第7話 八月四日 その3

 愛美はそんな顔で笑わない。


 おそらく写真をパソコンで加工して無理やり笑わせているのだろう。だから、祭壇に飾られた愛美の遺影は不自然な笑みを浮かべていた。


 山城は会場の後ろのドアから体を小さくし、親族席の方へ向かう。


「親族席でいいのか?」


 念の為、山城を先導する相澤に確認を取る。


「昨日のお通夜もそうだったじゃないっすか!」

「そうか」


 怒り気味の相澤に力無く返事を返す。

 そう言われても記憶が一切ない為、言い返したくても、言い返すことができないのが相場だ。

 相澤のこの怒りようからして、現在の山城は相当ショックを受けて、頭がやられている人間に映っているのだろう。とりあえず、今は大人しくしているしかない。


 愛美の親族席の後ろの末端の席が一つ空いており、山城はそこに座るのかと察した。

 その隣に座っている白髪が目立つ仏頂面の男性を山城は一度も見た記憶はない。

 おそらく、愛美の遠い親戚の誰かなのだろうが、記憶の端にも残らない程遠いその男性よりも端に座らされているのが、今の山城に与えられた立場という事だ。 


 祭壇に近い席には、前に会った頃よりも小さく見える愛美の両親。その隣に背筋がピンと伸びた若い女性の後ろ姿。山城と愛美の娘の茜が気高く座っているのが目に入った。

「髪を染めたのか」と山城は彼女を見て思った。最後に会ったのは高校生だったか、その頃は校則も厳しく髪は黒かった。

 きっと山城が来たことを茜も察しているだろうが、彼女は一度も山城のほうを振り返ろうとしなかった。

 俯いてはいるが、シクシクとあちこちから涙を流す声が聞こえる中、茜は涙を堪えている姿すらなく、ただ黙って遺族の娘の役割をこなしていた。

 去年から社会人になり、世間の理不尽な逆風に晒されても、倒れない様に必死で踏ん張って来たのだろう。

 後ろ姿でも娘の成長が山城には見てとれた。

 それ以外にも実の父親である山城には、娘の体を占めている感情は悲しみではなく怒りである事も容易に察することができた。

 その矛先が犯人なのか、山城なのか、はたまたバカな真似をして死んだ母親へのものなのか、そこまでは分からなかった。ただ、その三者をつなげている憎悪の根幹は山城であるのは間違いない。


 山城の口から大きなため息が出た。


 愛美が死んだと言う実感はどこにも無い。

 改めて祭壇の愛美の遺影に目をやる。「愛美だ」と言われなければ、彼女だと分からない。よく知っているからこそ、偽物にしか見えない。

 だから、関係が薄かった親戚から順に涙を流している。葬式とはそういうものだ。

 

 葬儀会社の司会者が親族の人たちへの焼香を促し、一番端の山城は立ち上がった。

 祭壇の前に立つと、読経を続ける坊さん、青白い顔で俯いている愛美のお母さん、その横で難しい顔をしている愛美の父の姿の順に視界に人が入ってくる。

 茜はその隣でただ無表情に真っ直ぐと下を見ていた。山城の方を一度も見ようとはしない。

 その清々しいまでの薄情さが父親として、寂しくもあり、頼もしくもあった。


 茜もきっと「愛美を殺したのは山城だ」と少なからず思っている。そう言う意味では二人は紛れもない親子の絆で結ばれていた。

 きっと、茜も遺影の愛美の笑顔に違和感を覚え、愛美のとった勇敢な行動に歯痒さを感じているだろう。

 類野が現れなくても、いずれこの様な死に方を愛美はしていた。だから山城と別れたのに、呪いや宿命はそんな上部の繋がりを切り離した程度では彼女を解放しなかったのだ。


 山城は焼香を終え、自らの席に戻った。

 入れ替わりで茜、愛美の両親が席を立つ。

 愛美の両親は山城の顔を見るや、小さなお辞儀をした。山城もそれにつられ、席に座りながら頭を下げた。


 茜は山城と目を合わそうともせず、焼香へと歩いて行った。


──愛美を殺したのはお前だ──


 茜の立ち振る舞いを見て、心の奥でもう一人の自分がそう訴えかけて来た。


 今すぐ、この場を立ち去りたい気持ちを来客席に座っている相澤の顔を見て、なんとか誤魔化した。


「あの」


 来客席と親族席の境界の柵越しに、突然、見知らぬ女性が山城に話しかけて来た。

 喪服を着た五十代くらいの愛美より少し年上の女性だった。

 愛美の友人だろうか? と思いながら山城はペコっと頭を下げた。


「山城、たけぞうさん、ですか?」

「はい。そう、ですが」


 愛美の友人ではなさそうだ。

 予想外の展開に、山城はキョトンと返事をした。


「あの、私、彼女から預かり物をして来たんですけど……」


 彼女は祭壇の愛美の遺影を指差し、その手で腕からぶら下げている黒いカバンの中に手を伸ばした。


 預かり物?


