第8話 八月四日 その4

 その後、相澤を入れた三人で葬儀場の控え室に移動し、話をする事になった。

 だが、あくまで話すのは相澤と女性。山城は二人の話を離れた場所で聞く。聞きたいことを質問する場合は相沢を通すと言う形に落ち着いた。


「まず、お名前から宜しいでしょうか?」

「田沼、です」


 彼女の苗字を聞いた時、山城はハッとした。


「相澤。フルネームを聞いてくれ」


 相澤は視線だけを山城に返した。そして田沼に促した。


「田沼かえで、です」

「紙に書いてもらってくれ」


 名前を聞いてピンと来た山城は、咄嗟に近くにあったメモを一枚、相沢に渡した。


 ──田沼かえで──

 

 彼女の書いた名前を見て、山城は「そうかもしれない」と確証が薄かった細い糸を手繰り寄せた。

 フルネームまでは覚えていなかったが、確か凪沙が書いた手書きの新聞記事に『かえで』と言う平仮名の名前があったのが記憶に残っていたのだ。


 それは位置的に死亡者のリストが載っていた部分であった。


 つまり二十一人の死亡者の中には彼女の名前が載っていた。だが、二十七名の時は、彼女は生き残ったのだ。


 その後の相澤が彼女から聞き出した情報はニュースなどにも載っていたものと大差ない内容だった。

 類野は突然、デパートに入って来て銃を乱射し始め、次々と人を殺し出した。

 逃げようとした人はみんな撃たれて倒れてしまった。


 しかし、そこから先は山城たちが知らない領域の話になった。


「私も逃げようとしたんですけど。足が動かなくなったんです」


 田沼は恐怖で腰が抜けてしまい、近くのジュエリーショップのショーウインドウの裏に身を隠した。

 だが、類野が自分のいる方へ近づいているのが足音の大きさで分かった。


「どうして助かったんだ!」


 山城は咄嗟に大声が出てしまった。

 その瞬間、田沼は「ヒィ!」と山城から身を守る様に小さくなってしまった。


「山城さん!」


 相澤が強い口調で山城を止めた。

 相澤の対応を見て山城はハッとした。

 山城は、ただ純粋に理由を聞きたかっただけだったが……二人には山城の発言が『お前が死ねば良かった』と言うニュアンスにで伝わってしまっていたのだ。


「すいません。すいません」

 

 田沼はひたすら、ハンカチで口元を覆いながら謝った。

 田沼が涙混じりに頭を下げているのを見て、山城はこの部屋での自分の立ち位置の厳しさを改めて理解した。


「その、違うんだ。そう言う意味で言ったんじゃねぇんだ」


 生きていた時の愛美の発言が確かなら、類野は殺せる人間は確実に仕留められるはずだ。その類野が田沼の方へ近づいて行ったなら、田沼は死んでいなければおかしい。

 しかし『二十一名殺害』の時に死んでいたハズの田沼かえでが『二十七名殺害』では生きていると言うことは何かがあったはずなのだ。


「単純に類野が何かアンタの前で、ミスをしたんじゃないか? と思っただけだ。それ以上の深い意味はない」

「ミスって……どうして山城さんにわかるんですか?」


 相澤の追求の後ろで、田沼かえでが驚いて目を見開いているのが山城には見えた。


「何かあったんだな?」


 山城が聞くと田沼は無言で頷いた。


「実は、犯人の男性が拳銃の弾を入れ替えるのに手間取ったんです」


 田沼の発言に山城と相澤は顔を見合わせた。


「こう、拳銃の持つところから棒を出して、ポケットから同じ棒みたいなのを入れようとした時に、その棒を床に落として」


 山城はそれを聞いて、何か大きな扉が少しだけ開く様な感覚を覚えた。


「落とした?」

「はい。それで、私はそれを見て「今だ!」って思ったんです。逃げようって思って、レジを飛び出しました。でも、足が思うように動かなくて、すぐに転んでしまって……そしたら、犯人の人がもう銃を私に向けてて」


