八月五日 事件四日後

第17話  八月五日 その4 

 駄菓子屋で作業を終えた山城と凪沙は、帰りのバスに揺られていた。今日をもって公務員を辞めたのだ。そう何度もタクシーを使っていられない懐具合である。


 駄菓子屋を出た辺りから、山城はその日一日汗をかいたシャツがヤケに気持ち悪く感じ始めていた。最初は小さな違和感だったが次第に大きくなり、バスに揺られ出してから襟元のタグまでもチクチクし始めた。


 何か見落としている。


 長年の経験で山城はそれが何を意味しているのかを理解していた。

 自分の無意識下では何かミスを犯した事に気付いている。それが顕在意識ではまだ気付いていない時に起こる生理現象だ。


 大学へと帰る道、ずっと山城は頭の中でこれまでの行動を何度も振り返った。さっきの駄菓子屋での一連のやり取り、何度考えても特に落ち度があるようには感じられない。


「ムサシさん、どうしたんすか? トイレすか?」

「ジョージ、俺たち何か見落としてないか?」

「はえ?」


 山城の言葉に凪沙も動きが止まり、これまでの事を脳内で瞬時に思い出した。七月二十九日から今日の八月五日までに起きた出来事を一瞬で脳内で再生する。


「何かある様には思えまへんが……」


 凪沙は全ての映像を瞬時に憶え、ずっと記憶していられる。こう言う時の凪沙の言葉は説得力がある。

 だが、それでも山城の胸のモヤモヤがとれる事はない。

 そもそも過去にメッセージを届けると言う行為自体が前例のない事だ。定石が無いのだから見落としがあっても不思議ではない。


 絶対に何かある。

 今回に関しては命のやり取りに関わる問題だ。早く見つけないと取り返しがつかなくなる。


「ジョージ」

「へい。飯なら大学の近くに美味い定食屋があります。値段も手頃ですので奢ってもそれほど懐にダメージを負わないかと」

「大学に戻ったら、もう一度、事件のあらましを最初から確認するぞ」


 凪沙は「ええええ」と顔を大袈裟に顰めた。


「私、今、頭の中でやりましたよぉ! 三回も」

「ご苦労。大学戻ったら、その便利な頭の中を全部、ホワイトボードに書き写せ」

「国家権力の濫用ですよぉ……あ、辞めたのか」


 凪沙の嫌味にも「奢って貰って当然」という気概にも気が回らないくらいに山城は焦っていた。


 大学の凪沙のゼミ室に戻り、休憩もそこそこに二人は確認作業に入った。

 ホワイトボードに不貞腐れた顔の凪沙がこれまでの事件のあらましを書いていく。それはまるで『腹が減ってるのにこんな事をさせられている』と言う怒りを書で表現したような汚い字であった。


「まず私たちが出会ったのは七月二十九日。場所は駄菓子屋。この時に類野紀文も私達と同じ駄菓子屋にいた」


 凪沙の説明はホワイトボードの汚い文字を声で忠実に表現したような棒読みであった。


「ちゃんとやれ。命に関わるんだぞ。これ終わったら何でも奢ってやるから」


 凪沙はそれを聞いて、ホワイトボードに書くペンで山城を指差し『そのセリフが欲しかった!』と元気を取り戻した。


「んで、それから時は数日流れ、事件発生の八月一日です。この日に某とムサシさんは事件発生直後に『ムサシさんズ奥さん』が運ばれた病院で再会します。OK?」


 山城も頷いた。ここまでは何も見落としていない。


「で、八月二日と三日。ムサシさんは奥さんの病院に、私はこの部屋でずっと論文をやっていました」

「病院はぁ!」

「いやぁ、猛省です。完全に忘れてました」


 山城は呆れてため息が出た。まさか、自分から誘っておいて部屋から出てすらいなかったとは思わなかった。


「用事をすっぽかしといて、お前の瞬間記憶ってのはアテになるのか?」

「ムサシさん、安心してください。忘れてたんじゃなくて、研究に夢中になりすぎて他の事がどうでも良かっただけですから!」

「謝れよ、一言くらい」

「もうしわけ」


 凪沙は平謝りだけして、続けた。


「で、問題の八月四日。昨日っす。一回目の過去改変の波が来て、私たち以外の人間の現実が書き換えられます。『第一回目の書き換え』としましょうで、病院で不審者になっていたムサシさんをアッシが救い出します」

