第11話 八月五日 その2

「いつも、ここで生活するくらいに居ますけど……最近、急に部屋を開けることが多くなりましたねぇ」


 譲司凪沙に会う為、山城は東條大学内を探し回った。

 やっとの事で彼女が所属しているゼミを見つけたが、譲司凪沙はあいにく留守だった。

 運良く彼女と同じゼミの男子学生から話を聞く事ができた。

 そう話す間、山城の向かいに座った彼がチラチラと見ていた、他の机の倍ほどの資料が積み上げられた机がきっと譲司凪沙の特等席なんだろう。


「彼女は優秀なのか?」

「僕らじゃ彼女の猫の手にもならない程です」


 その男子生徒は「お恥ずかしながら」と言いたそうな苦笑いを浮かべた。


「その、浅倉美言って人を知っているかい?」

「え? 浅倉教授ですか……」


 男子学生は目をキョロキョロとし始めた。いきなり押しかけて来た人相の悪い男が紅一点のゼミ生の話を聞きに来たのだから無理もない。人の良さだけでこれだけ付き合ってくれただけでも、山城には収穫だ。


「知ってはいますが……」


 ゼミ生の男は、何を話せばいいのか、皆目見当もつかないと言う表情で頭を掻いている。


「彼女と浅倉教授と言うのは、どういう関係だったんだい?」

「どういう……って」


 そう言って、彼は腕を組みながら天井を見上げて考え出した。理系特有のビシッとした正確な答えが出るまで、決して口から外に音を出さないという生真面目さ。

 万が一、この男子学生が自分の部下だったら山城は痺れを切らして頭を小突いているかもしれない。

 そういう意味じゃ、相沢の程よい大雑把さと言うのは有り難かった。

 自分の貧乏ゆすりが次第に大きくなっている事に気付いた。

 男子学生は相変わらず「えーっと」と思考中だ。お茶も出して貰っていないので、この時間を潰すものを山城は何も持ち合わせていない。


「なんですかね……」


 男子学生はやっと一言、外に出した。まるで将棋の勝敗のかかった一手を打つような重苦しい話し方だ。


「そんな、考え込まないといけないような複雑な関係なのかい?」


 山城は苦笑いと一緒に彼に質問した。


「そうですね……」


 彼はまた考え出した。山城の質問が「早くしろ」と言うメッセージだと全く気付かずに今度は俯きながら思案を練り出す。山城にはブラジル人よりも、目の前にいる几帳面過ぎる理工学生の方が地球の反対側に生きている人間に感じる。


「生徒と、先生、と言う、関係ではありました」


 そうして、絞り出された男子学生の答えは案外、陳腐な物だった。


「『では』って言うのは?」

「なんて言うんでしょう……二人の会話は僕らには入っていけない雰囲気がありました」

「と言うと?」


 山城は身を乗り出した。


「なんですかね? 何気ない会話をしているだけなのに、二人にしか辿り着けない領域で話しているような。こう、会話に入っていけないオーラがあったんです。僕が知っている言葉で一番近いのは『同志』とか『親友』とかですかね。

 もちろん、年も離れてますし、教授と生徒って垣根もありましたけど。会話の裏側ではそんな感じがしました」


 同志、親友。


「例えば、地球以外の惑星で出会った地球人同士の二人とか」

「あ、その例え、シックリ来るかも知れません!」


 山城の例えに、学生はソファから身を乗り出して来た。


「あれですかね。絶滅危惧種の動物が、初めて自分と同じ動物に出会ったような」


 初めて出会う自分の気持ちがわかる生物。しかし、この人がいなくなれば、もう二度と出会えないかもしれない同類の生き物。


「でも、二人が一緒にいた時間は長くありませんでした。半年くらいじゃないでしょうか」

「半年か……」


 山城は譲司凪沙が持っていた、あのボロボロの教科書を思い出した。それだけ濃密な時間をたった半年の間でも過ごせたら、彼女は幸せだったろうか? それとも……


「教授が亡くなってから、彼女、変わったかい?」

「えっ!」


 男子学生はその質問に驚いた表情を見せた。


「どうかした?」

「いえ、『よく分かったな』って思って」


 やはり、そうか。


「どう変わったんだい?」

「……明るくなりましたね。それまでは無口であまり話さない娘だったんですけど。服装も地味だったのが、なんか急に開放的になったと言うか。と言うか、朝倉教授が乗り移ったような言動になりました」