「俺に、ですか?」

「はい、そうです」


 彼女がその物を取り出そうとした瞬間、葬儀場の係員の一人がこちらに寄ってくるのが見えた。


「ちょっと外で話しましょうか?」


 咄嗟に山城は立ち上がり、彼女を庇うよう肩に手を当て、会場の外へと促した。

 その時、刺さる様な視線を後ろから感じた。

 ちらっと振り返ると茜が、山城の方を見ているのがわかった。睨むわけでもなく、感情のない瞳で、ただ山城に刺す様な視線を送っていた。


 だが、山城は構わず、女性を外へエスコートすることを選んだ。


 来客席の横を通る時、相澤が立とうとしたが「大丈夫だ」と手で静止させ、山城は女性と二人でロビーに出て、近くのベンチに座った。


「愛美から、何を?」

「あの、これです」


 彼女が鞄から出した紙を見て、山城は「やはり」とドキッとした。

 咄嗟に席を立って外へ連れ出したのは、係員が来たからではなく、鞄に入っていた、彼女が出そうとしていた物がちらっと見えたからであった。


 彼女が山城へ差し出した封筒には、少し血が滲んでいた。


「すいません。あの、私、よく分からなくて、どう渡せばいいのかが分からなくて、急に話しかけてしまって……」

「これは?」


 山城は、方向性が定まらない彼女の言い訳には耳を貸さず、自分の質問を始めた。


「あの……申し訳ありませんでした!」


 すると女性は突然、ベンチから立ち上がり、床の上で土下座を始めた。


「私が……私のせいで、奥さんを……」


 そう言って、女性は床に顔を埋めて泣き出した。


 山城は彼女の様な人間を何度も見てきた。

 殺人や事故など、大きなショックを受ける出来事に遭遇すると、自分の小さな過ちのせいで『被害者を死なせてしまった』と勝手に思い込み、自責の念に駆られてしまう人物。

 ただ、今まで山城が見て来たのは、自分とは縁のない被害者や加害者の時の人間。今回の場合、被害者は愛美だ。


 山城はしばらく言葉が出て来ず、土下座をする彼女を見ていた。


「何があったんだ?」


 戸惑い、刑事として取り繕うことができず、素の山城武蔵としての言葉が出てしまった。

 しかし、女性は山城の声に反応せず「すいません、すいません」と平伏の姿勢を変えようとしなかった。


「何があったんだ、あの中で!」


 山城は自分の力で無理やり女性を起こした。不本意ではあったが怒鳴りながら彼女の襟元を強引に掴む形になってしまった。


「山城さん!」


 それをドアの隙間から見ていた相澤が止めに入り、山城は彼女から引き剥がされた。


「すいません。この人、今、気が動転していますので、話は後で伺いますから?」

「相澤!」

「落ち着いてください! 茜ちゃんに聞こえますよ」


 相澤に痛いところを突かれ、山城はそれ以上、声を出せなくなった。


「山城さんは少し頭を冷やしてから、中に戻ってください」


 呆然と、相澤が彼女を連れて行く後ろ姿を山城はしばらく眺めていた。

 相澤から見た今の山城は、愛美が死んだ現実を受け入れられず、気が動転して葬式会場にも来ないで、女性を恫喝している元旦那。


 相澤が彼女から引き剥がそうとするのは無理もない。


 山城は大きく息を吸ってから、なるべく落ち着いた声で言った。


「相澤」

「はい?」


 相澤は立ち止まり、振り返った。


「俺は大丈夫だ」

「でも……」


 相澤の警戒は解けない。

 ただ、山城には葬儀の後まで待つ余裕はない。一刻も早く愛美の情報を手に入れたくて仕方が無い。


「俺がおかしいと思うなら、お前も一緒に聞いてくれ。それでどうだ?」


 相澤は数秒、沈黙した。


「ルールは俺が作ります。それで良いっすね?」

「ああ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る