第4話 八月一日 事件当日 その3
山城が病院のロビーに入ると、軽傷の急患と右往左往している看護師や医師達、一部の迷惑なマスコミ連中と刑事などがごった煮状態であった。
山城は人をかき分けながら愛美の姿を探したが、ロビーには見当たらなかった。ここは比較的軽症な人の治療が行われており、重症なほど奥に連れいていかれるようだ。
電話では「それほどの怪我ではない」と言っていたが……ここにいないとなると、そこそこの怪我を負ったのだろうか?
山城は改めて辺りを見渡した。
たった一人で短時間にこれだけの人間を傷つけた……類野という人間の異常性……というより殺傷能力の高さに恐怖を抱いた。元自衛隊員というだけでは説明できない。
そういう考えが脳裏に浮かんだ瞬間、山城はハッと頭を振って、他のことを考えるようにした。ここにいる間は刑事としての自分を振り払わないといけない。
検査室がある方の廊下まで歩いて行くと、壁際に並んだ患者の列の中に車椅子に乗せられた愛美の姿があった。
「愛美」
山城の声に愛美は顔を上げた。
しかし、愛美の表情は、知っている人間を見た時のホッとした笑みではなく、「こんなところに呼び出してしまった」という申し訳なさが入った戸惑いの顔だった。
「来て、大丈夫なの?」
愛美は申し訳なさそうに車椅子で山城の方に近付いてきた。山城はその態度から目を逸らしたい気持ちになった。
「大丈夫かどうかはお前だろ……軽い怪我だって言ってたのに、歩けないのか?」
「違うのよ。看護師さんが大袈裟なの。ちょっと擦り傷しただけだから」
よく見ると愛美のロングスカートから白い包帯がチラチラと見えていた。
「ちゃんと検査はしたのか?」
「まだ。重症の人たちが優先だから」
「私は軽症だから大丈夫」と言いたげな口調で言う愛美。何気ない会話ですら、元夫に気を使う彼女の挙動が山城を申し訳ない気持ちにさせた。
別れて数年が経つが、未だに愛美は「刑事の嫁」と言う役割から降りる事が出来ていない。
刑事はいつ何時でも、事件が起きたら現場に直行する。夜中であろうが、早朝であろうが事件は時間を選んでくれない。むしろ、人気の少ないそう言った時間に起きる方が自然だ。
当人の山城はまだしも、刑事の家族までもが犯人達が無神経に起こす事件に振り回された生活を強いられる事となる。
そのせいで愛美の生活は不規則になり、ついに過労で倒れてしまった。
山城は入院中のベッドの上で彼女に「別れよう」と告げた。これ以上、彼女を振り回すのは、山城自身の良心も咎める事にある。
愛美は反論せず「そうですか」とだけ言った。
その顔は、我儘な山城への怒りや、刑事の嫁から解放される喜びでもなく、足手纏いになってしまった兵隊が除隊を命じられたような表情であった。
それを見て、山城は「別れて正解だ」と思った。このままではいつか、愛美を本当に不幸にさせる日が来てしまう。
今思うと恐ろしいのが、その時の山城に「刑事を辞める」と言う考えが一切浮かばなかった事だ。
後から娘にそれを指摘され、山城は自分の背中に冷たいものを感じた。
ただ、それほどまでに山城に刑事という仕事は染み付いており、どれだけ体力が落ちて辛くてもこれ以外の仕事をしている自分が想像できないのだ。
──それは愛美も一緒だったのではないか?──
呆れた娘が帰り、夜中に一人座っていると、ふとそんな都合の良い考えが浮かんできた。
彼女も刑事の妻としての自分しか想像できていないのだろうか?