「良いように言うなよ。助けられた覚えはねぇよ」

「その後、公園で色々あってムサシさんは奥さんの葬式へ……アッシは山に芝刈りに」


 その後の事はよく憶えている。

 

 葬式会場で田沼かえでと会い、相澤と三人で別室で話を聞いた。そしてネックレスの事を聞き、捜査が進展したかと思った。

 しかし翌日……つまり今日の八月五日、ネックレスの証拠能力がない事が判明し、山城は警察を辞め、今に至る。


「見落とすと言っても、言うほど情報が多いわけじゃないっすからね。何かあったら流石にわかると思うんですけど」

「じゃあ、なんなんだ。この違和感はぁ」


 山城は頭を掻き毟りながら、座っていた席から立ち上がった。物凄くイライラして落ち着かない。


「ムサシさんの思い過ごし率98パーセントっすかね」

「残りの2パーは何だ?」

「『友人価格でお安くしときました』ってヤツっす」


 山城は舌打ちが出た。

 そこまで言ってのけるという事は、凪沙は自分の記憶に相当な自信がある様子だ。病院に来るのは忘れるくせに。


「また何かしら過去改変が起きたって事じゃないよな? それで俺の記憶が変わっちまったとか……」

「違うんじゃないんですかね? アッシの頭には、ちゃんと本流と一回目の過去改変の記憶の二つしか残ってませんか……ら」


 突然、流暢に話していた凪沙の動きがまるで電池が切れたように止まった。


「ジョージ、どうした?」


 山城が呼びかけても、凪沙は瞬きすらせずに、マネキンのように硬直してしまった。


「なんだ、電池切れか? そんなオーバーリアクションしなくても、終わったらちゃんと奢ってやるから」

「……飯の話なんて、してる場合じゃねぇっすよ」

「お前が先に言い出した……」


 山城は凪沙の表情がさっきまでと違い、危機感で震えているのに気付いた。


「何か、わかったのか?」

「ムサシさんの言ってる違和感の正体……確かにヤバいかもしれないっす」


 そう言うと凪沙はホワイトボードにペンで殴り書きを始めた。


「『ここ』と『ここ』です!」


 そう言って、凪沙は『八月一日』と『八月四日』をまるで囲み、その丸を線で結んだ。


「その間は特に何もなかっただろ? 強いて言えばお前が病院に来なかった……」

「私らじゃなくて、類野の方ですよ!」


 凪沙は怒鳴るほどの大声で、山城に叫んだ。山城はその声にハッとした。まだ正確にはわからないが「類野」と言う言葉が心臓にスッと突き刺さった。


「いいですか。七月二十九日に私とムサシさん、そして類野の三人は出会ってますよね? そこで駄菓子屋のお婆ちゃんから初めて伝言を聞きました」


 凪沙はそう言って、七月二十九日を丸で囲った。


「ムサシさん、この時、類野に何かおかしな事はなかったですか?」

「おかしな事……」


 山城は一個だけ思い出したのは、凪沙とお婆ちゃんが伝言のやりとりをしている時の類野の殺気に満ちた顔だ。思い出すだけで、今でも寒気を覚えるほどのインパクトのある表情だ。


「確か、お前と婆さんを殺気立った目で睨んでたな」

「それって、私が『伝言』を受け取ったからじゃないっすか?」

「今となったら、そうかもしれねぇな」

「そうなれば当然、私とムサシさんは、類野にとっての危険人物じゃないですか?」

「それはそうだが……でも、相手も立場は俺らと同じ……」


 山城はその瞬間、凪沙が丸で囲った『八月一日』と『八月四日』の二日が目に入って来て、ハッとした。


「ちげぇ!」


 そして、自分が見落としていた事の正体に気付いた。それと同時に自分たちが置かれている状況は想像以上に深刻である事を理解した。


「そうです。類野の方が戻っている回数が多いんです、私達より」


 凪沙がホワイトボードをペンで叩きながら言った。


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