 山城は思わず前に出た。

 それを見て、正座をしていた相澤が中腰になる。

 山城はすかさず「大丈夫だ」と相澤に手でジェスチャーを送った。


「それで、どうなった?」


 山城の問いに田沼は泣き出しながら「すいません、すいません──」と何度も繰り返した。


 山城は田沼のその反動を見て『殴られる』と思われていると判断した。


「相澤、こっから頼む」


 山城は相澤の後ろに下がった。

 予想に反して冷静な山城の声に相澤は「あ、はい」と惚けた声で返した。 


 山城はとことん自分に失望した。

 しかし、それに反して、さっきまで渇き切っていた全身の細胞がどんどんと息を吹き返している事にも気付いていた。

 あれほどあった愛美への怒りと申し訳なさが既に消えていた。その代わりに事件の真相に近付いていると言う刑事としての本能が前に出てきていた。


「それで、どうなったんですか?」と相澤が田沼にあらためて尋ねた。


「それで奥さんが……」


 そこで田沼は言葉を詰まらせた。


「奥さんは山城さんの奥さんですね? 何かあったんですね?」


 相澤が優しい口調で会話をアシストした。


「突然、私の前に飛び出して来て、それで私の盾になって……」


 田沼はそれだけ言って、また泣き始めた。


「撃たれたって事、だと思います」


 相澤が山城を見ながら、付け足した。


 山城は無言で頷いた。

 相澤は予想外の山城の反応に、警戒を少し解いた。


 山城の脳内は愛美の夫から、既に刑事のものに変わっていた。


 二十一名死亡の時、愛美は歩けないくらいの怪我をした。

 しかし、田沼の発言を聞く限り、飛び出したと言う事は今回の愛美は足を怪我していない可能性が高い。

 つまり、今回、愛美が撃たれたのは、前回の二十一名死亡の時よりも前の事だ。

 田沼が「弾の棒」と言うのは弾倉の事だろう。

 弾倉を落としたと言うのは類野のミス。二十一名のときはそのミスは無かった。だから、田沼には逃げるチャンスがなく殺されてしまった。


 だが、二十七名死亡で類野は弾倉を落とすミスをした。


──類野は人為的に過去改変をしている──


 凪沙の言っていた事の可能性が高くなった。

 この過去改変は映画などの様に自動で世界が変わるわけではない。類野紀文は自分の力で選んで判断して行動して、変えているのだ。


「それで、類野はどうした?」


 山城が尋ねたが、田沼はその質問の意図が理解できなかった。


「どうしたって言うのは?」

「愛美は撃たれたが、後ろにいたアンタは撃たれていない。アンタにトドメを刺しには来なかったのか?」


 田沼は少し考えて


「確か舌打ちを一回して、その場を離れました」


 何故だ?

 殺す事が目的なら、愛美と彼女を殺すのが筋だ。


「そうか!」


 そこでは一人しか殺せなかったんだ。

 

 山城がこの結論に達した時、頭の中に雷が落ちた。そして『類野が過去をやり直している』と言うのは、ほぼ確実になった。


「アンタの前に何人の人が死んだか、わからないか? 大雑把で良いんだ」


 相澤は山城の質問の意図が把握できず、山城と田沼を交互に見ているだけだった。


「確か、十人くらいだったと思います」

「二十人は絶対にやられてないな?」

「はい。そこまでは」


 山城は相澤を見た。


「類野が使っていたオートピストルの弾倉は?」

「たしか八です」


 山城はさらに考える。

 今の話を総合すると八人撃たれて、次の田沼は……この場合の愛美は九人目の被害者。田沼の発言はしっかりしている。証言として足りる情報だ。


 そこでは一人しか殺せなかった。

 何故なら、二人殺すと弾倉を取り替えるタイミングがのちにズレるからだ。


 タイミングがズレれば、これ以降に殺す人間の動きやタイミングがズレる。だから、そこでは一人しか殺せなかった。


 つまり、類野の殺しの目的は特定の人間を殺す事ではなく、『誰でも良いから、できるだけ大勢の人間を殺す』と言う事だ。その為の最短を求めて、何度もやり直しているのだ。


 何人を殺す為にやっているかは分からないが、動機はハッキリした。


 だが、そこで山城はまた壁にぶつかった。


──その動機を満たしたところで、類野は何を得るんだ?──


 それこそ、テレビゲームの記録作りのような物にしか見えないが、そんな生半可の遊びをしているようにも見えない。


「狙いは何なんだ?」

 

 山城はボソッと呟き、田沼に渡された愛美の手紙を開けた。


 中は案の定、類野の特徴が書かれたメモだった。大体、前に病院で聞いた愛美が言っていた事と同じだ。

 ただ、そのメモには愛美の血が滲み、生々しい生命力があった。

 しかし、山城はそれよりもそのメモの一番下に付け足されていた文章が気になった。


 最後に書かれた一文だけ、愛美の筆跡では無かったのだ。


「ハートが半分になったネックレス……?」

「あ、それは、私が書き足したんです」


 山城の視線が田沼に再び向いた。


「奥さんが死ぬ間際に呟いていたので……あと、そのメモを山城武蔵さんにって言われて。せめてもの罪滅ぼしだと思って、ここに来たんです」


 それを聞いて、山城の目の前にまるで愛美が現れたような錯覚に陥った。


「『犯人は主人が捕まえてくれる』って。そう言っていたので、お葬式に来れば、刑事さんに会えると思ったんです。でも、山城っていう女性の葬式会場が見当たらなくて、少し迷ってしまって」

「離婚してるんです。妻の旧姓は谷口です」

「そうだったんですか」


 田沼の言葉が山城には天啓のように輝いた言葉に聞こえた。

 そして、田沼から渡された手紙から、愛美を感じた。祭壇の加工された遺影とは違い、愛美の魂を手紙から確かに感じ、愛美が死んだのだと実感した。


「捕まえるって、類野はもう死んでしまいましたけど」


 相澤が山城を見ながら、引き攣った顔で言った。


 だが、山城は愛美という人間を自分の体に取り入れる様に手紙を何度も読み返した。


「でも、変ですよねぇ」


 相澤の惚けた声に、山城はハッと顔を上げた。


「何が変なんだ?」

「何言ってんすか。類野の遺体にネックレスなんてなかったじゃないですか」


 相澤の言葉に山城の目の前に大きな光が現れた。


「本当か、それ?」

「本当か? って、山城さんが言い出した事ですよ? 『SNSの類野の写真のネックレスと焼死体のネックレスが似てる』って。で、「焼死体と類野が関係あるんじゃないか?」って。

 デパートの事件の日に言ったでしょ? その後、調べたけど、類野の周りからそんなもの出なかったでしょ?」


 山城は三日前の事を思い出す。

 二十一名殺害の時は足を怪我した愛美の為に、山城は焼死体事件の捜査を抜けて病院に向かった。

 しかし、今回の山城は愛美が死んだことで病院には行かなかった。


 その小さなタイムラグで事件の捜査が少し進んでいたのであった。


「ならなんで、愛美がネックレスを見てるんだ?」

「警察に捕まる前まではネックレスをしていたって事ですかね……」


 山城と相澤が顔を見合わせた。


「デパートで外したんですか!」

「それしかねぇ」


 山城と相澤は同時に立ち上がり、どちらが言うでもなく、デパートへと足が動き出していた。


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