幕間 八月五日 事件四日後

第10話 八月五日 その1

 鑑識に出したネックレスの結果を聞き、山城は何が起きているのか、さっぱりわからなくなった。


「同じものだと?」

「そう、みたいです」

「みたいですって、どう言う意味なんだよ!」


 電話の向こうの相澤も弱気な声である。こんな説明不能なことが起きてしまったのだから、動揺しない方がどうかしている。

 山城自体も冷静な判断ができず、思わず相澤を怒鳴ってしまった。鼻と口の間に滲んでくる汗が余計にイライラを増幅させてくる。


 ちょうど今、山城が整理している愛美の家の荷物のように、全てが散らかっている状態だ。

 ふと、冷静になり、山城は「なんで俺は部屋を片付けているんだ?」と腑に落ちない疑問が頭に降ってきた。

 本来なら死んでいない愛美の部屋の遺品を整理している自分、そこにかかってきた意味不明な電話。何かに手を掴んだと思った瞬間に、それは山城を嘲笑うようにするりと手を擦り抜けていった。

 砂状になった真実が形を変え、山城を嘲笑している類野の顔に変わった。

 エアコンを付けられない状況での遺品整理、イライラする夏の暑さと蝉の鳴き声も相まって、刑事の顔も夫の顔も、全ての境界線が曖昧になってしまうほどに正気を失いかけて行く。


「要は焼死体がしていたものと更衣室の遺体がつけていたネックレスは、どちらも同じものだったって事しか……」

「同じものってのが、どう言う意味だって聞いてんだろうが!」


 山城は手に持っていた雑誌を壁に投げつけ、荷物をまとめた段ボールを足で蹴り上げた。愛美の欠片の様な遺品が畳の上に散らかった。


「それが……同じ商品だとか、同じ持ち物だとかでもなく、全く同じものなんだと……と言うか、こっちもその報告を受けて戸惑ってるんですよ」


 山城は遺品整理をひとまず放棄し、近くに積んでいた雑誌の山を蹴飛ばし、相澤のイかれた話に耳を向けることにした。


「一つのハートマークになったとかじゃないのか?」

「いえ、ハートの同じ側のものだったらしくて、合わせてもハートには上手くならなかったみたいで……と言うか、このネックレス、シリアルナンバーみたいにデザインがそのペアごとに違うみたいなんです」

「どう言うことだ?」

「鍵と鍵穴みたいなもんす。特定のペアとしか完璧なハートマークにならないようになっていて、オーダーメイドで結構高いヤツらしいです」

「……つまり、片割れのハートマークは全て形が違う世界で一つのデザインってことか?」


 電話の向こうの相澤は「はい」と言ったが、その時、山城にはさらなる疑問が浮かんだ。

 

──だったら、尚のこともう片方が出てこないんだ?──


 オーダーメイドのハートマークという事は、それを渡す相手がどう言う女性かは、容易にそれしかないと想像できる。


「婚約者?」


 話の前後と関係ない山城に呟きに、電話の向こうの相澤は「こんにゃく?」と聞き返して来たが、そんな素っ頓狂な返事は山城は無視した。


 じゃあ、なぜ類野の婚約者が現れない?


「山城さん?」


 相澤の声に山城は思考を止めた。

 本題からかなり横道に逸れていた。だが、かなり気になる。


「小さな傷や、付着していた物質とか、形も、色々と調べたそうなんですが、鑑識の方も頭を抱えるしかないほどに、全くの一緒だったみたいで……その二つのハートの片割れは、全く同じものだと認めざる得ないと言うことらしいです」


 電話の向こうの相澤は「これ以上の説明はもう無理です」と言う感じに声を絞り出した唸り声をあげている。


 飛んだ意味不明な結果だが、二つの仮定が山城の中に浮かぶ。


──焼死体事件とデパートの銃撃事件は、どんな形かは分からないが関係している──


 そして、もう一つの説が頭を過った時、譲司凪沙の顔が山城の頭に浮かんだ。


──類野紀文の過去改変はもはや疑いようのない事実──


 だが、それと同時に大きな問題が起きてしまった。

 現時点では唯一の手掛かりであるネックレスには『刑事事件としての証拠能力がない』と言うことだ。

『二つのネックレスが全く同じものである』なんて言う非現実的な馬鹿げた事実を証拠として提出することはあり得ない。

 つまり、『この二つのネックレスが違うものである』と言う証拠を捏造するか、この証拠のネックレスは闇に葬られるかの二択である。


 そうなれば、後者以外にあり得ない。


 山城は夏の暑さとは違う種類の熱で背中に汗をかいていた。類野を捕まえるには警察の力では限界があると言う絶望を感じ始めていたのだ。


「山城さん?」

「おっ」


 相澤のご機嫌を伺っているような声で山城はハッとした。


「それで、その……課長が話があると、言ってます。今から出てこれますか?」


 咄嗟に舌打ちが出た。

 相澤も電話口の声から察するに、何を言われるのか分かっている様子だ。


 唯一の手掛かりになる予定だったネックレスに証拠能力がないオカルトな物質になってしまったのだ。焼死体事件は暗礁に乗り上げるのが確実になる。もはや管理官たち、上層部のモチベーションもかなり下がってしまっただろう。

