第9話 八月四日 その5
相澤が運転する車の助手席で、山城はちらっとスマホを覗いた。茜からの着信はない。
愛美の葬儀は今頃、葬儀場が用意したバスに乗って火葬場に移動している辺りか、ここで連絡がないと言う事は、もう戦力外通告を受けたも同じである。
火葬場での休憩中の親族への気配りを娘に任せてしまうのは、父親失格としか言いようがない。
だが実の母の弔いの場に居てやれないのは申し訳ないが、山城からすれば、愛美を殺した犯人の捜査を進展させる方が大事だと判断したまでの事だ。
ただ、それを実の娘に伝えたところで、土台、茜が理解できるとは到底思えない。
茜もいつか、愛美の血柄でこう言う人間を夫に選ぶのだろうか? それとも、自分とは全く正反対な性格をした男性を選ぶのか?
一瞬だけ気が緩み、ふと山城はそんなことを思った。愛美が死んでから、やけに茜が恋しくて仕方がない。
「ありますかね?」
相澤の声にハッとし、スマホをポケットに戻した。
「どこかに隠したなら、まだあるはずだ。なければ、捜査員が持っていったんだろうから、尚のこと良しだ」
三日前のあの事件で、デパートは一昨日から一週間休館することが決まっている。その間、現場の状態は事件当日のまま保管されている。ゴミ箱の中などもそのままだ。
問題はむしろ山城達がデパート襲撃事件とは無関係の刑事であると言うことだ。別の管轄の刑事が焼死体事件の証拠品を探しに来たとなれば、多少の問題はありそうではあった。
「でも、なんでネックレスを外したんでしょうか?」
「考えられるとしたら、そのネックレスを警察に見つけられたくなかった」
「だったら、事件の前にどこかに捨てれば良んじゃ?」
相澤の言うことは最もだ。
わざわざ警察が来る前に慌てて外すような物、現場に来る前にどこかに捨てるでもすれば良いだけ。
だが、そうしなかったと言うことは、何か理由がある。
「……捨てれなかったのかも知れないな」
ネックレスはハートが半分になっている形である。もう片方を持っているのは恋人だと思うのが自然だ。
「じゃあ、なんで外すんですか?」
「分からん」
類野があのままネックレスをつけていたとして、どうせ死ぬのに何のデメリットがあると言うのか?
そもそも今回の事件、誰かの弔いや復讐という線では考えにくい。類野が拘っているのは、どれだけ効率的に人を多く殺せるかというゲーム的な内容だ。
恋人とのペアのネックレスなのに、私情が動機とは考えにくい。
わざわざそれを付けて犯行に及んでいるのに、警察が来る前に外している。
あまりにも類野の行動には矛盾が多い。
山城は考えた。
しかし、ピンとくるアイデアは何も浮かばない。考えられるとしたら、警察の手に渡るのを恐れたというくらいだ。
「もし、事件が繋がっているなら、逆になんで焼死体の方にはネックレスがあったんですかね?」
「あの焼死体が炭になってからワザワザ付けたんだとしたら、傷付けたくなかったんだろうが……ご丁寧に洋服まで着てたからな。あの状態で置いておく意味がわかんねぇ」
「そう考えると、デパート襲撃事件と焼死体事件ではネックレスの扱いが真逆ですね」
真逆?
デパート襲撃事件ではネックレスを警察に見つけてほしくない。
焼死体事件では警察にネックレスを見つけて欲しい。
「言われてみれば」と、心の中で山城は膝を叩いた。ここまで扱いが真逆というのはむしろ共通点なのではないか?