その時はすぐに首を振ってそれを払拭した。しかし、今、病院の車椅子に乗せられている彼女を見ると、山城のその時の希望的観測が、あながち的外れではなかったと確信した。
──山城さん達は『夫婦』だから離婚したんすね──
愛美と別れた時、新婚ホヤホヤだった相澤が「深いっすねぇ」と一人納得しながらそう言っていた。
その時は「何言ってんだ、こいつ」と鼻で笑ったが、客観的に二人のことを見ると、相澤の言葉が案外しっくり来るのかもしれない。
「さっき看護師さんから『今日は入院してほしい』って言われて」
「入院?」
「患者さんが多すぎて、全ての検査ができないんですって。帰って、明日また来ても良いんだけど」
愛美は自分の足を見下ろした。
怪我をしているなら、帰ってまた来るより、泊めてもらった方が双方とも好都合だろう。
「なら、着替えとかいるだろ。一日分で良いのか?」
「ごめんなさい。茜がいたら、あの子に頼むんだけど。まさか、アナタが来るなんて思わなかったから」
足を怪我して歩けない時でさえ、山城の仕事を最優先に考えている。
それが山城の傷跡に染みる。
とても、類野の事を聞くような気分にはなれない。
聞きたいのは山々だが、その時、自分を見ているもう一人の自分の視線に耐えられそうにない。
「じゃあ、一日分で良いんだな?」
山城は刑事の本能から目を背けるように、愛美が住んでいるマンションに向かおうとした。
「アナタ」
愛美が踵を返そうとした山城の袖を引っ張った。
振り返り、愛美の顔を見ろした時、山城の背中に戦慄が走った。
「私、犯人を見たの……」
山城の心臓がドクンと一回大きくなった。
「……俺は管轄じゃねぇよ」
山城は、ロビーで聞き込みをしている刑事の方をチラッと見た。
「あの人、絶対におかしいわよ」
愛美は山城の反論を払い除けるよう、食い気味に言った。言葉と一緒に袖を掴む力が強くなった。
愛美は事件が起きて、すぐにこの病院に運ばれて来て、今までスマホを使っていない。だから、類野が死んだ事をまだ知らないのだ。
「私、デパートの一階に居たんだけど。あの人、入り口から入って来るとね、次々に人を撃ち始めたの。一発も無駄玉が無かったの」
「無駄玉がない?」
「外してないのよ、一発も。撃った弾、全部、ゲームみたいに誰かに命中にするの」
「はぁ?」
「おかしくない? どこに誰がいるのかを事前に知っているみたいだった。更衣室の中に居た人とかも、どれに人が入ってるか解ってるみたいだったのよ」
それを聞いて、山城は確かに異常だと感じた。
「更衣室の中の人間を一発で撃ち抜いたのか?」
愛美は無言で頷いた。
更衣室の中で蹲っているか、立っているかで急所の場所は大きく変わるのだ。それを一発で撃ち抜くなど、あり得ない話だ。
それこそ、愛美の言う通り、どこに誰がいるのかを知っていて、何度も練習をしているなら話は別だが、そんなもの練習する場所など、あるはずがない。
もっと言えば、平日の昼間のデパートのどこに誰がいるのかを完全に把握しているなど、あり得ない。
その違和感と同時に、山城は愛美の行動に大きなショックを受けていた。
「お前、もしかして、犯人をずっと観てたのか?」
「だって、事件の情報は多い方が良いでしょ? 隠れながらだけど」
「バカか!」
思わず、大声で怒鳴ってしまった。あれだけ慌ただしかった病院が一瞬だけシーンと静まり返った。
山城は愛美に顔を近付けて、小声で話を続けた。
「それで、お前が死んだらどうするんだ」
「でも、犯人が」
「俺の管轄の事件じゃねぇ。それに、お前はもう俺の妻じゃないんだ。普通に生活してれば良いんだよ」
それを言うと愛美は、枯れていく花のように俯いて無言になってしまった。「別れよう」と告げた時と同じ顔だ。
山城は居た堪れなくなり、無言で着替えを取りに歩き出した。
「じゃあ、『よくやった』って褒めてやれば良いのかよ?」と山城は心の内側から負の感情を押し付けてくるもう一人の自分にそう言い返した。
ただ、そんなグチャグチャに乱れた感情の中でも山城の刑事としての本能だけは動いていた。
愛美の言っていた事が本当なら、類野は何度もシミュレーションをして、今日の犯行に至った言うことになる。
相澤が言っていたような衝動的な犯行ではなく、何か目的があったと言うことだ。
なら、なぜ死んだ?
