第十九段 麺への誘い

 長崎で麺の話をしようと思えばちゃんぽんを欠かすことはできないが、残念ながら海老にアレルギーを持つ私は名店を掘り下げることはできない。そこで、自然と伺うようになるのはチェーン店となり、リンガーハットということになる。これは以前に語ってしまった内容であるためここでは差し控えることとなるが、ここのちゃんぽんを頂いたのはなんと高校時代が初めてであった。同好会の顧問に連れられて頂いた思い出の味なのであるが、各々が自分らしい食べ方を持っているのを見て酷く驚いたのを覚えている。今では私も途中で少々のお酢を加えることとしているが、それを当時の私が知ったら何と思うことか。

 その一方で、夏にもなると一家総出で冷麺を食べに繰り出すことが恒例であった。長崎新地バスターミナル傍にある中華料理店「福壽」でいただくつけ麺風の冷麺は子供の頃から私の舌によく馴染んだ。何か特別な具材があるわけでもなければ、人の目を引くような材料を喧伝している訳でもない。ただ、真紅の卓上に登壇するとそれは何とも煌びやかで、暑気を瞬く間に吹き飛ばす。麺は青磁の皿の上に正座し、白を基調にした器がその周りで傅く。箸を取っていただくのであるが、ここで胡麻ダレを先に行くか、それとも鶏ガラのタレを先に行くかで逡巡し、一先ずは胡瓜と蒸し鶏で間を繋ぐ。後は豪快にやるだけなのであるが、中高生の頃は麺を三玉平らげて店主に笑われたことがある。気品のある店構えでありながら、気負うところがないというのはこの店主の在り方に因るのかもしれない。こうした店が長崎にはまだ残されている。

 また、長崎駅前にある「長崎大勝軒」が出される豚そばも飾り気無しでありながら堪らなく旨い。こちらも食材を押し出すことなく、淡々と口腔に楽しさを行き渡らせる。ここでは麺の量を六玉まで選ぶことができ、学生時代には連れ立って限界量に挑戦したこともある。そのような活気が広がる店内でいただくものは独特の輝きを放っていた。

 その一方で、皆から旨いと言われて勧められたあるうどん屋を二度ほど訪ねたのであるが、馴染みになることはないだろう。麺のコシも鯖の棒寿司も申し分のない味なのであるが、店内に轟く店主の怒声に私は閉口してしまった。味の良し悪しは確かに生き残る店の第一条件なのであるが、この店を勧められる度に切なさが胸に至るのはどうしたことか。

 私が長崎でうどんをいただく際には、五島うどんの店である「王道庵」へと伺ったものである。夜にのみ商う小体な店は飲み助には有難く、良い夢を見た後に胃を解す見事な一杯を出されていた。コシや硬い麺を至上とする現代に在っての細麺は、歯ではなく喉を喜ばせる。往来の喧騒もまた耳に心地よく、何よりの薬味となる。昨年の三月に店を畳まれたということだが、改めて店を出された際にはまた伺いたいものである。

 飲んだ後に伺う店といえば、思案橋ラーメンや三八ラーメンが長崎にはまだ残されている。今時のラーメン店のように群を抜いた味を持つわけではないのであるが、強かに飲んだ後に伺っていただけば何故か安堵する。まずはコップ酒とおでんをいただき、それで一日の終焉を迎える儀式を始める。琥珀を越えて褐色にまで至った素朴なおでんは、喉に渇きを覚えさせ燗のついた酒を堂々と迎えさせる。何の銘柄なのか、どのような酒なのかといった雑多な思考はこの店に存在しない。ただ、一晩を戦い抜いた歴戦の吞兵衛に混ざって黙々といただく瞬間の連帯感を以って極上のひと時を成す。その果てに運ばれてきたラーメンをゆっくりと、しかし貪るように臓腑へ収めれば顔は火照り目は虚ろとなり心に恍惚の二文字が浮かぶ。

 口は未だ 喜び求め 一手繰り

   続けや続け 細く長らく

 酒場の原風景はなおここに息づいている。

              (第十九段)

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