 そんな中でも別の事件は起きている。おそらく人員は減らされ、山城も相澤も別の事件の捜査を始めることになる。


「とりあえず、そっちに迎えに行きます」


 そう言って、相澤は電話を切った。


 電話が切れると、山城は改めて愛美の部屋と一人で向き合うことになった。

 せっかく整理したものが散乱し、ぐちゃぐちゃになった6畳の和室。


 部屋の隅にある愛美の遺影と小さな祭壇。

 全てが非現実的に映る。こんな馬鹿げた現実をなぜ受け入れないといけないのか? と言う怒りが山城に起きる。

 山城には愛美が死んでいない世界の記憶しかないのだ。こっちの嘘っぱちの世界に合わせて、何故自分は生きていかないといけないのか?


 だが、刑事だとか、事件だとか、そう言った社会的な制限が、愛美が山城に授けた使命からどんどん引き離そうとしている。


 焼死体事件から離れれば、山城が類野を追う理由は無くなってしまう。


 フッと一瞬、山城は刑事や旦那という立場から解放され、原始的な感情が湧き起こってきた。


「類野ぁぁ!」


 死んでいないはずの愛美の遺品を自分に整理させている人間の名。神でもなんでも無い、ましてや山城は罪人でもない。

 なのに、一方的に無慈悲な罰を課してくるただの人間への怒りで、山城は半日掛けてやっとのことで整理した部屋を、再び愛美の残骸の海に戻してしまった。


「ぶち殺してやる」


 散乱した段ボールと引き換えに、山城やることは純粋な一つの形になった。


 すぐにポケットからスマホを出し、現時点で唯一の味方である譲司凪沙の名前を探した。

 しかし、山城はスマホを持ったまま、途方に暮れた。あの時、山城は凪沙と連絡先の交換はおろか、名前以外の情報を何も入手しなかったのだ。


 どこかの大学の理工学部である事はわかるが、それ以外の情報が皆無である。


── 先生のいる大学に入るために──


 フッと凪沙が話していた言葉を思い出した。


 山城は咄嗟にスマホであの時、渚が持っていた教科書の名前を検索ワードに打ち込んだ。似たような名前の教科書がいくつも出てくる中から、凪沙が持っていたものを探す。


「これだ!」


 出てきた教科書はとうの昔に廃刊になっていた。そして、作者の名前の欄に『東條大学理工学部教授 浅倉美言』と書かれていた。


「東條大学」


 その時、玄関のベルがピンポーンと響き、山城はビクッと顔を上げた。


「山城さーん!」


 山城は、その時自分の内側から湧き起こった感情に一瞬戸惑った。

 それは相澤を敵とみなした感情であった。


 しかし、その感情が一度浮かんでしまったら、もう後戻りはできない。


「山城さーん!」


 声がどんどん大きくなる相澤をよそに、山城の行動に迷いはなかった。

 足音を立てないように玄関の自分の靴を取り、ベランダから外に出た。そして、雨水の排水用のパイプを伝い、下のあまり手入れのされていない、雑草が生い茂った敷地内の庭に飛び降りた。


「いって!」


 落下の時に腰を打ったが長居はできない。遠くから相澤の「山城さーん! 開けてください!」という声がした。

 

 その時、山城のポケットから小さな振動が伝わってきた。

 スマホを取り出すと『相澤』の表示があった。


「もしもし」

「何やってんすか、玄関鳴らしてるのに」


 山城はその時、一世一代の迫真の演技をするべく、痛い腰に鞭を打って無理やり立ち上がった。


「いっててて!」

「どうしたんですか? 怪我ですか?」

「ちょっと腹が痛くてよ。今、トイレに篭ってるんだよ。ちょっとだけ、待っててくれるか?」


 スマホの向こうから「はぁ?」と言う声がした。


「アイスでもやけ食いしたんすか?」

「悪い。後ちょっとで出る」

「きたねっ!」


 山城は通話を切り、痛い腰を我慢しながら、マンションを出て、東條大学を目指した。

 外の道路に停めてあった見覚えのある車を見て、ふと立ち止まる。

 山城はポケットから警察手帳と手錠を取り出し、丁寧に端を揃え、その車の上にそっと置いた。

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