもあるが……まぁ、それは考えなくてもいい。


 今の所、山城自身が追っているのは、あくまでも焼死体事件。八月一日のデパート襲撃事件はそれに付随しているものという位置付けだ。

 デパートの事件を追えば、焼死体事件の解決にも繋がるという線である。デパートの事件を考えるのはあくまでも後回しだ。


 さっきの様子を見る限り、怪しい人間だが、ネットには詳しいのは確実。一応、ゴシップ系のSNSをしているのだから情報収集という面では使えそうではある。

 問題は山城と目的という面であまりにもかけ離れているという事。そして、もう一つが、これから言う荒唐無稽な話をアイツが信じるかどうかだ。


 ただ、それでも山城からしたら、渡りに船である事は間違いなかった。

 今の所、戦力が電話に出ないでお馴染みの凪沙しかいないのだ。人手が全く足りてない。猫の手でも借りたい状況である。


「よしっ!」


 山城は気合いを入れ、便器から立ち上がり、一応流した。


 席に戻ると山城は何事も無かったかのようにスマホを見始めた。


「向かいの刑事さん。アナタがいなくなってずっとソワソワしてましたよ」

「なんで漫画を読み続けてるんだよ」

「よっぽど面白いんじゃないですか?」


 そう言って、男はくすくすと笑い出した。


「お前、何ができる?」

「まぁ、ネットを使った事でしたら、そこそこは」

「人探しはできるか?」

「お名前を拝借しましょうか」


 そう言って、男は来ていたパーカーの長い袖を捲った。


「……相澤維(あいざわ たもつ)」


 すると、男は目にも止まらぬ速度でキーボードをタイプし始めた。そして、プッと吹き出した。


「なんだ、向かいの刑事さんじゃないですか」


 そのスピードに山城は驚愕して、思わず男の方を見てしまった。男はどうも山城が想像していた以上のやり手であるようだ。


「いや、本名でSNSやってたら、僕じゃなくても一発で検索できますから」

「あっ」


 山城のドジに男はプッと笑いながら、机に蹲った。


「ちょっとぉ、オジさぁん。テストで笑わせないでくれますか?」


 次の瞬間、男の声色が一瞬で鬼に変化した。


「本命の名前を言ってもらえますか?」


 その鋭い声に、山城ですら一瞬、動揺を抑えられなかった。


「……類野紀文」


 男の声に脅されるように類野の名前出すと、男は再び目にも止まらぬ速度でタイプし始めた。


「何したんすか、この人?」

「それをこれから調べるんだよ」

「はぁ?」

「これから犯罪を犯すかもしれねぇんだよ、ソイツが。だから、それを事前に止める」


 そう言うと、男はクスクスと笑い出した。


「思ってた通りだ。もう店に入って来た瞬間から刑事さん、面白そうな匂いがプンプンしてましたから」

「言っとくが、ここまで聞いたら、もう後には引かせねぇぞ」

「逃げたらどうなるんですか?」

「腕の太さなら、お前の倍はあるぞ、俺は。あとリアルな知り合いの多さもな」

「原始的ですねぇ。さすが本名のアカウントを調べさせるだけはあります」

「ウルセェ」

「てか、ここまで足を踏み込んだら、こっちから刑事さんの腕にしがみ付きますよ。悪い様にはしないんで情報を下さい」


 山城は、昨日の駄菓子屋と譲司凪沙の元であった事をその男に話した。


「……それで、刑事さんは信じたんですか、その話」

「ああ」

「その、聡明な美少女も」

「一応な(美少女?)」

「……ロマンチストには見えませんよね、刑事さん」

「信じるに足りる情報があった。俺もハチも」


 「ふーん」と言いながら男のタイプが止まった。


「類野紀文……元自衛隊の隊員ですね。年齢は多分、35くらいです、今は」


 男がエンターキーを押すと、山城スマホに男からのメッセージが届いた。


「このネックレス」


 男が送って来たSNSの画像……その類野がしていたネックレスは焼死体に付けられていたものと全く同じだった。


──焼死体のネックレスの持ち主は類野紀文──


 山城からすれば、あの駄菓子屋のメッセージをより確実にする画像だった。


「どうも、そのネックレスは恋人とペアで合わせると一つのハートになるっぽいですね。しかも、シリアルナンバーがわりにピッタリとハートになるのは世界で一つだけみたいです。ベタなLOVEですねぇ」


 男はクスクスと笑った。

 ここまで瞬時に調べられるとは、山城は「拾い物だった」と内心でガッツポーズをした。


「コイツが八月一日にでっかい花火を打ち上げるんすかぁ」


 男は「へぇ」と画面に映った類野の顔を物珍しそうにまじまじと見ていた。


「それを止めるんだよ」

「まぁ、止めるか止めないかは、僕はPV次第ってことで」

「楽しそうだな、お前」

「だって、これから僕が歴史的な大事件をプロデュースするんですよ? こんな面白い事、生まれて初めてですよ。本当に起こったら、とんでもないPVになりますよぉ」

「お前、絶対いつか俺が捕まえてやるからな」

「僕も捕まるなら刑事さんみたいな昔気質の頑固者が良いです」

「あんま、刑事って呼ぶな」

「じゃあ、なんて呼ぶんですか?」

「俺がクマ。で、さっき言った女子大生がハチだ」

「落語っすか。なら、僕は与太郎かゴンスケですか? ご隠居って歳でもないし、棟梁って柄でもない。紅羅坊名丸(べにらぼう なまる)はちょっと良いですけど」


 若いくせに意外と落語に詳しいな。


「ならゴンスケだ」

「んだ」


 言った途端にゴンスケのズーズー弁を真似し出した。


「とりあえず、類野紀文について、調べられるだけ調べてくれ」

「んだ」


 山城は席を立ち、店を後にしようとした時、立ち止まった。


「お前、さっき。そのネックレスはペアになってるって言ったな」

「オラ、言うたね」

「……そのペアの相手、探して貰えるか?」

「言われんでも、もうやっとるでよ」


 そう言うとゴンスケは集中モードに入った様に、夢中でパソコンをタイプし始めた。

 山城は「見張る意味」と「仲間という意味」を込めて、ゴンスケのアカウントを一応フォローした。数時間後に山城のフォロワーが四人に増えていた。


 一旦、店を後にする山城。それと同時に相澤が慌てて漫画を棚にしまうのが見えた。


「俺と待ち合わせしてんのか、アイツは」


 相澤の事を考えていると疲れる為、山城は撒くことに決めた。


 とりあえず類野の情報収集の目処は立ちそうだ。

 山城は次に八月一日に使用される銃の出所を調べる事にした。


 ただ、未だに凪沙から返信がないことが、少し気になった。


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