事件の概要を見ても、何かをやり遂げたとは到底思えない。
類野は何がしたかったんだ?
そもそも、それを見届けもせず、死んだら何も意味がないだろ?
カツカツと鳴る、いつもは気にならない革靴の足音がやたらと山城の耳にチクチクと入ってくる。
「あ、」
出入り口の自動ドアの手前、横から飛んで来た小さな声に立ち止まり、そっちを見た。
「あっ」
山城も、彼女の顔を見て思わず声が出た。
「こんちわ」
山城に頭を下げたのは、あの時の駄菓子屋にいた若い女だった。
「やっぱり、刑事さんだ」
彼女の方から山城に近寄ってきた。
今日は胸元は隠れているが、ボーダーのTシャツからでも胸の形がはっきりしていて、相変わらず目のやり場に困る。
山城は無意識に愛美のいた方を振り返り、こっちを見ていない事になぜかホッとした。
「よかった。なんとか会えた」
「は?」
「ここに来れば、刑事さんに会えるかもって思ったんです。ニュースを見て」
彼女は偶然ではなく、山城に会う為にこの病院に来たと言う。
山城はそれを聞いて驚いた。
確かに愛美という偶然はあったものの、刑事であること、そして三日前の駄菓子屋での一件、それを総合したら山城が類野に興味を持ち、何かしら情報を得ようと行動する確率はゼロではない。
現に山城は愛美のケガの知らせを聞いて、その誘惑に駆られたのも事実だ。
「やっぱり来ましたね」
そして、目撃者が大勢いるデパートの近くで一番大きな病院がここ、理に適っている。
確実ではないが、一番山城に会える確率の高い場所と言える。
だらしない外見に惑わされていたが、しっかりと期待値を計算し、相澤なんかよりも断然読みが鋭いと内心舌を巻いた。
「俺に、って、何の要だ?」
「類野。駄菓子屋のおばあちゃんが言ってた事。当たりましたよね?」
「ああ……」
山城は苦い顔をした。
確かに当たったが一種のオカルト、根拠も証拠も何もない。刑事の山城からしたら、一番扱いに困る事実であった。
「まぁ、あれは単なる偶然……」
「もしかしたら、偶然じゃないかもしれないんです。それを言いに来たんです!」
彼女は大声で否定した後、物凄くもどかしそうにその場でモゾモゾ動き出した。
「でも、なんて言えば刑事さんに伝わるんだろう? ああああああ」
彼女は全身のあちこちを触りながら、説明するとっかかりを必死で探している様子だった。
「偶然じゃないって、どういう事……」
「とにかく! 明日、もう一回、ここに来て貰えませんか? その時にちゃんと説明します。お願いします! 絶対に来てください!」
「来てくれって言われてもよ……」
「もしかしたら、類野って人、死んでないかもしれないんです」
「はぁ?」
「では、今日は失礼します!」
彼女はそう言い残し、病院を後にした。
大事なことを山城にたくさん言い忘れて。
「何時に来りゃ良いんだよ。そもそも、名前は何だよ?」
よく分からなかったが、どうせ明日も愛美の退院に付き合うことになると踏み、山城はそれ以上考えない事にした。
──類野は死んでない──
だが、彼女が最後に言った一言が山城は気になった。
ネットではすでに類野が死んだ事が拡散され、事実になっている。
だが、山城にはどうもシックリこなかった。
むしろ、彼女から「死んでいない」と言う言葉を聞いて、なぜがスッと合点がいった気がしたのだ。
それと同時に大きな闇が背中から迫ってきている気配も感じていた。すでに事件は終わったが、まだ終わっていない気がしてならなかった。
さっきまでは同業者と見ていたロビーで裏付け捜査をしている刑事たちが、急に頼りなく感じた。
だが、山城とは交わらない事件であることも事実だ。
山城はその場を離れ、エアコンの効いた病院から、真夏の暑さに一方的に攻撃されている都会の街中へと出ていった。
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