ナンバーで部外者の刑事だとバレないように、近くの有料駐車場に車を停め、何食わぬ顔で二人はデパートに貼られたテープを潜り抜け、中へと入って行った。
フロアの中は省エネ状態の灯りしか付いておらず、いつもなら外部に大っぴらに開いている店内の大きな窓にもカーテンがかけられている。
現場検証は既に終わっているため、警官の姿は見当たらず、フロアはまるでスヤスヤと眠っているように静まり返っていた。
しかし、地面には「そこに死体があった」と言うメッセージは、いまだに生々しく残っている。
「こんな広い場所の何処に隠したんですかね?」
「警察に見つかりたくねぇなら、最低でも防犯カメラに映るところでは外してねぇだろうな」
類野はこの事件を起こす前に、防犯カメラの位置から何までを調べ上げていた。ならば、カメラの記録に残る場所でわざわざ外すとは思えない。
「トイレ……すぐ見つかるか」
相澤が小声で呟いて、首を捻った。
山城にも見当がつかなかった。
大掛かりに隠そうにも、言うほど時間があったわけではない。警察が来るギリギリまで、類野は人殺しに精を出していたのだから、その途中のどこかでネックレスを外したと言うことだ。
山城は類野が殺していった動線を辿ってみることにした。
その途中、『9』と言う数字が立てられた場所に、床に倒れている形の人間のシルエットがテープされていた。
それを見た瞬間、山城の足元から薄気味の悪い手がゾワっと足を引っ張って来たような錯覚に陥った。
今まで殺人事件の死体を幾つも見てきたが、それだけは今までの死体とは訳が違う。山城にとっては地獄へ続く落とし穴の様であった。
足がすくむ。
その横には田沼が言っていたジュエリーショップがあった。
山城は目を逸らし、その場を立ち去ろうとした。その時、愛美が言っていた一言が脳裏によぎった。
──更衣室の中に居た人とかも、カーテンが全部掛かってるのに、どれに人が入ってるか解ってるみたいに──
「更衣室……」
今回、愛美はイレギュラーな形で殺された。
類野は何度もデパートの襲撃をやり直している。その中には今回のようにミスを犯し、イレギュラーな形での殺人もあった筈だ。
しかし、更衣室の中にいて殺された被害者は、どれだけ時間をやり直しても、きっとその細長い箱の中に確実に閉じ込められた状態で死んでいるはずだ。
その人物にはカーテンの向こう側を調べる術はなく、そこで息を潜めることが一番の安全策だと思うだろうから。
そして何より、更衣室に防犯カメラを設置する事は禁止されている。
「おい、更衣室の中で死んだ被害者は何人いる?」
「いや、流石にそこまでは分かりませんよ」
山城は舌打ちをして考える。
そしてポケットに入っていた愛美の手書きのメモを取り出した。
とりあえず、洋服屋を巡り、更衣室の死体現場を見て回る。愛美がネックレスを見たという事は、愛美の後に殺された被害者。ネックレスを隠すとしたら、そこだ。
『13』
『14』
『17』
更衣室の前に置かれたナンバープレートはこの三つ。
床に置かれた番号が正確に違っていても大雑把には類野が殺した順番になっているはず。愛美よりも後に殺されたと分かればいい。
この三つの死体のどこかに類野はネックレスを隠した可能性がある。
「田沼さんの連絡先は?」
「一応さっき聞いておきましたよ」
「うちの署に連れて行って、更衣室で死んだ遺体に類野のネックレスが紛れているかもしれないって掛け合うぞ」
その後、田沼を途中で回収し、山城と相澤は焼死体事件の捜査本部がある自分たちの所轄署へと戻った。
捜査本部に入ると二人の直属の上司の刑事課長が驚いた顔で立ち上がった。
「山城。お前、葬儀はどうしたんだ!」
立ち上がりこっちに向かってくる課長に、山城は愛美の書いた血染めのメモを見せつけた。
「それどころじゃないっす。デパート襲撃事件の犯人の類野が焼死体事件に関わっているかもしれないんです! 証拠品がどっかの遺体に隠れてるかもしれないんす! 類野も焼死体と同じハートのネックレスをしてたんです!」
突然、そんな事を言われた課長は「はぁ!」と周りに部下がいるとは思えない素っ頓狂な声をあげた。
「それは……昔の類野があのネックレスをしていたって話だろ?」
「類野が犯行当時していたネックレスがそれだったんです! 焼死体の首に巻かれていたものと全く一緒の!」
山城の声に合わせて、相澤がスマホで類野の昔の画像を見せる。
「類野はデパートを襲撃中、このネックレスをつけていました。なのに警察が突入して捕まった時にはネックレスはしていなかった」
「おいおい、ちょっと待て。そんな情報、なんでお前らが知ってるんだ!」
「愛美が見てたんすよ。類野の外見の特徴を」
「奥さんがか……」
沼田がそこで一歩前に出た。
「私も奥さんに言われて『ハートが半分のネックレス』って、それで私がそのメモにその一文を書き足したんです」
「焼死体と同じネックレスを警察が来る前に外したってなったら、何かあるって思うのが普通でしょ?」
課長は苦しそうな顔で考えた。
「けど、どこにあるんだ、そのネックレスは?」
「おそらく、デパートの遺体のどれかに付けたんだと」
「遺体?」
課長は山城の返答に顔を歪めた。
「類野はなんらかの事情で警察にバレないようにネックレスを処分したかった。防犯カメラがついているあの状態で確実にそれを実行しようと思えば、遺体の遺留品としてしまうこと。デパートの更衣室で亡くなった被害者の遺留品を調べ直してください」
「うーん、掛け合ってはみるが……うちの事件と関連性は低いからなぁ」
課長は首を傾げなから、管理官のいるテーブルの方へと歩いて行った。それを焦ったく思った山城は後に続いた。
乗り気では無い課長とは違い、管理官は山城の話を聞いた途端、椅子から立ち上がり食いついてきた。
ここまで捜査の進展がない状態が続いていたところに、まさか世間を賑わせている大事件と繋がりがあるかもしれないとなれば、枯れかけた花に雨が降ってくる様なものだ。
管理官の後押しによって、話はトントン拍子に進んだ。
その日の夕方に、更衣室で亡くなっていた遺体の内の一人の親族から「ハートマークが半分になっているネックレスがあった」と連絡が入る。
その後確認を取ると、家族の誰も、被害者がそのネックレスをしているところは見た事がなかった。
類野が隠した物で間違いがないと判明した。
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