「胸元を開けたりとかかい?」


 山城が尋ねると、ぎくっと男子学生は分かりやすいくらいに目を逸らした。まぁ、年頃の男があんな姿を近くで見せられたら、そう言う反応にもなるだろう。


 なるほどな。


「分かった。付き合って貰って悪かったな」


 山城が立ち上がると、男子学生は「あ、いえいえ」と座りながらお辞儀をした。どうやらドアまで付いて来る気はないようだ。

 彼が営業職に就くことがない事を神に祈りながら、山城は研究室を後にした。


 大学を出て、次に譲司凪沙が行きそうな場所へ向かおうとする山城。

 彼女の行動の傾向から考えるに行きそうな場所はあそこしかない。


「駄菓子屋」


 そこが一番、山城と出会う可能性が高い場所だからだ。

 ただ、問題がある。

 駄菓子屋は焼死体事件の現場のすぐ近くであると言う事。辺りをまだウロウロしている同業者の刑事と鉢合わせする可能性が大いにある。


 時計に目をやるが、捜査会議の時間にはまだまだある。


 すでに相澤から課長に「山城がドロンした」と伝わっているのは当然として、それが他の警官にまで広がるのにどれ程の時間がかかるか? 

 だが、あまり待っている時間は無い。類野は何度も時をやり直している。また現実が変わってしまうとも限らない。それこそ、山城自体が「愛美が死んだ」と言う事実を当たり前のように受け入れてしまうとも限らないのだ。


 同僚の警官に鉢合わせたら、平静を装ってやり過ごす賭けに出てでも、譲司凪沙に一刻も早く会わなければならない。


「行くしかねぇか」


 山城はタクシーを捕まえるために大通りに出た。

 大きな出費にはなるが、一番確実に駄菓子屋に近付ける。


 タクシーを駄菓子屋近くに停車させ、山城は降りた。

 ここから駄菓子屋までは一直線、幸い周りに警官の姿は見えない。が、譲司凪沙の姿も見えない。

 いるとしたら西側のベンチのある方だろうか。


 ガラス戸から店の中を覗く。

 婆さんはあの日同様にニコニコした笑顔で長場に座っている。あの日から一歩も動いていないんじゃ無いかと言うほどに、微動だに変わっていない。


 山城は心臓が鼓動しているのを感じていた。自分の娘くらい……それよりも年下の女性がいるか居ないかに心臓が暴れている。

 そして、ガラス戸越しに見えたベンチのある方の出入り口、奥にある人影に心臓はさらに大きく高鳴った。

 ベンチに腰掛けている凪沙の姿が見えた。後ろからでも分かるあの髪型。


 山城は西側の出入り口に回った。

 しかし、譲司凪沙に声を掛けようとした瞬間、声が止まってしまった。


 凪沙の表情は西陽が差し込み出した日差しを浴びても隠せない程に暗い顔をしていた。

 山城の影にも気付かず、彼女は取り憑かれたようにひたすらノートに何かを書いていた。何度も手は止まり、何度も書き続け、そしてまた止まる。

 必死に何かに抗っている。

 さっきの男子学生の言葉が山城の脳裏に過ぎる。

 教授が亡くなってから、急に明るくなった。

 きっと、それほど大きな存在を彼女は失ったのだ。無理に明るくして見ないようにしないと、闇の底まで引き摺り込まれてしまうほどの虚無感。

 その時、教授の血が流れている理論が関わっている事件と出会った。きっと、彼女はあの笑顔の下に唯ならぬ覚悟を秘めていたんだろう。


 彼女が醸し出している雰囲気は、あの時の類野に似ていた。


「何してんだ?」


 山城は彼女の影になるほどに近付いて、話しかけた。

 譲司凪沙が油断した顔で、山城を見上げた。


「刑事、さん」


 そう言った瞬間、彼女の表情筋が砂鉄のように動いて、山城にニコッと微笑んだ。


「やっぱり来ましたね」

「何がやっぱりだ」

「刑事さんなら、来ると思ってましたよ、私は」


 そう言って凪沙は勝ち誇った笑い声を上げた。


 そんな顔はしてなかったくせに。


「一つ聞いていいか?」

「なんなりと」

「お前、あの日、なんでこの駄菓子屋に来たんだ?」


 凪沙は少し考えて、俯いて話し出した。


「教授が小さい頃、よくこの駄菓子屋に来てたと言っていたので……あの日、近くに用があったから立ち寄ってみたんです」

「何か、教授に関するものがあったのか?」

「教授は若い頃、よく、ここのベンチで煮詰まったアイデアを考えていたと言ってました」


 凪沙は表情を制御できなくなり、寂しい、あの顔に戻ってしまった。

 ずっと居なくなった仲間を探しているんだ。あの学生が言っていた通り、絶滅した世界に一匹しかいない動物みたいに。


 あの日、偶然、駄菓子屋でラムネを飲んだだけの二人は、似たような燃料で動いているのかもしれない。


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